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夏のない年

皆さん、昨日の地震はご無事でしょうか、一瞬であの日の再来かと思いました。まだまだ本震や余震の可能性もありますので、しばらく備えを確認して警戒しましょう。

大自然の前で人類は本当に無力な生き物かもしれません、地震以外も色んな自然災害があります、今日は200年前のとある地球規模の災害の話をします。その時人類種族として危うく絶滅されかけました。

1816年、北半球には夏が来ませんでした、涼しい冷夏かなではなく、文字通り夏がありませんでした。

5月のアメリカ新イングランド、雪が降り地面に30センチの積雪ができ、7月4日独立記念日、東部最高気温はわずか8度、8月ペンシルベニアの川は完全凍りました。そのため農作物が壊滅的な被害を受けました。

当時第3代大統領、アメリカ独立宣言起草者であるトーマス・ジェファーソンは大統領辞職後自分が経営していた農場に戻り、この極端な気候に遭ったため、農場が破産しました。元大統領さえこの状態、一般人の生活がもっと厳しく、数多くの人は生活のために西へ。アメリカには西部開拓時代がありましたが、最初の原因1816年の天災です。

アメリカは大変でしたが、欧州はもっと酷かった。1815年ナポレオン戦争が終結、元々戦争で受けたダメージがまだ回復していないにもかかわらず、雪災の影響で、唯一主食であるジャガイモが全滅、飢饉が全欧州に蔓延しました。

アジアの中国と日本も災害に免れることはなかった。

当時中国の清王朝も全国範囲被害があり、特に西南の雲南省7、8月の大雪災が発生、穀物全滅やはり飢饉が蔓延しました。

徳川家斉治世下の日本(文化13年)全国的冷夏が記録され、9月暴風雨洪水が頻発、大規模範囲凶作不作が発生しました。サツマイモなどの普及により大規模な飢饉に発展しなかった。

とにかく1816年世界規模で異常気候が発生し、人類に大きなダメージを与えました。その原因は1年前の1815年4月インドネシアのスンバワ島にあるタンボラ火山の噴火によるものです。

1815年のタンボラ火山噴火は記録にある人類史上世界最大の火山噴火であり、噴火のみによる現地の犠牲者も8万人以上と推定、噴火後莫大な量の火山灰が噴出され、半径約1,000kmの範囲で降灰が確認され、空に飛ばされた火山灰は地球を覆い、太陽の光を遮り翌年は「夏のない年」になってしまいました。

1815年6月、ナポレオンはワーテルローの戦いで敗北、フランス作家のヴィクトル・ユーゴーは「季節外れの雲に覆われた空が、世界の崩壊をもたらした」と記録しました。(もちろん敗因は天気だけではない)

この陰気多雨の天気と蔓延した飢饉、生活への絶望感は欧州の文学にも影響を与え、『フランケンスタイン』や『吸血鬼』もこのような背景で生まれました。

さらに、農作物の生産量を向上するため、化学肥料の開発や、馬車の代わり(馬も大量犠牲となったから)自転車、車、そして飛行機への発明の根源もここにあります。

大きな力の前に人類は本当に弱いです、それでも希望を捨てずに技術革新を繰り返し、環境を適応してきたのも弱さ所以です。

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