言語化の副作用、無意識とリフレクション
多くのワークショップの終盤で、「リフレクション」と呼ばれるワークショップ中の活動を振り返り、経験に意味づけをし、学習として意識化するプログラムが実施されます。ワークショップ以外の文脈でも、学校の授業や研修でも、終盤には同様に学習活動の振り返りというプログラムが用意されています。
しかし、リフレクションや言語化の効用は多く語られていても、その副作用についてはあまり聞くことはありません。
創造的問題解決や身体性認知を研究している認知科学者の鈴木宏昭は、学習におけるリフレクションや言語化に懐疑的な意見を持っています。その一部について以下のように話しています。
言語は大事か
・言語化によって経験が阻害されることもある
私は認知科学や心理学で思考という分野の研究者です。そして、私はいくつもの事典などに解説などを書いています。でも(申し訳ないけれど)「これでわかるはずないよな」と思いながら書いています。つまり「言葉だけで伝わるようなものじゃない」ということです。こうしたことからすると「思
考は言語によって行われる」というのが本当に疑わしく思えてきます。言語化によって経験が阻害されることがよくありますし、言語化できない情報が思考や判断を左右することも非常によくあります。
そして、言語それ自体も、言語の中だけではまったく完結しないものなのです。
ですから、何か振り返って何かを書かせることが、人が伸びるきっかけになるとおっしゃる。もちろん伸びないとは言いません。伸びる部分もあるのかもしれません。しかし、それによって失うものもあるということです。
鈴木宏昭 (2018). 「近年の大学教育の変化について考える」私立大学連合 平成29年度教学担当者理事者会議報告書「大学教育の質保証再考:制度改革の実質化に向けて」14 - 27.
*全文はこちらから読めます
http://wsd.irc.aoyama.ac.jp/hiblog/suzuki/files/2018/04/sidairen2017.pdf
ここで鈴木は、
・言葉だけでは何かを人に伝える(=理解してもらう)ことはできない
・言語による振り返りによって、失われるものがある
ことについて述べています。
言語隠蔽効果とあたため
鈴木の主張の根拠には、言語隠蔽効果という理論があります。
言語隠蔽効果とは、言語を使うことで非言語的記憶が妨害される現象を指します。特に、言語化によってひらめきを必要とするような課題の問題解決が妨害されるのです。
創造的な問題解決では、あたため (incubation)と呼ばれる一時的に問題解決活動から離れて無意識の状態を持つ段階が必要と言われています。
無意識を使ったリフレクションと記憶の保持
洞察問題や創造的問題解決におけるあたため (incubation)を、リフレクションに応用することで、安易な言語化にならないリフレクションが可能になるのではないでしょうか。
例えば、僕はワークショップが終わった帰り道、電車に乗っている時によく新しい気づきや点と点のつながりを感じることがあります。これは無意識が思考や気づきを少しずつあたためた後、突然意識上に現れるため、ハッと気づきを得たように感じるのでしょう。
一方で、言語化もせずにずっと無意識のままでいると、経験自体を忘れかねません。ワークショップで得た活動を忘れないようにビジュアルなどの非言語的イメージで保存したり、ワークショップ中の活動自体にを身体やビジュアル性をワークショップに埋め込むことで、日常でリフレクションが生起する状況を作ることができそうです。
*鈴木先生の認知科学入門書。認知科学の面白さをわかりやすく、かつ知的好奇心が湧き出るように読ませてくれます。
*この記事は『ワークショップデザイン Advent Calendar 2018』の3日目にあたります。
https://adventar.org/calendars/3079