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10代の私に、貧困を冷静に理解することは難しかった。 私の家庭は、一時期、相対的貧困に該当する状況だったのだと思う。私が高校生の間は特にそう感じていた。 学校にいる間はあまり気にしないし、何かに苦労したという記憶はない。 でも、例えば夕食に主菜らしいものを食べられないこと。小さい頃以来外食や旅行に縁がないこと。天気が悪い日にお小遣いから交通費を出してJRに乗ること。 高校の忙しさとは別に趣味や娯楽に時間やお金を割ける友人に対して、心を動かさないこと。 うちは余裕がないの
自分が口にした言葉に責任を持っている人はいるだろうか。 人前で宣言した言葉に限らず、日常生活でふと口にした言葉を、私やあなたは覚えているだろうか。 吐いた言葉に忠実に生きようとすると、当然言葉に苦しめられるだろう。口は禍の元、因果応報と言うが、過去の言葉と未来の言葉に縛られようものなら、この瞬間私は何と話すべきだろうか。 これは、前向きな選択の可能性でもあるのだ。 自分が選んだ言葉に苦しむということは、恐らくは自分が好ましいと思う姿、しかし今の自分には届いていない姿を基に
私は、一度買ったコーヒーを家族に迎え入れている。 インドネシアや南アメリカ、アフリカで育てられたコーヒー豆が、あれこれを経て私の手元に。だったら一生お付き合いしてください。 ようこそ。 はじめまして、よろしくコーヒーショップやスーパーで手に取るいつものコーヒー(挽かれたタイプ派)や、じっくり選んだいつもと違うコーヒー。 洒落たパッケージに心躍って忘れがちだが、これも農産物だ。 産地=風味の個性ではあるけれど、生産地と生産者に対して想像力を働かせると、自然と残るものは一つか