教育データと人間にしかできないことと
今年度は大学に通っています。
学び直し
学びほぐし(unlearn)
教育現場に1人1台端末が導入されてもうだいぶ経ちます。
導入に至った背景や、そこに込められた願い。
教育データの利活用などを学んでいます。
教育データとは、
①児童生徒(学習面:スタディ・ログ、生活・健康面:ライフ・ログ)
②教師の指導・支援等(アシスト・ログ)
③学校・学校設置者(運営・行政データ)
に分かれ、そこから
定量的データ(テストの点数等)
定性的データ(成果物、主体的に取り組む態度、教師の見取り)
に分けられます。
感覚的にやれたらかっこいいけれど、自分はやっぱりセンスがないので、
データに蓄積することで安心感を得てしまう。
それはそれとして、ICTがあることで子どもと教師の学びってどんなふうに変わっていくのかに興味があるのです。
教育データにアクセスすることのできるものが
教師だけでなく、子供たちも同じように使っていくことができる。
子供の学びのプロセスや根源的な楽しさってきっと今も昔も変わらない。
だからこそ、その大事な物をどう大きくしていくのかを大切にしたい。
「子どもたちの考えを生かす、つなげる」
データの中で、それぞれを繋げて、示して、選んで、
感覚の中で、見つけて対話して
授業の時間に教師は何ができるのか
→子供たちのどの姿を脳に記憶し
どこをデータに残すのか
授業外で教師は何ができるのか
ここら辺をよく分解して吟味してみても面白そうかなと
見取ることがしにくい授業デザインとは
・指示の数とタイミング
・視線
・活動の数とタイミング
・自分のフリーな時間はどう作っているのか
・子供たちのフリーな時間はどう動いているのか
記録してしまうとわかったつもりになってしまうとも思ったり
学校に子供たちが居てくれることの価値を最大限にしてみようと思うけれど、そこで傲慢になったりしていけないとも思います🐘