騎兵の衰退
火器の出現により、騎兵の時代が終わるという説がありますが、厳密でいうとそうではありません。火器は確かに騎士の時代を終わらせましたが、騎兵という兵種が終わったわけではありません。
初期の火器の射撃速度が遅い上射程も短い、1815年ナポレオン戦争が終わった後、イギリスには銃をやめ長弓を復活させようとする動きすらありました。何故なら長弓の射撃速度は当時の銃より早いから。
当時の火器で騎兵を止めようとするのは相当無理があります。もちろん、この時代の騎兵は既に貴族ではなく、一般人であり。個人の能力より隊列規律をもっと大事にされていた時代となりました。イギリス市民革命期間、クロムウェルの鉄騎隊はまさにこのような騎兵でした。
突撃の時、騎兵は一文字横隊を組み、一面壁のように敵へ突っ込んで行きます、所謂壁式突撃。特殊な状況になると隊列を調整する必要があるため、規律はとても大事とされています。そのため、戦闘力は旧騎兵よりはるかに大きい。欧州各国もこのような新しい騎兵を組織し、中に最も輝いていたのはナポレオンのフランス騎兵でした。
フランスは騎兵伝統最も古い国であり、ナポレオン登場後海外亡命の貴族達を招集し、一般兵からも騎兵を訓練していました。彼の26名元帥の中にも大多数は騎兵出身です、こうやってフランスはナポレオンの努力によって再び欧州第一の騎兵強国となりました。独立騎兵師団や軍団の編成もあります。
騎兵兵種の最盛期としてのフランス騎兵はとっくに規律を重視していました。1807年アイラウの戦い、フランス先鋒オージュロー元帥が敗北、戦線崩壊寸前の時、ミュラ元帥は戦場全て騎兵約1万人を集結し、大きな方陣を組みロシア軍へ突撃した。ロシア軍は蹴散らされても集結しフランス軍を再び包囲、そしてフランス騎兵また突撃を繰り返しロシア軍を蹴散らした。このように何度も繰り返した結果、フランス騎兵の損失も甚大でしたが、最後まで笑うことができ、負け戦を逆転勝利しました。
第一次世界大戦になると、騎兵の輝きは本当に終わりました。開戦当初、ほとんどの国はまだ大量な騎兵を保有していました。そして騎兵の作戦理念、装備もナポレオン時代と同じ、さらにフランス騎兵の軍服すらナポレオン時代のものでした。つまり、敵戦線の薄い所を狙い、横から迂回包囲し馬刀で戦闘を終わらせる戦術でした。
しかし、第一次世界大戦においてこんな状況一度も出現しませんでした。機関銃、有刺鉄線、塹壕の組合せによって誰も通ることができませんでした。
こんな大量な騎兵は前線において役には立たない上、補給の負担となるし、大勢の人で補給交通さえ悪影響を与えてしまいました。
1916年ソンム川の戦いになると、騎兵の代替品である戦車が登場しました。戦車の補給需要は騎兵より少なく、戦闘力も高い。これで騎兵の存在価値が完全に無くなりました。
第一次大戦以後、東欧を除く大規模な騎兵部隊は無くなり騎兵の伝説も終わりました。
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