最強の「アザラシ」部隊
特殊部隊ときたらアメリカのネイビー・シールズ(SEALS)(SEA AIR LANDを縮めてseal(アザラシ)を掛けたもの)を思いつく方が多いではないでしょうか、全く軍事興味がない方も名前だけ聞いたことがあるではないでしょうか。
シールズの登場は第二次世界大戦に戻ります、真珠湾攻撃後アメリカ軍参戦しました。しかし、アメリカは主要戦場から離れているため、参戦するには上陸作戦が予想されます。そのため、1942年陸軍と海軍から精鋭を選び上陸訓練を行いました、この部隊の任務は主力部隊上陸する前に、上陸地点の状況を確認し障害を排除すること。
戦時、この部隊は太平洋の島々での作戦に活躍し、750枚ブロンズスターメダル、150枚シルバースタメダル、2枚海軍十字章(海軍最高勲章)と数えきれないのパープルハート章(負傷章)を獲得しています。
ケネディ大統領の時期になると、海軍から偵察、テロ対策に強化した専門部隊の作ることを命令し、海軍は従来の上陸部隊の基礎にシールズを作りました。そして組織してから1ヶ月弱すぐベトナム戦場に送られました。
ベトナム戦場でシールズは完全によろずやとして使われ色んな特殊作戦に参加しました。地上部隊の市街戦がうまく行かない時、川流域敵情不明な時、要人を殺してほしい時、捕まれた味方を救出してほしい時……
80年代以降、シールズは1983年のグレナダ戦争、1989年パナマ侵攻、1990年の湾岸戦争を参加しました。
冷戦後、アメリカの敵はとある国からテロ組織に変わりました、例えばアルカーイダ。90年代アルカーイダはアメリカで色んなテロ活動を行い、世界貿易センター地下駐車場、アメリカの東アフリカ大使館も爆発したことがあり、さらに米軍の駆逐艦ですら襲撃したことがあります。こんなにいじめられていたにもかかわらず、色んな理由で当時のアメリカは動きませんでした。
特殊部隊の不満も大きかった、当時のとあるシールズの幹部はこれはまさに家にはフェラーリがあるのに、事故を恐れて外で走れない状態。
2001年9月11日、運命の日以降シールズはやっと出撃が許されるようになりました。大きな功績を作った同時多くの兵士も犠牲となりました。
2005年6月マイケル・マーフィ大尉という隊員はアフガニスタンで任務に出ました。大尉は他の3名メンバーとともにターリバーンのある幹部の暗殺作戦(レッド・ウィング)を実行。目標地点に到着したら思わず3名の山羊飼いと接触してしまい、多数決で三人を解放しましたら、案の定三人に密告されました。すぐターリバーンは140名の兵士を出しマーフィ隊を包囲しました。大尉達の必死の抵抗でも圧倒的な数の差によって抑えられ、通信兵は高地で衛星電話で救援連絡を試みたが猛烈な攻撃に晒され犠牲となりました。負傷している大尉は身を晒して続けて衛星電話の救援をしたが、やはり密集火力に攻撃され犠牲となりました。
チームはただ一人運が良くロケット弾に谷まで飛ばされ、近くの親米の村に逃げ生還しました。
一方救援を受けた米軍本部は、16名の救出チームを作り輸送ヘリコプターを派遣しましたが、暴雨の影響で視野が遮られターリバーンに撃墜されてしまいました。数時間で19名兵士が犠牲となり、テロ戦争における最も暗黒な一日となってしまいました。
この後海軍新造の一隻駆逐艦はマーフィ大尉の名前で命名され、唯一生還した隊員はこの物語を書き映画化され、その名は「ローン・サバイバー」
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