孤独を受け入れ立ち上がる|『ヘッセ詩集』
人は誰しも生まれながらに孤独だ。どんなに共感してみせたって真に他者と同じ心理状態になることはできない。わかるのは自分という檻の中だけで、あとは想像する他ない。他人の痛みだって、もし自分があの人と同じ体験をしたらこう感じるだろう、だからあの人もこう感じてるに違いない、と自分を拠り所に想像するしかない。けれど、自分とその人が同じであるということは何者も保証してくれない。
独り
地上には
大小の道がたくさん通じている
しかし、みな
目ざすところは同じだ
馬で行くことも、車で行くことも、
ふたりで行くことも、三人で行くこともできる
だが、最後の一歩は
自分ひとりで歩かねばならない
だから、どんなつらいことでも、
ひとりでするということにまさる
知恵もなければ、
能力もない
『車輪の下』ではHesseの少年時代の孤独が痛いほど伝わってくるが、この詩集に束ねられた詩の数々にも孤独という現実の残酷性が貫かれているように感じた。ただそれだけではなく、その孤独や死といった残酷性と向き合い、受け入れ、立ち向かっていく意気も感じることができ勇気づけられる優しさもあった。
最後に1番気に入った詩を。
嘆き
われらには存在は与えられていない。われらは流れにすぎない
われらは喜んであらゆる形に流れ込む
昼に、夜に、洞穴に、寺院に
われらは貫き進む。存在への渇望がわれらを駆る
こうしてわれらは休みなく形をつぎつぎと満たす
しかしどの形もわれらの故郷、幸福、仮借ない運命にはならない
われらは常に途上にあり、常に客である
畑もすきもわれらを呼ばず、われらのためにパンは生えない
神がわれらをどうおぼしめしているか、われらは知らない
神はその掌中の粘土なるわれらをもてあそぶ
この粘土は無言で意のままになり、笑いも泣きもしない
こねられはするが、焼いて固められはしない
いつかは石に硬化し、永続する!
そういうあこがれがわれらの胸中に永遠に働いている
だが、不安な身震いが永遠に残るばかりだ
そしてわれらの途上においては、休息となることはない
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