ポルトガル帝国の衰退
イベリア半島にはスペインとポルトガルがあります、両国ともに強かった、世界を半々分け与えたぐらいです。
アメリカより南いわゆるラテンアメリカが全て植民地であり、そもそもラテンアメリカという名前の由来でもあります。スペイン語とポルトガル語ともにラテン語に属し、両国の言語も70%以上が通じます、方言に近いイメージです。この二つの国もよく一緒にされ、運命共同体でもあります。ポルトガルは一度スペインに統合された歴史すらあります。
ナポレオン時代、ポルトガルがフランスに侵略され、国王がブラジルに亡命(ブラジルはポルトガルの植民地)、ナポレオンが失敗した後、国王がポルトガルに復辟したが、王子がブルジルに残留しました。しかし、この王子はブラジル人の要求で独立しました。ポルトガルの9万平方キロとブラジルの800万平方キロと比べたら後者を選んだわけです。これはブラジル帝国ペドロ1世の誕生です。
この帝国は1889年まで存在しペドロ2世の時クーデターにより転覆され、共和制度が導入されました。しかし、ポルトガルにとって最も大きな海外植民地を失ったことにより国力が日々落ちていきます。カルロス1世の時短い復興の兆しが見えましたが、落日の輝きという表現が正しいでしょう。
カルロス1世は植民地である大西洋岸のアンゴラとインド洋岸のモザンビークを統合しようとしたが、イギリスの反対で断念しました。ポルトガルとイギリスは300年以来の同盟国であり、イギリスの反対を無視できなかった。しかし、ポルトガル国民から見ればこれは恥でしかなかった。
またカルロス1世が任命した首相がとんでもない独裁者であるため、国民からの信頼を失っていました。こんな状況で国内の打倒王政の動きが活発となり、1908年とある集会で国王と第一王子ともに暗殺され、幼い王子が即位しましたが、ポルトガルは既に革命の前夜にきました。2年後、クーデターが起き、700年の君主専制制度が終わりました。
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