スタッフ一人一人の心の感度の差を、いかにシステム化して落とし込むか。
最近ヘドバンしそうな位、うなづいたツイートがある。
✳︎福祉の現場で起きていること✳︎
これは精神福祉の場でも同じで、スタッフによって気づきの感度に大きな差があり、それが会社内の役職や上下関係とリンクしてないことから起こる、意見の違いや衝突によく遭遇する。
例えば感度の低い上司からの命令→スタッフはモヤモヤしながら従う、あるいは何も考えずに指示に従い対応する→利用者さんの具合が悪くなる、あるいは来なくなる、あるいは別の施設に移る→それが何度か続いて、たまりかねて感度高めのスタッフが、上席に「それはあまりにも・・」と言ってその後扱いが酷くなり、以降、冷や飯を食う。
他にも、感度が低いスタッフの心に寄り添わない言動に腹を立てた利用者さんが、感度の低いスタッフに対し心を閉じたり、反抗したりして、その後の面談や作業に支障をきたしたり、感度の低いスタッフと利用者さんの間で起きたトラブルのフォローに結局感度が高いスタッフが回る事になったり、「感度の高いスタッフ以外とは話したくない!」と言う利用者さんが何人も出てきて、結果、感度の高いスタッフだけが一日中走り回り、比較的感度が低めのスタッフは暇をもてあますなど、仕事の偏りが出るのは日常茶飯事で、最終的に感度が高いスタッフから潰れる、あるいは辞める、などもよくある話だと聞く。
✳︎私が体験した事例✳︎
実際、私もリストカット依存の利用者さんが初めて施設に来て作業するにあたり、その利用者さんにお願いする作業について上司から「一人で部屋に閉じ込めて、ハサミや目打ちを使った作業をやらせといたら良いやん!」と指示され、当初の計画とは真逆とも言えるまさかの展開に「えっ、それはさすがにちょっと・・。すみません、この件は一旦持ち帰って計画書を改めて確認した上、改めてご相談させてもらってもよろしいですか?」と無理やり物理的・時間的な距離を作って正面衝突を回避したものの、流石にこれには閉口した。
上司の言い分は、「その子がリストカットするのはカッターナイフだから、他の刃物なら問題ない」。一方私の考えは「刃物の種類が問題ではない。自身を傷つける癖があるから、そこに配慮する必要があると感じるのだ。そんな『パンが無ければケーキを食べたら良いじゃない』的な話じゃないねん😂」
確かに、仮に上司の指示に従った所で、その子が実際に自傷するかは誰にも分からない。そもそもその子のコンディションやタイミングにもよるし、職場で自傷しなくても日常的に自傷するから、果たして職場での自傷を回避する事にそもそも意味があるのかどうかも分からない。
でも例え100回のうちの1回でも良いからその子が自身を傷つける機会を減らしたい。リストカットしか逃げ場がないその少年が抱いている人間不信感が少しでもほどけるよう、少しでも健全な人間観を取り戻せるよう、少なくとも施設に居る時位は、せめて私ぐらいは出来るだけ健全な大人として対応したいと思うのは、私のワガママだろうか。
実はその後二回戦があった。その上席は近い身内にこの職場を利用者として使っていた身体障害者がいる関係で付き添いに通ううちに、生活の為に今の職場で働くことになったという経緯があり、精神疾患や発達障害に関する知識が無いし,興味もないという。
とは言え、それはそれ。リストカット依存の未成年を別の建物に閉じ込めて1人にしハサミや目打ちを使った作業をやらせるのは、やはりあまりにリスクが高いと思い、私はそう思う根拠を伝えることにした。
「リストカットと言ってもそれはあくまでも自傷のやり方の一つで、自傷には髪の毛を抜くことやピアスやタトゥーも含みます。問題なのは、彼が自身を傷つけずにはいられないという思いがあるということです、道具が違えば別に良い、という話では無いんです。
だからカッターナイフと裁ちばさみや目打ちとの差は、例えるなら品の無い例えで申し訳ないですが、「鼻くそ」と「目ヤニ」程度の差で、ほとんど同じです。私にとって、それはリスクの回避になっていないとしか思えないのですが、その辺りの差についていかが思われるか、◯◯さんのお考えを是非お聞きしてみたいです」すると返ってきた答えは「でも、カッターは切る物で、目打ちは刺すものだから問題ないよね?」「?!?!?!(ダメだこりゃ)」
結局上席とは結局全く話にならなかった。それで、結局そのリストカット少年が慣れるまでは、私は本来出社日では無いけれど他の日に代休を取りながらその少年の通所日に出勤することにした。
そんな感じでよくよく話していると、そもそもその上司が利用者を見る視点は基本的に「いかにして相手を自分の言いなりにさせるか。」「いかにして、舐められないようにするか」で、「利用者さんとの横から目線」を意識している私と、その辺りも含めて利用者さんとの向き合い方のスタンスに大きな違いがあり、そもそも「心に寄り添う必要性の有無」の時点で考え方が真逆ということに気づいた。
なので、どうしてもお互いなかなか相手の考えを理解する事が難しい、と感じる事が今回以外にもしばしばある。もっとも私の場合は、ありがたい事に考え方の似た先輩とシフトが被る事も多いので、お互いガス抜きやフォローをしあえているからまだ良いけれど、出来ない環境にいる同じ業種の人はさぞかし辛いだろうなぁと正直思う。
✳︎感度の高低の裏にあるもの✳︎
感度の低さ高さ。別に感度が高いから良いというものでもなく、低いからダメなわけでもない。ただ、そもそも精神障害福祉の現場は本来なら一人一人に合わせた計画に基づきチームで対応するもの。
だけど、実際にチームを構成するスタッフ一人一人の感度は一人一人の資質やその時々のコンディションによる部分が大きい。どこまで相手を思いやれるか。どこまで先を見通せるか。それは自身にどれ位心理的・時間的に余裕があるかや、周辺知識をどの程度実務に落とし込めるかにもよる。
私の場合も、別に私の心が広いわけでも優しいわけでもなく、ただ単に精神疾患や発達障害、病気や薬や脳や神経のメカニズム、傾聴などに対する知識が少しだけある事で、「脳が今そうなってるんだから、まぁ、そうなるよね」と思えたり、「その薬をそれだけ処方されているって事は今、こういう状態だとお医者さんは診断してるんだな。ってことはこの言動も、性格や人格ではなく症状の可能性があるな」と推察する事で、カッとしたり感情的にならずに済んだり、相手の特性に合わせた対応を出来ているだけの話だと思う。でもだからといって、私が他の人に「勉強しろ」と言うつもりはないし、そんな権限も無い。
それに例えばもし、何らかの事情でスタッフ自身がもし満たされない思いを抱えているのならば、そういう知識を得よう、利用者の心に寄り添おう、という所まで思いが至らず、うちの上司のように、デフォルトで機嫌が悪い・人間観が歪んでいる、ということも残念ながら普通にありえるし、人間だからそれはそれで仕方ないとも思う。(そして幸い、そういう「不機嫌」というデフォルトの設定も、歪んだ人間観も、人間である以上、誰しも変わる可能性は常にある。)
マズローの五段階欲求。これは簡単に言うと日本で言う「衣食足りて礼節を知る」を図式化したもので、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したもの。下にあるものが満たされると上の層にある欲求を求め、人は常に段々と成長していく、というものを図式化している。
例えばもしスタッフ自身が今日食べるものに困っていたり、安全が脅かされているような状況では、自己実現に向けて勉強しようとか、相手の気持ちに寄り添おうとか、なかなかそういう気持ちになれないのは当然だ。
実際は、さすがにスタッフがそこまで生活に困窮しているパターンはなかなかないとは思うけど、スタッフ自身が自らの意思で進んで精神福祉の道を選んだわけではない場合、「金の為にやってるだけだし」という感覚で働いているというパターンは当然ありえるし、そうなるとマズローの図で言う自己実現以前の段階で成長スピードがガクンと落ちてしまうことも、やむを得ないと思う。
なのでスタッフ間の意識の高低差や感度の差が生まれることは、どんな会社であろうと多かれ少なかれ避けられない問題だと私は思う。
✳︎福祉というビジネスの存続とスタッフの生活や人生の為に✳︎
ぶっちゃけ、そもそもどの仕事でも最終的には金のためにやっている面はある。福祉サービスを提供し続ける事、つまりビジネスを存続させていく為にはお金を引っ張ってくることが必要だし、人間が衣食住を行い、生活していく為にもお金は必要。
どんなに綺麗事を言おうとしても、そこはどうしても否定できない。でも、その福祉というビジネスに対してどこまで情熱を注げるか、利用者の心に寄り添えるか、感度を高く保てるか、知識を研鑽し続けられるかは、スタッフ一人一人の置かれている状況や、スタッフが物事をどう受け止めるか、そしてスタッフ自身が自分の時間や精神的な余裕をいかにして死守し、自身の心身の健康を維持できるかにかかっていると思う。
そういう一人一人の感度の違い、意識の高低差をスタッフの心意気に頼らずに、いかにして組織としてシステム化し、常に同じレベルのサービスが提供出来るよう落とし込んでいくか。
これって精神福祉に限らず、あらゆる組織の永遠の課題かもしれないなと私は感じている。