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野暮ったい田舎者の私と、東京のキラキラした女の子。

上京した直後、私が欲したのは彼氏ではなく、紛れもなく女友達だった。

人生をエンジョイする為には女友達が必要不可欠だ。そこから面白い出会いに繋がる事もあるし、婚活するにあたり励まし合い、傷を舐め合う仲間が欲しかった。


「東京に友達が1人もいないんです」と言うと、同僚の子は女友達を紹介してくれた。お陰で上京直後は女子会に明け暮れた。


彼女たちは、「コリドー街ってなに?」という私に対して、夜遊びのお作法を教えてくれた。 同僚の数名は東京出身だった為、紹介してくれた同級生は自然と東京出身になる。出会いを欲する仲間が沢山出来た。


彼女たちのフットワークはとんでもなく軽くて、私が辛うじて主催した飲み会にも『行く行く!』とノリ良く来てくれた。その飲み会は、チーン。美人な彼女たちの無駄遣いという内容だったが『こんなこともあるよ!企画してくれてありがと』と私の背中を摩りながら励ましてくれた。


 友人たちの職業は、社長秘書、大手企業勤め、医療従事者など様々。 

出会った当初はカルチャーショックをうけた。こんなにも美しくて、学歴もあり、キャリアも重ねていて、性格もいい20代後半の東京出身の子たちが「出会いがない、出会いがない」と嘆いていることに。

 サラサラの長い髪、デパ地下コスメと丹念にボディークリームでケアをしたつやつやの肌、スカートから伸びたすらっとした足、サロンで仕上げたその爪はキラキラと輝いていていた。

そして、基本的にTバックの彼女たちはいつでも戦闘モードON。私はTバックなんて持っていない。あれは脱毛やセルフケアで綺麗に仕上げた人たちへの賞状のようなものだ。悲しいかな、私は野暮ったかった。上下はバラバラのお腹まで隠れる綿の下着には毛玉が付いていて、そこからぷんぷん漂う生活感がヤバイ。

セルフネイルで仕上げた爪の先は禿げていて、よく見ると爪の中に黒い汚れがうっすら付いていた。げっ、昨夜の食後のデザートでぶどうの皮を剥いた時だ。手を洗っても取れなかった残骸があったのだ。彼女たちの綺麗な爪に惚れ惚れしてる最中に、自分の爪の失態に気づいた私はとっさに両手を後ろに回して黒い汚れを爪同士でカリッと取った。

だけど、彼女たちは優しかった。私の禿げた爪を持ち合わせのマニュキアで修正してくれたり、『少し眉毛濃いんじゃない?』とメイクのアドバイスをしてくれたり、飲み会前には私の癖毛を携帯用アイロンでサラサラにしてくれた。


 そんな野暮ったい私と、東京のキラキラ女子が一緒に婚活するなんて…

もはや、カオスだった。


 地元の同級生は23歳には特定の相手を見つけて、25歳にもなると7割の子が結婚していた。 もし、東京の友人たちが私の地元にいたら、多くの男性が結婚相手として挙手するだろう。


 地元の子はほとんど結婚していて、東京のキラキラした子は出会いがないと嘆いている。この違いはなんだろう?と不思議に思った。何度もお酒を重ねて、酔った勢いで彼女たちの過去を引き出していくと、地方育ちの私と彼女たちの決定的な違いが分かった。


 それは、女性として1番勢いがある時に著名人との接点がある子が多かったこと。


この話を聞いた瞬間これだ!と確信した。


 例えば好きな女子アナがいるとする。その女子アナに似ている子と付き合いたいと思うが、そんな子は現実にはいない。だから自分の身の丈に合った人と付き合う。


それが、東京だと女子アナに似ている子はわんさか居るし、そして何よりも本人と繋がれる可能性がある。

地元で友人たちと結婚を見据えた人を必死に探している間に、彼女たちは著名人と遊んでは東京の酸いも甘いを経験していた。

理想の人を限りなく追求できる、これは東京ならではのメリット・デメリットだと感じる。 


結果として理想の人と結婚出来たり、あの経験は遊びだと割り切れたらいいのだけど、中々そうはいかない。叶えようと思ったら何もかも叶えれる可能性がある街で、身の丈を知るのは難しいのだろうなと感じた。


 ただ当時の私は26歳。寄り道して、ギラギラしてる人に手の平で転がされてる暇なんてない。ひたすら身の丈に合った人を探し求めた。 

結局、彼女たちと『幸せな結婚』を目指して婚活に明け暮れたが、何十回と開催した飲み会でカップルが誕生したことは1組もいなかった。

私も友人たちも結婚相談所や、アプリで相手を見つけて結婚した。 


そして当たり前になことに気づく。結婚はゴールではなくて、日常の延長線にある、書類的手続きのあるただの通過点ということ。ゴールなんて存在しない。生きて居る限り、悩みは続くし、現実は続くという事に。


*


 東京という作られた街で、誰もが夢をみて、期待して、何が本当か嘘か分からなくて、失望して、虚しくて、そんな様々な想いを抱えて放つ個人の光が手を取り合い、やがて大きな光となりキラキラ輝くこの街の夜景はいつ見ても儚くて美しい。 


東京の夜景に負けじとキラキラと輝き続けた彼女たちは、輝くことに少し疲れてしまって、結婚したらきっと幸せになれると。結婚すれば、もうこの東京の街で何かを追いかけなくていいと助けを求めた。

この街で、憧れの対象であり続ける彼女たちの努力はどれくらいだろうか。

だけど、女の私でも見惚れる彼女たちに紛れて、私自身も結婚に幻想を頂いて、東京の夜景の点の一部になったあの日々は宝物なんだ。


*

 現在の友人は子育てに奮闘したり、パートナーとゆるく暮らしたりと様々だ。

かつての戦闘モードONではないし、SNSの更新も滞ってるけど、「最近お腹まで隠れる綿の下着がお気に入りなんだ」と笑う彼女は、幸せとは言わないけれど、白いTシャツを着た家族写真をインスタにはあげてないけど、幸せを感じる。

「そうそう。あの時は笑ってたけど、綿の下着は最高なんだよ!」

私は紅茶を飲みながら続けて言った。 


「あの時、必死に何を求めていたのだろうね?」 


「う〜ん。なんだろう」

「絶対に手に入らない何か、かな?」


その彼女の返答を聞いて腑に落ちた。 


なるほど、キラキラが手に入らない現実を知るタイミングは人それぞれってことか。 


地元の友達は早く結婚して子育てをしたいと現実主義の子が多かった、キラキラは探すまでもないと。

 東京の友人は、とっておきの何かなんて幻で存在しないのは知っている。だけどキラキラがないことを自分の目で確認したかった。 


これはきっと住む場所は関係ないってことだ。田舎に住んでも、地方でも、東京でも、NYでも、パリでも。 


つまり、どこに住んでもキラキラは手に入らないし、女は綿のお腹まで隠れるパンツを最終的には履くってことかもしれないね。

だけど、あの時に必死にもがき続けたから、私も友人も寒い日に飲むコーンポタージュのような、そんな穏やかな日々にきっと出会えたんだ。



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