フランスを救った少女
ジャンヌ・ダルクはフランス小さな村に生まれ、周りはブルゴーニュ公国領に囲まれ、この村だけフランス王家に対する素朴な忠誠心を持っていました。
時は英仏百年戦争期間、1328年フランス王シャルル4世が崩御、子供も弟もないため、従兄弟であるフィリップ6世が即位しましたが、イングランドのエドワード3世は自分が先王シャルル4世の甥のため、フィリップ6世より優先的にフランス国王を継承すべきだと主張しました。フィリップ6世はもちろん納得しないので、1337年より百年戦争が始まりました。
イングランドの武器装備にせよ、組織統制にせよ実力はフランスより遥かに上でした。1420年になると、フランスは崩壊寸前まで追い込まれました。フランス王シェルル6世とイングランド王ヘンリー5世は条約を交わし、もし自分が亡くなったらフランスの王位はヘンリー5世に譲ると、事実上フランスの負けに終わりました。
しかし、運命のいたずらでしょうか、シェルル6世とヘンリー5世は同じ年で亡くなりました。イングランド人はフランスの王位はすでに自分のものだと主張し、フランスはヘンリー5世が亡くなった以上、新国王は自分達が改めて選ぶと拒否しました。結果は戦争が続きました。
1428年フランスはまさに風前の灯状態、しかもシェルル6世の息子シェルル7世はずっと即位していなかった。シェルル6世の王妃は7世は6世の実子ではないと告白し、貴族達の支持が得られなかったから。
この内憂外患の状態で、ジャンヌが現れました。神の使者と称しシェルル7世を助けてイングランド人を撃つだと。もちろん最初誰も信じていないと決まっています。しかし、ジャンヌはとある戦闘でフランスが負けると予言し見事的中したため、シェルル7世に会うチャンスを得ました。
シェルル7世は非常に喜びました、だって自分がこんな悲惨な状況でなんでもいいから信じようと。こうやってジャンヌ一はイングランド軍に包囲されているオルレアン城への救援を依頼されました。
イングランド人はフランス援軍を阻止するため、オルレアン城周囲に大量は木製要塞を築きました。ジャンヌは軍隊を統率したことがないにもかかわらず、生まれづきのチート能力を全開しました。まずフランス兵士に神は自分達に付いていることを信じさせてからオルレアン城の正面強行突破しました。イングランド軍の指揮官がフランス軍の突入時に戦死、ジャンヌは勢いで包囲網を突破し、援軍を率いてオルレアン城内に入りました。
その後ジャンヌはイングランドの要塞を各撃破し、最後の要塞を攻めた時肩に矢をあたり、傷口の深さは約15センチ、普通の人が死ななくても動けない状態にもかかわらず矢を抜き負傷のまま戦闘を続きました。
ジャンヌは要塞を全て破壊した後、イングランド援軍の進行ルートを予測し100名フランス騎兵を率いてイングランドの長弓隊へ突撃し、1時間で5000人の長弓隊は半分以上やられたに対しフランス騎兵は5名戦死しました。
こうやってオルレアンは完全に救われました。ジャンヌは村から出てきたばかりの小娘にもかかわらず、智勇兼備しかも運が強く、誰しも彼女こそ神が選ばれたフランスを救う英雄だと信じました。
当時の人はジャンヌが智勇無双と記録しているが、後世の歴史学者はほとんど信じでいません、彼女の役割は士気を高めることだけにあるだと、彼女の旗は彼女の剣より重要だと思われています。実際ジャンヌの絵も像も旗を掲げる様子がほとんどです。個人的ジャンヌの話はラノベの転生ものしか見えなくなっていますがw
とにかく、この後シェルル7世はジャンヌ護衛の元でイングランド占領下のランス城を親征し、ジャンヌ加護によりフランス軍は無敵状態が続き、ランスを解放しました。シェルル7世もランスで戴冠式を挙行しました。
次はパリ解放ですが、今回は神様が留守みたい。
1430年5月、イングランド軍は盟友であるブルゴーニュ公国と合わせ、ジャンヌ所在地を攻めました。ブルゴーニュ公国はフランス王家の分家ですが、ずっとフランスの正統を争っていたため、今回はイングランドと手を組んだわけです。
ジャンヌの兵力が少ないため、連合軍に負け城内へ撤退するつもりでしたが、門衛が敵兵を恐れて味方が完全撤退完了する前に門を閉め、殿(しんがり)をつとめたジャンヌはそのままブルゴーニュ軍の捕虜となりました。
数ヶ月後ジャンヌはブルゴーニュによってイングランドに売られました。イングランドの精鋭部隊はこんな小娘にやられたことに気にくわないため、彼女は魔女であるといい火刑に処されました。
彼女の死により、フランス人の愛国心が刺激され、イングランドへの反攻が加速。1453年、フランスのほとんどの領土が解放され、百年戦争が終結しました。
ジャンヌ死後、彼女に関する伝説が増え、まだ死んでいないとか、隠居されているとか、彼女の戦友は錬金術師となり彼女を復活させようとしているとか。1456年、ローマ教皇は彼女を復権し無罪と宣告した、500年後彼女を列聖し、最も有名な聖人の一人となりました。
フランスに行けばどこでもジャンヌ像が見られます、例えばサクレ・クール寺院(聖心大教会)の前にカール大帝像とジャンヌ像があり、上の銅像はルーヴル美術館前にあります。
近代以後、フランスはジャンヌのイメージを基づき、マリアンヌという女性像を作り、フランスの象徴として知られています。