詩や絵画にしか治せない病がある
宮尾節子さんの『恋文病』という詩集を読んだ。
数年前に読もうとしたが、当時の自分はあまりにも敏感で、詩の一編一編が恐ろしく感じられた。強すぎる薬が毒になるように、触れることができなかった。
十分に鈍感になった今、ほぼ新品の『恋文病』を開いた。
詩集は、余白が多くて綺麗だと思った。
小説やビジネス書のように、紙が文字で覆われていない。
その余白に、詩を読む私の自由を許す余裕を感じる。
ひとつの詩が、私の病巣をみつけて治した。
君が生きているだけで私は救われているよ、と愛しいあの子から言われても心のどこかで「でも私、役にも立ちたいの」と思って自責の念を持っていた、ことに気付いた。
私が「できない」ことが何かを守っていることもあるのか。じゃあ、もう、それでいいのかも。
大学生の時、日本国際パフォーマンスアートフェスティバルのボランティアに参加した。代表の霜田誠二さんが「詩や絵画にしか治せない病がある」とおっしゃっていた。
ああ、そうだよな。とストンと納得したので、その言葉だけ、ずっと覚えている。
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