生き物を飼育しているとよく相似形を発見する。 彼らに起こっている出来事は全部私たちにも起こっている。 一番良い奴隷は、自分たちが奴隷と気がつかない奴隷という。 「生かさず殺さず。」 「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出る。」 私たち日本国民は飼育下の奴隷であると感じる。 しかも 上を叩かずちゃんと横同士 殴り合って自浄作用もある。 まさに最適化された奴隷だ。
エサはあげていた。ただ、そのエサはその子の望んでいるものではなかった。 その子の口のサイズに適切なものかは関心の外だった。 与えることで満足し、世話をしてるつもりになっていた。 まるでうちの親のようだ。 近所のおじさんにメダカが増えすぎたのでどうにかならないかと相談された。 だったら ジモティーなどで募集すればと提案。 私の経験ではお魚関係は 意外と親子連れなどを中心に 飼育してくれる人が現れる。 増えすぎた水草も引き取ってくれる人は現れる。コンポストなどで肥料にして
いじめを行うのは人間だけかというと そうでもない。動物や魚にもある。 ただ私が観察している限り それらはきっかけとして餌に関する生命維持以上の強欲だったり、 異性の取り合いなど性別にまつわる本能だったり、 過密飼育によるプライベート場所の確保ができないストレスだったりする。 人間以外の動物たちには 感情の歪みによる暗い愉悦だけのためのいじめというものは 私の目にはないように見えた。 人間にはそれがある。 なぜかと言うと人間の感情は多分動物や水の生物類より 解像度の高さと深
ラッセル「一生懸命働くことが美徳は奴隷の道徳。 働き者が偉い、労働が義務という価値観は、 支配者は民衆が自分自身のためではなく支配者のために働くべきと仕向けたものだ。」 わたしは働き者は偉いのではなく 働き者も偉い。みんな等しく生きてるだけで偉いと思う。 キリスト教では「労働は罰だ」とされる。 日本人は最適化された奴隷で、 奴隷規格不適合者の自浄作用まである。 この価値観は違うと思う。 日本人は他社への寛容さがなく 大らかさがない。 それは経済的に搾取されていて余裕
国会は上級国民内でいかに国民から死なない程度に富を吸い上げるかを話し合う場所です。 国会は国民のための話し合いをする場所じゃなくて、 国民をいかにうまく騙して 巻き上げた富をどうやって俺がチューチューするか利権を奪い合ってる場である、という考え方はすごく 正しいと思った。 青山繁晴のいう通り。 確定申告書類や家計簿アプリを眺めて 節税対策を考えてるとつくづく それを感じる。 利権チューチューの為に掲げられた綺麗事の大義名分部分のなかで どううまくやっていくか というのが
リフォームの人と話していて思ったこと。 人とコミュニケーションをとっていて思うのが 理解できない人 理解しようとしない人 この2つが別物ということ。 人間同士なので考え方は違って当然です。 理解しようと相手の身に立って考えても理解できない人がいるというのも 当然です。 ただ私が話していて この人には仕事を任せられないなと思うのは「理解しようとしない人」です。 仕事を頼むにあたって こちらの希望を伝えても、どうしても伝わらない。 自分が正しいと信じ込んでいるのでそれを曲
確かにシロアリの被害は予想をはるかに超えていました。
将来結婚する予定の人と年末年始を過ごしてみて 本当にこの人と暮らせるだろうかと色々不安になった。 本当にびっくりするほど何もやらない人だった。 ひたすら食べるか寝るか スマホをいじるか この3種類だった。 前から分かっていたけれど こうやって 5日間一緒にいるということは初めてで 色々 再確認できた。 相変わらず 食べたら食べ放しで そばに直行してスマホ、飲んだら飲みっぱなしで朝まで放置。コップの汚れは当然 落ちなくなる。 私の大事な食器が汚れ 私の仕事が増えるから結局全部
正統的「日本映画」だった。 一言で言うと「全てがあった」 ーーー 人間讃歌、エンタメから 昭和の邦画の浪花節から象徴性 怪獣映画の面戦争映画の面、ミリオタ、反戦、右翼、左翼、全てがあるのに 破綻してない。 比較的ベタなドラマを偽装して うまく食べやすい飴玉になってるけど 実はものすごく用心深く計算高く如才なく作られてると思った。 ゴジラとは何か。 アメリカにねじ曲げられた事に対する日本古来の怒りだ。 それと同時に厄災のように理不尽に巻き込まれ生活や命を奪われる、 アメリ
メダカの孵化を可愛いと言うと 「母性本能くすぐられるんだね」とか 隣のお爺さまが言われた。 本当にゲロ吐きそうになった。 慣用句として使われる 「母性本能をくすぐられる」とか 本当に鳥肌が立つ言葉だ。 生命というものは 愛しい。 悲しいから愛しい。 それに対する 哀切の念 尊敬の念 畏怖の心 そういうものが全部 愛おしいという言葉に集約される。 それをメスが子供を育てたい という本能的な欲求だというところに、 下卑たところに落とされる 「母性本能」という言葉が気持ち悪
コメント欄が優しくて驚いた。普段なら「自己責任」と叩かれるケース。毒親に虐待されて脳が萎縮して発達障害になって苦しんでいる人は沢山います。 100人居たら100通りの地獄があります。幼児期から愛情を得られず肉体的精神的あるいは教育虐待を受ければ多くは愛着障害、コミュ障、引きこもり、犯罪、希死念慮傾向があります。 そういう人の全員が罪もない他人を殺すわけではありません。 同情はされるべきだし医師の渾身の聞き取りは裁判で採用されるべきだった。深く考慮されるべくだった。 しかし殺さ
母の誕生日にさ 子供の頃さ プレゼントにピンクのニットのキャスケットを買ったんだよね。 暖かそうだと思って。 そしたらある日 私に見えやすい所のゴミ箱に捨ててあってさ。 理由を聞いたら 「だってサイズが大きいんだもん。要らない」って言われてさ。 まあどうでもいいんだけどね。 母の誕生日が近づいたらふと思い出した。 罪悪感がある。 私はいつも母を楽しませられなかったという罪悪感がある。 理論的には本当にバカバカしいと思うんだけれど、 あるものはある。 これはもう骨の
今一番儲かってる業種は買取再販だと思う。 着物しかり書籍然り不動産然り。 実家の売却と 新しい家の購入に際して不用品買取や 不動産物件をここ1、2年実際に体感してきて思うのが 1, 価値のあるものを小銭で買い叩かれてる人たち 2, バブルで頭が止まっていて、現在の価格と乖離した大金でしか売り出すことができない高齢者たち この二つに はっきりと分かれている。 つまり 両方共通の問題は 「適正価格ではない」こと。 前者につけ入ってるのが 例えばバ○セルとかの買取再販だ
家のベランダの手すりが真っ白になるほど雀の糞害にあっている。 1年も続いている。 仕方がないので洗濯物を干すのは諦めて掃除の後 サランラップをぐるぐる巻きにして これ以上賃貸の物件を汚さないようにした。 被害はベランダだけにとどまらず 玄関から家の植物まで 白い雪をかぶったようになってしまった。 原因は分かっていて近所に餌をあげているおじいさんがいるからだ。 私はそのおじいさんが好きだ。 生き物を大切にしていて 植木の世話もこまめにやっている 心の優しい人物だ。 奥さ
東京入りした6月25日から急な酷暑。 40度近い。 25日、改めて将門門塚に行く。 その足で有楽町マルイのジェラート屋さん売った象嵌を確認しにいった。 メインに据えられていた。家で見慣れたキャビネットが ここにあるのは不思議だ。そのまま銀座松屋で大阪の知り合いに挨拶と差し入れ。 最後に東京の街を見たいかと 大阪から父の遺影を連れてきた。 夜は彼の好きだった錦城苑に行く。私が生まれる前おなかの中にいた時から両親はここに来ていた。 実家は 当然クーラーも扇風機もない 冷蔵庫が
日本人は礼儀正しく優しい? 私はそうは思わない。 日本人は本当は優しくない。 他の人が見ていないところで 匿名だと どれだけひどいことをするか。 働き者や民度が高いなんて 強制されたものや 他人の見ている場合の同調圧力だ。 日本人は本当は優しくない。 なぜなら 余裕がないから なぜ余裕がないかというと 過酷な状態(精神的)なのに 報われないから。 お金がないから。 日本というシステムは 人を幸せにしにくいと思う。