百思不解ーー「産み落とされた理由」を考えてみた
(1187字・この記事を読む所要時間:約3分 ※1分あたり400字で計算)
【百思不解】
ピンイン:bǎi sī bù jiě
意味:いくら考えても理解出来ない。
『「産み落とされた理由」を考えてみた』
何度も何度も考えてきた問題がある。
「なぜ、自分はこの世に産み落とされねばならなかったのか」と。
周りの人達に聞いてみる。
「二人の子供が欲しかったから」と両親は言う。
「子供がいないと、老後が心配でしょ」と親戚は言う。
「男女が結婚したからには、子供がないとね」と知り合いは言う。
「子供が生まれると、人生に楽しみが増える」と同級生は言う。
「愛を分かち合う為に」「幸せな人生を歩めるように」というものや、
「運命だから」「生物の本能だから」という類の答えが返ってきたこともあった。
ただ、どの理由も不可解であった。
【単純に子供が欲しい・老後の為・しきたり・人生楽しみ】の為に生まれたのであれば、子は親を満足させる為の道具かペットのように思えたし、
【幸せな人生を送らせる】為だと言われても、そのような未来が必ず訪れる保証なんてどこにも無いし、
【運命・本能】によるものだとしたら、望んでもいないうちに「生」を無理矢理押し付けられたように感じた。
自分で自分の生まれてきた意味を考えてみる。
長々と思索を巡らせてみたが、特にこれといったものは見つからず。
「人間は誕生の選択権利を持たない、加えて既に生まれてしまったものはしょうがない」
「なので、せっかくだから〇〇を目標として、〇〇になれるよう生きよう」
ーーぐらいまでは考えられても、それは避けることの出来ない人生の始まりに対するこじ付けに近い意義探しに過ぎず、結局は疑問自体に対する解釈にはならなかった。
すっかり参ってしまった。
長い長い考察の末、私は冒頭の疑問に対し(勝手ながら)下記のようにまとめるほかなかった:
①産み落とされることは、不可抗力の一種だ
②子を産む行為は100%のエゴであるが、本能が関わる以上、責められるべきものでもないことだ
③生きる意味は後付けで、且つ自分次第で決まる(良くも悪くも)
そして、もう一つ確実に言えることがある。
「『産み落とされた理由』を考えない人の方が幸せ」だということだ。
人生よく分からないし辛い時もあるけど、ご飯は美味いし優しくしてくれる人はいるし、落ち込んでも気付いたらまた元気になれるし。
特にこれといった目標は無いけれど、流れに乗って日常を送っていたらなんだかんだ言って良い思い出も作れたし。
全ての時間と人に感謝していれば、上機嫌でいられるし仲間も増えるし。
死後に天国と地獄があるとしたら、やはり天国には行きたいし、まあ優しく善良に生きていれば何かと良い事が起こるし。
これぐらいの適当さで生きた方が、幸福で充実なのである。
但し現実問題としては今、このような適当さを許されていない人が多くいるということ。
更に皮肉にも、彼らは生き延びる為に、日々「産み落とされた理由」を考えなくてはならない状況にあるということだ。
📚命を産む=命を試練に追いやる
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