#18 寂しい日ほどさっさと布団に入ろう。朝がくれば、楽しいから
(1635字・この記事を読む所要時間:約4分 ※1分あたり400字で計算)
最近、寂しい気持ちが急に込み上がってきて、シュンと心細くなることが多くなった。
別に何か悲しいことがあったとかそういうのではないが、どうやら叶えられない願いに対する仕方無さや、長い間我慢してきたストレスがとうとう限界を超えて心のコップから溢れ出してしまったようだ。
某ウイルスが猛威を振るってから、もう3年近くになるか。
世の中は咳ひとつ、熱ひとつでも敏感に反応するようになり、外出時はマスクを着けないと冷たい眼差しで見られるようになった。
飛行機が次々と飛ばなくなった。
旅行とかは元々あまり行かないのでこれについては特段気にならなかったが、なにしろ私の実家は中国なのである。
そして親友はフィリピンと韓国にいる。
以前は定期的に国を跨いで会いに行けた人達が、国境封鎖でより一層遠い存在になってしまった。
特に、実家については帰れられない寂しさだけではない。
「何かあった時、すぐに駆けつけてやれない」
この無力さがどれ程痛みを持つかは、体験したことの無い人でなければ分かるまい。
かといって、文句言って喚いたところで何になるのだろうか。
某ウイルスは相変わらず変異を続けている。事態は変わらぬままだ。
考えれば考える程辛くなるので、なるべくこれから目をそらしてきた。
そうすれば少しは寂しい気持ちも和らぐだろう、そう思っていたのだ。
ところがである。
自分の気持ちを無視し続けたツケがとうとう返ってきたのだ。
特に一日を終えて夜にさしかかった時間帯が一番辛く、無気力で何もしたくない。
泣きたくなることでさえある。
あれこれで気を紛らわそうとするも、一向に改善されずに気分は落ち込むばかりであった。
そんなある日、私ははと気付いた:この寂しさは以前も経験したことがあると。
忘れもしない、あれは大学に受かり、家を離れたばかりの頃だったーー
生まれ育った町を離れ、家族のもとを離れた私は、まだ慣れぬ土地に不安を感じ涙を拭いていた。
今朝はまだ実家にいた。
ばあちゃんが作ってくれた朝食を食べていた。
父と母が荷物を車に載せ、空港まで送ってくれた。
空港にたどり着くまでの間、妹が隣席でずっとぺちゃくちゃと何か喋っていた。
それなのに今、私は静かな寮の一室にいる。
ひとりぼっちで座っている。
本を読むも、携帯を弄るも、何をしても心細さは消えなかった。
出発前日、お別れの宴会で「休みになったら、絶対また遊ぼうよ!」と言ってくれた友人の声が脳裏に浮かび、涙が再びどっと溢れ出た。
子供のようにめそめそとしていると、別れ際に母が言ってくれたことを思い出した。
「大学についたら、さっさと荷物片づけちゃいなさい。
きちんとご飯食べて、お風呂入っちゃいなさい。
後はごちゃごちゃ考えずにすぐ寝ること。朝がくれば楽しいから。
授業だの同級生だのサークルだの、色んなことに没頭していれば寂しさなんかなくなるからーー」
しゃくりあげながらも横になった。
実家から持ってきた大きなクマのぬいぐるみにはまだ懐かしい香りが残っていて、そのまま眠りについた。
次の日。
キラキラと輝く朝日に起こされ、外の賑やかさが一日の始まりを告げた。
私は、大学生になったのだ。
たくさん勉強しよう。
友達もいっぱい作ろう。
新しい経験をたくさんしよう。
早く起きて残りの荷物をさっさと整理して、校舎を回ろう。
そして、もうすぐ到着するルームメイト達を楽しみに待っていようーー
「朝がくれば、楽しいから」
10年以上前もの母の何気ない一言だったが、それが時を越えて社会人になった今の私を励ました。
そうだ、なんだか虚しくて寂しい日ほど、さっさと寝ちゃおう。
そうすれば朝になって、世界が明るく賑やかになって、新しい一日が始まる。
そして、会社に行って仕事に没頭し、休憩時間に同僚達とランチしながらお喋りをすれば……
いつになったらこの寂しさから解放されるのかは、まだ分からない。
ただ一つだけ分かるのは、いつかはこの寂しさも終わるということ。
その日を迎えるまで、私はせっせと布団を頭から被る。
幸せな未来を夢見て。