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きみのおめめ きみと写真と言葉と #10
シャッターを切る。
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木漏れ日に触れるふっくらとした手。落ちていたどんぐりを拾って、「みてー、どんぐい」と差し出してくれた。
この日遊びに来た公園で、娘はたくさんのどんぐりを拾った。袖を折って着ていた110センチのアウターは、この秋で袖を折らずに着ることができた。夫が子どもの頃、どんぐりをビンに詰めて宝物にしていたと言うと、娘は夫に「どーじょ」と手渡していた。
枯れ葉を踏むと、さく、さく、と軽い音が鳴る。合間に、遠くからからすが鳴いた。
走り回っていた娘が、木の根で躓いて膝から転けた。ぐっと握った小さな手で起き上がり、私や夫が駆け寄っても、口を曲げて痛みに耐えていた。膝についた落ち葉を払うと、泥のにおいが鼻をかすめた。
一枚の、しかくくきりとられた瞬間は、眺めていると円形の粒子がさらさらと記憶の隙間を埋めてくれる気がする。
切り取ったのは一瞬なのに、視覚の域を飛び越えて、触覚や聴覚が伝わるあたたかさが好きだ。
それが幻想である可能性をわずかに感じながら、懐かしんだり、愛しんだりする。
ごくたまに、娘の写真を見ているはずが、子どもの頃の私が見えたりもする。(私はよく、どんぐりをボンドでつなげて工作をしていた)
娘と過ごしてきた5年。あっと言う間に過ぎたと言うわりに、すべてを覚えていられるほど短くもない。
だから写して、そして書いているのだと思う。
後から見て、記憶を掘り起こせるようにしたい。記憶に残したい景色と、匂いと、空気と、気持ちを、思った通りにカメラで切りとれるなら、ウンウン唸りながら記憶をことばにすることもなかったかもしれない。(そういう、憧れに近い切り取り方をされている写真家の方はいらっしゃるのだ)
なかなかうまく撮ることができなくて、言葉でも表現しきれない何かを、少しずつでも残すことができればいいなと思う。
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