『味覚』は成長のプロセスで形成されると、人生を少しだけ振り返る
肉食獣と化していた幼少期
ここだけの話になるのですが...、
実はボクの父は「海人(ウミンチュ)」で、オホーツク海の凍てつく寒さを現場にしていた。
そんな話をすると、「昔から美味しい海産物が食べれて羨ましいねぇー」ってな話なるのだが、半分は正解でもう半分は不正解と言わざるを得ない。
というのも、我が家には海産物は買うまでもなく食材として豊富にあったのを記憶するところで、本州のヒトからすると秋口に漁獲される鮭は、羨ましくてヨダレが滴れ流れるほどの新鮮味なのだろう。
その一方で、幼少期は肉食獣と化していたため、魚を体内に入れることを拒み続けた。
未発達な『味覚』
今となっては、「あんな新鮮なモノを...、もったいないことしたなぁー」と思うところだが、どうやらオホーツクの宝庫を楽しむための『味覚』は成長過程にあり、"地の利" を活かしきれなかったのだろう。
そのため、我が家の子供たちが「魚は絶対に食べたくない!」ということを口にすると、「好き嫌いはダメ!」と頭ごなしに怒鳴り散らすことはできず、それどころか「そだねぇー」としか言いようがないのが本音だ。
「メチャ栄養価が高いんだよ」と根気強く説明したところで、一撃で倒される無理ゲーであることはお察していただけるだろう。
我が家の肉食獣たちも、色々と旅をしてその土地の特産物を食べ歩き、30歳前後には「海産物が美味しい!」と思える『味覚』を GET してくれればと願っている。
つまるところ、幼少期の未発達な『味覚』は成長過程による経験をもとにアップデートされるため、形成されるまでには「時間」と「経験」が必要だということが理解できる。
成長とともに、美味しいものをたくさん食べれば、段々と「美味しい!」と思えるモノが増えるということで、当然ながら海産物に特定されたコトではない。
五感を育成して身体性の豊かさを手に入れる
さらに、コレは『味覚』だけに限った話ではなく、「五感」の全てに当てはまるコトだと思っている。
「視覚」であれば、「なんで、こんなテレビを見ていたのだろう?」と不思議に思うことは多々あり、「子供の時はこんな音楽聴いていたよな」となれば「聴覚」という具合に。
幼少期に聴いてた童話やアニメの音楽を、今更ながら自分の意思で聞くことはなく、一見すると「好みが変わったんだよネ」とも思えるのだが、『感性レベルがUPしたよネ』という捉え方もできる。
美味しいモノをたくさん食べて...、
芸術的な作品に触れる機会を増やし...、
素敵な音楽を飽きるまで聴いて...、
そうしていると、得られるものは沢山あり、ソレは豊かさの象徴になると考えている。
そんなこんなで、今日も都城でしか食べれない "鳥刺し" を食べようと硬く誓う九州遠征の4日目。