约定俗成ーー「暗黙の了解」に助けられて生きている
(956字・この記事を読む所要時間:約2分 ※1分あたり400字で計算)
【约定俗成】
ピンイン:yuē dìng sú chéng
意味:習わしが定着する、一般化する。
『「暗黙の了解」に助けられて生きている』
長いことある社会文化の中で生きていると、意識せずともそれぞれの場においての「やるべきこと」を覚えてしまう。
所謂「暗黙の了解」というものだ。
それらに納得いかなくても
「言わなくても分かるよね?」
という「同調圧力」から醸し出される、あのプレッシャーに従わざるを得ないことが多い。
まるで一切の個性を許されないかのようだ。
これに対し、私も長いこと窮屈さを感じてきた。
けれどもいざ別の国、別社会に飛び込んでみると、枷としか思っていなかった「暗黙の了解」に実はかなり助けられ、そして頼っていたことに気付かされる。
親しみ慣れていない文化の中で暮らすにおいて大変だと思うこと。
その一つが、まさにその土地の「暗黙の了解」が掴めないことだ。
周りの人が深く考えずにテキパキと「やるべきこと」をこなしている中、自分だけがどうしたら良いか分からない。
誰かに教えて欲しくとも、彼らにとっては「言わなくても分かる」ことだから、特に助けてもくれない。
ただ不思議な視線が投げかけられるだけ。
「あの人、なんか常識無いね、変だね」という具合に。
そこで自分がこれまで如何に「暗黙の了解」に助けられたおかげで、スムーズに生きてこられたのかを知らされるのだ。
「同調圧力」にただただついていくこと。
これには、一種の生ぬるい心地よさがある。
取り敢えず周りと同じことをしていれば良い。
その空気にただ従っていればいい。
深く考える必要が無い。
自分以外の他人の行動もある程度読める。
一定範囲であれば予想外の展開は起こらない、という想定が可能になる。
合わせて「暗黙の了解」に身を潜んでいれば悪目立ちをすることも無いので、それが安心感にもつながる。
無事特定の社会に溶け込んで生きていく上で、「暗黙の了解」は実に良い働きをしていた、ということだ。
ただそればかりに頼りどっぷりとその気楽さに浸ってしまうと、異なる考え・未知な思想への苦手意識も生まれてしまう。
自分の限界を「暗黙の了解」の範囲内に留めがちで、広い世界に出ていけなくなってしまう。
そう考えると、「暗黙の了解」はあくまでも生きる術の道具として身に付けていれば良いのではと思う。
心はいつでも自由に、個性を失わずに。
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