好きな美術作品と目指したい図工
ぼくは仕事柄、休日に美術館に行ったり、写真展に行ったりするのですが、今日はそんななかで出会った大好きな美術作品の話。
自分の中のひとつのターニングポイントともいえるような鑑賞体験。
世界中の子と友達になれる
その作品は松井冬子さんの『世界中の子と友達になれる』です。
この作品にはじめて出会ったのは、2011年の横浜美術館。松井冬子さんの個展でした。
180cm×230cmの大きな作品。
この大きさも相まって、作品の世界に吸い込まれるようでずっとこの作品の前に立っていました。
全体の印象は藤の花の紫で、とても美しい。
構成物も、ゆりかご、少女、藤の花、と、とてもシンプル。
しかし、この作品の世界に入って、細かく見ていくと、狂気が迫ってきます。
まず目に入ったのが
少女の赤い足。
裸足で地面をずっと歩いていたであろう、痛々しさ。
そしてその足から視線をあげていくと、
藤の花が目に入るのですが、藤の花の黒くなっている部分は、影ではなく、おびただしい数のスズメバチ。
少女はそのスズメバチを恐れることもなく、手にすることもいとわない様子。
ゆりかごに入った目線を想像すると、たぶん藤の花はあまり見えず、
視界はスズメバチで埋め尽くされるのだろうと思います。
そのような幼児期を過ごしたとしたら、スズメバチという、ぼくらからみると恐ろしい存在も、この少女にとっては、普通のことなんだろうと思います。
しかし、成長したこの少女の目線は、藤の花でもなく、スズメバチでもなく、外の世界に向かっています。
「世界中の子と友達になれる」
そんなつぶやきが聞こえてきそうな表情。
そんな狂気。そんな美しさに圧倒された鑑賞体験。
感動体験を
ここで少し引いて、図工の教師という目線で。
ぼくは、この絵について書くときに、全く筆が止まりませんでした。
そのように言語化が止まらないほどの、非言語体験だったんだと思います。
そんなぼくも授業の中で、絵を見せたり、図工やアートに関わるインプット活動を設定するわけですが、
子供に、ここまでの非言語体験を提供できているのかなあ、と思うわけです。
誰かに話したくなってしまう、非言語体験。
例えば、図工の授業が終わって、隣のクラスの友達に、「こんなもの見たんだよ!」「あんなことしたよ!」「あいつのあの描き方すごかった!」と思わず言ってしまう体験。
例えば、家に帰ったときに「今日の図工すごかった!」「今度の学校公開でみてね!」と思わず言ってしまう体験。
これを目指したいな、と思うわけです。
そのような感動体験が、素敵なアウトプット(作品)や、豊かな思い出から人間性に変容していくのではないか、と。
検証もできないし、1授業で全員を感動させられないし、図工だけでできる話ではないのだけれど、そこを目指したい。
それが無理ならば、世界には特別な体験や必要以上のお金がなくても、ぼくらの視点が成長すれば、感動があることを伝えていきたい。
そして、もし、このnoteに出会った先生や、お父さん、お母さん、ご家族の方がいらしたら、色々な場面で、そのような感動体験を(難しいけれど)目指す同志になってほしいなあ、と少しだけ思うのです。