【もう7年目なのにいまいちわからない評価ってもの】


 絶対評価だとか相対評価だとかはわかる。

 でも、いざ子どもたちを目の前にすると適切に評価できている自信はない。

 よく「たくさん褒めてくれるので、、、」とありがたい言葉をもらうことがある。

 自分は子どもの頃、ものすごく自信たっぷりで、何やってもなんでもできると思っていたから、何でも挑戦しようと思えたし、

 できるって信じているから、何かをできるまでやり続けるのが当たり前だった。

 でも、みんながそうではなくて、

 時代もあるのかなって思うけど、自信がなかったり、自分なんてって思う子も多いなあっていうのを感じる。

 でも実際そうではなくて、

 大人の自分が本当に感動するくらいの力を持っているし、本当に心から驚かされることばかりに出会うこの仕事。

 「子どもってすごいわ〜」

 「大人でも思いつかないわ〜」

 と、マジで思う。

 マジで思うから、信じたくなるし、一緒に高い山も登りたくなる。

 褒める指導を心がけているとかじゃない多分。

 1人の人として、「マジ???すごいんだけど!!!」って思っている。

 嘘で褒めても子どもに伝わるし、

 だから、子どものいいところがとっても気になるし、その場で素直にリアクションが出ちゃう。

 そんなもんだから、「評価」ってなると超難しいんだ。

 だってさ、やっぱりそもそも担任してる子は「かわいい」

 かわいいもん。

 それに、できているところとか、ミリ単位でも成長していることに気づかせてあげたいから、プラスの言葉かけが自然と増える。

 自分だったらできないところを指摘されるより、できるところを見てもらった方が他のことも頑張ろうと思えるし。

 少なくとも、ダメ出しされるにしても、まずありのままの「いいじゃん」を認めた上でのダメ出しなら、素直に聴こうと思えるのが人ってものだと思う。

 そんなこんなで、「評価」にしても

 子どもたちの「モチベーション」とか、「成功体験を積む」ってことを考えたら、「いいところ」「成長したところ」は多少盛ってでも、「いけてるよ!!」「やれるじゃん!!」と伝えたいわけ。

 でもさ、「総括的評価」となると、意味合いが変わってくる意味もわかる。

 その場その場での、フィードバック的な意味の評価なら、プラス多めで「できてる感」を与えて、「できるかも!!」って自信から自己を成長させる意欲が生まれると思うから。

 がしかし、「総括的評価」となると、

 「目標に準拠した評価」が欠かせないんだな。

 そしてその「目標」に合わせた「評価規準」ってものを明確にしておかなきゃならんのよ。

 ここはちゃんと見取って、評価して、評定をつけないと

 
 「教えた気になる教師」「分かった気になる子ども」が生まれてしまう。

 「形成評価」としてならその後の指導に生かせばいい。

 でもそのまま終わってしまっては、、、

 特に担任の裁量権の多い評価では、「評価」の「信頼性」が大切。

 そのために「担任の主観」で評価するのではなくて

 「目標に準拠した評価」っていうのがもっとも重要。

 じゃないと、「前の先生はたくさんAをくれた」「成績が下がったのは新しい先生になったどちもら」「教え方がわるい」などとなってしまう。

 その未来は誰も幸せにしない。
 

 
 その「評価規準」ってのは、学習指導要領の目標の語尾を変えれば、評価規準はできるのだけれども。

 このリアルな現場で、毎単元・毎時間できるのかい??って話。

 やらなければいけないんだけどね。

 そこが自分にたりてないとことだなと。

 ここは、ちょっと自分の中でシステム化できるようにしないと、当たり前にできるようにしないとと思うところ。

 また厄介なのが「思考・判断・表現」。

 ノートをメインで見ることが多い。

 何かの手引きにも「ノート」が例示として出ていた気がする。

 でも、ノートには思考の足跡は残るが、「思考そのもの」は子どもの頭の中にあるでしょ?

 それに、「書く力」にかなり依存しているから、「書ける子」=「思考判断表現してる子」になってしまいがちじゃない??

 子どもたちのノートには、友達から学んだとこと、友達の感いい考えを書き残したもの、思ったことを書き殴ったものなど「思考の足跡メモ」がたくさん残っているイメージ。

 そこには、ものすごく考えた友達の思考がかかれることもある。

 
 ではそれを書き写してメモした子のノートには、その友達の考えが残ることも。

 どうみとる??

 「知識・技能」についても

 業者のテストだけで評価するのは「妥当性」にかける。「信頼性」は高いかもしれないけれど「妥当性」にかける。

 学校の目的は、業者テストの点をあげることではないのはわかっている。

 でも、「できた」「できない」を測るのはその業者テストだ。

 じゃあ、業者テストで点が取れるための授業をすればいいのか??

 
 でもそれで、学校の目的、各教科の目標が達成されるのか??

 授業には業者テストの点を取るため以外の目的は確かにあるはずだ。

 でも、何度もいうが業者テストで評価してる。

 多分そうなると、「知識・技能」を業者テストのみで評価しようってのが間違っているのかな??w

 

 とにもかくにも

 単元に入る前に

 「目標」を確認→「評価規準」を明確に。

 これがムッチャ大事なんだと。

 どんな状態がA?どんな状態がB?っていうように。

 だから大事なのはとにかく「目標に準拠した評価」だってこと。

 でもさ、こんなに「評価」に凝り固まってたら、

 目の前の子どもの成長を一緒に喜ぶ余裕なんてないでしょ??

 バインダーを持って、見定めないと、、、

 でもそれって子どもの豊かな成長につながるか〜???

 

 

 「評価」ってむずない??って話。w

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