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20250302【映画「場所はいつも旅先だった」視聴感想】風来坊が「流れる」のを止めた理由
(1061字・この記事を読む所要時間:約2分 ※1分あたり400字で計算)
ドキュメンタリー映画「場所はいつも旅先だった」を視聴。
常に「ここ」じゃないどこかに行きたい。
そんな性分を持っているものだから、引越しは平均1年に1回、社会人になってから計6つのアパートを転々として暮らしてきた。転職も2回ほど。
その間、日本国内では2つの県を跨いで住まいを変え、更には思い切って中国に駐在したこともあった(その駐在先でも市を跨いで2回ほど引越ししている)。
そろそろ一つの地域に根差し、腰を据えて過ごそうと何度も心に決めるも、結局少し経てばまたうずうずと居ても立っても居られなくなる。
住み慣れた場所、働きなれた職場や、ようやく仲良くなれた人々とお別れするのは毎回寂しい。
それでも「行かねば」と、ある衝動に駆られ、ひょいと全財産をスーツケース2つに詰め込んではまたふらりとどこかへ行ってしまうのだ。
どうも私は、常に流れていないと不安になるらしい。
――とはいうものの、そろそろ良い年齢である。
パートナーも出来、もうこれまでのように好き勝手出来ない立場になってしまった。
私のお相手は理解ある方であるが、それに甘えてやりたい放題やってしまうと寂しい思いをさせてしまうし、パートナーを悲しませた分いつかはツケが回ってきて後悔することになる。
なので、風来坊な私もとうとう家庭思い人間に一転しつつある。
遠出は時折短期旅行に行くぐらいで十分であり、残り時間はなるべく家族の為に使おうと思うようになったのだ。
本来の性分を抑えて家庭思いになる分、それなりに苦痛を感じるだろうーー
そう思っていたが、意外と特にそうでもなかった。
恐らく、今住んでいるこの場所、この地域には「居場所」がしっかりとあるからなのかもしれない。
「このままでいても良い」と、自然体の私を受け入れてくれる人達がいるからなのかもしれない。
過去の私は、きっと心の置き所が無かったのだ。
だから世界のあちこちを彷徨っていた。
身を置いている小さな世界だけが全てではないと知っていて、旅先で出会う一人一人の異なる生き様を目にしながら、
「この世のどこかに、私を受けて入れてくれる場所があるに違いない」と信じては探し回っていたのだ。
旅に出る理由は人それぞれだが、私にとっての旅は、居場所探しであり、家探しでもあった。
「ここに居ても良い」。
そう確信を持てるようになったから、もう流れたくない、今いる場所に根差して暮らしていきたいと思えるようになったのだろう。
そしてそんな私の姿も、いつしか「地域に溶け込んで生きている地元民」として、将来此処に流れ着く旅人達の目に映るのかもしれない。
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