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【TED】ロバート・ウォールディンガーの幸福の研究から、「孤独と向き合うために必要なコト」

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タカミチです。

先日書いた以下の記事で、原始仏典「スッタニパータ 犀の角」から引用して、お釈迦さまの孤独との向かい方の教えをご紹介しました。

人生で最も困難な試練とは、「如何にして自分の抱える孤独を克服していくか」ということでしょう。

孤独について調べていると、アメリカの精神科医であるロバート・ウォールディンガー博士が携わった、「人生を幸せにするのは何?」というテーマで75年間に渡って724人を追跡した調査結果があることを知りました。

この方は、ハーバード大学の成人発達研究の責任者を長年務め、「何が人の幸せを築き、健康的な人生を送ることが出来るようになるのか」という事を研究されてきました。

ロバート・ウォールディンガー博士の講演(TED)はシンプルですが、僕が上手く伝えたいと考えてきたことと合致し、データとして裏付けてくれるものでした。

そこで、今回はロバート・ウォールディンガー博士のTEDを取り上げて、「孤独と向き合うために必要なコト」について考えてみたいと思います。

※TED・・・「広める価値のあるアイデア」というスローガンを掲げ、全世界の研究者等の公演をオンライン上で無料公開している団体です。


ロバート・ウォールディンガー博士の幸福の研究から分かったこと

ロバート・ウォールディンガー博士の「人生を幸せにするのは何?」という長年の研究から分かったことを、TED動画から抜粋して以下にまとめてみました。

第一に周りとの繋がりは、健康に本当に良いという事
孤独は命取りで、家族、友達、コミュニティとよく繋がっている人ほど
幸せで、身体的に健康で、繋がりの少ない人より長生きするという事が分かりました
友人の数だけがものをいうのではなく
生涯を共にする相手の有無でもないのです
重要なのは、身近な人達との関係の質なのです
親密で良い関係は、包括的に私たちに益になっているという教えは
今に分かったことではありませんね
何故そんな関係は築き難く、無視されやすいのでしょう
誰もそうですが、私たちは手っ取り早く手に入れられる
生活を快適に維持してくれるものが大好きです
人間関係は複雑に込み入っています
家族や友人との関係をうまく維持して行くのは至難の業です
その地道な努力は地味で
その上その仕事は死ぬまで続きます

幸せな人生を築ける人に共通していること、その結論は、「周囲との関係を良好に保てるよう、地道で地味な努力を続けて行く」ということです。

こうした人が、最も健康に長生きする傾向があり、80歳を超えても認知機能を失わずに、幸福を感じて生きている人が多いという研究結果でした。

その一方で、努力することを放棄して孤独に翻弄されることを良しとした人は、対極的に不幸な人生を歩む人が多く、早期に健康を害する人が多いのです。

ロバート・ウォールディンガー博士が「今に分かったことではありませんね」と、おっしゃるように、これは誰もが想像に難しくない研究結果ですね。

しかし、現代人の多くが意識しなくなった、最も重要なことを指摘しているテーマだと感じます。

このTEDで話された内容の中で、特に重要だと感じたのは、「人々は手っ取り早く手に入る心地よさ」に飛びついてしまい、「地味で地道な努力には注意を払わない」ということです。

ここにフォーカスを当てて、「地味で地道な努力に感じないための方法」について考えてみましょう。

現代社会の根底にある”勝ち組文化の末期症状”を静観しよう

多くの人は、「幸せとは何か?」というテーマに向き合った時、それまで野放しにしてきた人間関係の雑草が伸び放題になっていて、地道に草むしりを始めることに腰が重いと感じてしまうでしょう。

それよりは、何か美味しいモノを食べて満足したい、楽しいアクティビティをしてストレス発散したい、親しい人と気の向くままに遊びたい、など、目の前の楽なことに意識が向かってしまいがちです。

これは、掃除の行き届いていない自己の内面を見つめることを恐れる防衛本能もあると思います。

十数年、数十年と野放しにしてきた雑草地を綺麗にしていく作業は、それ相応の労力と時間がかかるので、そこに向き合うのは確かに大変なことです。

「今更、自分みたいな人間が、対人関係の改善に努力をしてもしょうがない」

このように、自暴自棄に考えてしまう人も少なくないでしょう。

この点も、ロバート・ウォールディンガー博士はTEDで示唆していますが、現代は「勝ち組になることが幸せ」という風潮が蔓延している唯物的な社会なので、自分を勝ち組だと感じることが出来ない多くの人は、自分を無力で無能な人間だと卑下してしまう傾向が強く成っています。

これはとんでもない間違いで、多くの人々は正常ではない歪み切ってしまった社会の価値観を、当たり前のものとして受け取ってしまっているように感じます。

本来なら、「勝ち組だと天狗になればなるほど、最終的に自己破滅につながる」ことを、お金に執着している現代人は気づかなければならないのです。

裕福になるのと同時に、他人に、社会に還元できる人はとても徳の高い人であり素晴らしいことですが、感謝することを知らない個人利益を追求するお金持ちはどんどん魔道に堕ちていきます。

そうした”勝ち組を笠に着るような人”を羨ましく思う必要があるでしょうか?

僕はむしろ、その人が背負わなければならない悪縁の業を考えると哀れに感じます。

なぜなら、感謝の念もなく、意のままに贅沢をして、欲望のままに生きることの真の恐ろしさ(畏ろしさ)に生きている内に気づかなければ、その人は死後に100%「取返しの付かないことをした」と後悔する事になります。

”今生”とは陰陽の”陽”の部分であり、誰しもが必ず人生の後半戦である”陰(死後)”に入り、”陽(今生)”で築かれた精神性だけを引き継いで挑まなければなりません。

その精神性に見合った次元に向かわなければならないわけですが、欲望に翻弄された人々の行く先は悲惨としか言いようがありません。

「死後の世界があるかどうか?」という議論は、僕は非常にナンセンスだと感じています。

ここ数百年の間ですら、あらゆる死後に関する体験、記録が遺されて公開されてきたにも関わらず、「観たことが無いので信じない」という一般論は、根本からして非論理的です。

「なぜ自分が観えないのか?」という理由・視点を放棄しているだけなのです。

ほとんどの人が死後の世界を知らない、根本的な理由を探究していないだけで、誰でも探究すればほどなくして死後の世界があると分かります。

今の末期の社会は約2600年前に、すでにお釈迦さまが”末法思想”として予言していた社会でもあります。

お釈迦さまは、文明の進化とともに行きつく「人間の性(サガ)の終着点」をも見通していたということですね。

でも、お釈迦さまが予言した”人間の性に支配された末期の人々”の登場は決して悪いことでは無いと考えています。

それは自然の摂理であり、人類が次のステージに行くために必要な過渡期だと感じます。

この辺りについては話が逸れるので、後ほど「タカミチの世見話」で触れたいと思います。

前置きが長くなりましたが、孤独を克服して幸せになるための「地味で地道な努力に感じないための方法」について考える時、この前提は有効に働くと感じます。

感謝の気持ちを膨らませていけば、孤独は克服していける

この”即物的な欲求を満たす”ことや、””勝ち組になること”が幸せの条件だと考えている社会の問題は、その”豊かな生活は誰のお蔭でもたらされたのか”ということを忘れてしまっているところにあります。

つまり、圧倒的に感謝が忘れ去られてしまった社会なのです。

お金を稼ぐことに価値を置きすぎて、生きていることそのものへ感謝をするという最も大切なことが忘れ去られています。

豊かさをはき違えた価値観に沿って幸せになろうと努力をしても、苦労をしてその豊かさを手に入れたところで本当の幸せではないのですから、本末転倒だと感じます。

そんな修羅の道を歩まずとも、本当の幸せを手に入れる方法は、もっと単純で簡単だと感じます。

それは、周囲の人へ少しずつ感謝の念を膨らませていくということです。

自分中心の考え方から離れる努力をして、他人が努力をしているから自分が生かされているという大前提に感謝をする生き方です。

感謝の念を深める努力をするということは、イコール自分を見つめ、孤独を克服するための自分探しをすることに直結します。

感謝の念が深まるにつれて、自然と幸せに感じる瞬間が増えて行くことでしょう。

そして、その感謝の念はいずれ神仏やご先祖様に自然と向かう事になると感じます。

「地道に努力をしなければ成らない」と躍起になるよりも、「ちょっとずつ色々なことへ感謝が出来る人間になって行こう」と意識するだけで大丈夫です。

その感謝の念は、暗い人生を照らし、「孤独とは何か?」ということを明らかにさせ、歩むべき道を照らしてくれることでしょう。

少しでも参考になれば嬉しいです😌


あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
明日も善い一日になりますように😊

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