「内観や心理学の手法を用いてホントの自分自身に気づきを得る実践的な学びに取組む」青山の手塚千鶴子さん
●ご挨拶と出演者紹介
三木:マインドフルマニュファクチャリングストリーミング第181回ということで、今日は青山の手塚さんをお迎えして色々なことを伺っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
手塚:はい。こちらこそよろしくお願いします。
●三木さんとの出会いについて
三木:手塚さんと私が最初にお会いしたのが、たぶん今年に入ってから西川(啓)さん
という方が企画いただいたバルネラビリティ研究会というものに参加した時に、たまたま横で一緒のグループになって、そこでのお話も非常に面白かったですし、様々な活動をされてることを知って、私も3月に逗子のワークショップに参加させていただいたり、そこで内観をさせていただいて、その翌日に母に会いに行ったという(笑)。
手塚:お花を(持って)。
三木:そうですね。
●これまでの活動について
三木:手塚さんの今までやってらっしゃったことを簡単にご紹介いただいてもよろしいでしょうか?
手塚:その前に自分のライフヒストリーですけど、私は戦後に満州で生まれまして、戦争で負けて無事に帰って来れるかどうか分からなかったようで、母は私をお腹にいて中絶を考えたらしいんです。同じように妊娠してらっしゃるご近所の奥様と一緒に産婦人科に行って中絶しようと思って、先生が色んな手術の機器をキレイにしたりしてる時に母は思い直してくれまして、1人兄が1年前に生まれてましたので、「この子だけ1人満州に残すのはかわいそうだ」って言って、それでようやく生まれてきましたので、自分の人生を考える時に、そういうエピソードは中学生ぐらいになってから聞いたと思うんですけど、友達なんかは「お母さんにそんなこと言われたら頭にきちゃうわ」って言われたんですけど、私はむしろその話を聞いて、亡くなる命だったのにそうやってこの世に生まれてこられたっていうのはすごくうれしいですし、感謝っていう気持ちで、そういうことが自分のこれまでの人生の中で、ある意味でポジティブな意味合いを持っていて、せっかくこうやって生んでもらった命を、大事にやっていきたい気持ちがずっと自分の人生に影響を与えてるのかなと思います。その母はすごく日本人としては“はっちゃかめっちゃか”なところがありまして、戦争中愛国人会とかそういう隣組でそれぞれお互い監視し合ってるようなのがありましたよね?うちの母は結婚して戦争中満州に行ったんですけど、結婚する前戦争の暮らしに嫌気がさして、友達と何人かで家でジャズをガンガン鳴らしてすき焼きパーティーをやるような母だったんですね。
宇都宮:すごい先進的な。
手塚:はい。それでその母から生まれた割には、私は3人兄弟の真ん中なんですけど、非常に優等生で冒険はしないしおとなしくて、兄はやんちゃで色々悪さをするのでそういうことはしてはいけないみたいに感じてたんです。だから自分の思春期を考えると反抗期が全然なかったんです。
三木:あ、そう?全然?
手塚:ええ。それですごく単純に自分は良いお嫁さんになるのが自分の幸せかなと。大学にはちゃんと行って勉強もしたんですけど、そう思ってプリンスチャーミング(白馬の王子様)を何とかゲットしようと思って、恋愛は苦手だったので何ともおとなしい今考えるとぼーっとしてた子だったと思うんです。
三木:大学では何を?
手塚:大学では英文学というか地域研究だったんですけど、その中でイギリスの文学で『ロード・ジム』(ジョセフ・コンラッド作)っていう
イギリスの青年が東南アジアに冒険を夢見て行くっていうちょっと変わった小説で、それを卒業論文でやったんですけど、一応英語は勉強しましたと。でも当時私の友達でキャリアを目指して頑張ってる女子学生もいたんですけど、私はもうお嫁さんになるのがいいかなと思って、自分で相手を見つけられなかったものですからお見合いをこの指に余るくらい致しました。ところが好きになると断られるんです。それで「いいですね」って言ってくださるとこっちが気が向かないっていうことで、それで卒業して8年経って30歳の時にようやっと「あ、これはちょっと自分はおかしいな」と。相手にばかり求めていたので、「これはちょっと違ったかもしれない」って初めてその時に気がついて、それでその前からカウンセリングの勉強を民間の研究会みたいなところでやったんですけど、「こうなると結婚もできずに独り身でこれからの人生過ごすことになるかもしれない。何か身に付けなくっちゃ」と思って、それで30歳の時に大学院に入り直して。
三木:僕も28歳で。
手塚:同じようなものです。
三木:その時は心理学でしたっけ?
手塚:教育心理学のほうに入り直して、でもやってるうちにカウンセリングっていうのは海外から輸入されたものがほとんどだったんです。(カール)ロジャーズとか精神分析もそうですし、色んなものがほとんど西洋からで、まだ今のように臨床心理学とかカウンセリングの立派なプログラムがどこの大学にもなかったんです。それでアメリカのミネソタ大学のほうに35歳で、父には「お前は自分の歳をいくつだと思ってるんだ!」って。
三木:でもよく両親がそれを許していただいたというか…
手塚:母が「宝石とか衣裳とかお金で買えるものはなくしたり色んなことがあるけど、教育は自分が身に付けたら奪われることはないからいいんじゃないの?」って目を三角にして怒った父を説得してくれまして。
三木:35歳から博士号を取るまで何年ぐらい?
手塚:5年かかってます。そこで自分の甘えにアメリカに行って、甘えさせてくれない文化ですよね。自立、自尊の文化でいかに自分は甘えてるかっていうことに気がつかされて、それで甘えの研究をしようとしたんです。
三木:博士論文は甘えの?
手塚:論文は甘えについてだったんです。
三木:甘えっていうのはアメリカではどう捉えられてますか?
手塚:当時土居健郎先生が『甘えの構造』っていうのを書かれて、
それが英語に訳された時に『anatomy of dependence』=『依存の解剖学』『依存の構造』みたいに訳されたためにdependenceって言われたんですけど、実際にはそれとは違うもので、もっと依存と自立と対立するようなものじゃなくて、大人になっても健康に甘え、甘えられる関係っていうのは大事なんだっていうことを許容する文化だと、日本の場合は思うんです。
三木:日本の場合は。その論文はアメリカで出されたわけですよね?
手塚:その大学に出しましたけど。
三木:評価というか、アメリカ社会の中でそういう…
手塚:行ったのが80年で日本は高度経済成長の時期でしたので、割合甘えっていうことに対して、甘えが許容されない文化の中で色んなものを感じてらっしゃる方とか、それからアメリカ文化を再検討しよう、多文化の人の意見に耳を傾けようって人がその大学は結構いたので、最初は「何でお前は大人なのに甘えなんて子供っぽい概念を取り上げるのか?」って指導教授に…
三木:指導教官の方のお考えは少し違う感じ?
手塚:もっと依存っていうネガティブな面で見てたので、私はそれに対して甘えすぎたり不健康な甘え、しがみついたりひねくれたり色々ありますよね。恨みにも転換しますから。「そういうものではない、お互いが人間関係を絆をベースにして甘え、甘えられる関係を大事にするっていう考え方もあるんだよ」っていうことを言いたかったんです。それはアメリカ人に理解しやすいようにソーシャルサポートという概念に乗っけてやったりしたので、「あ、そういうこともあるかな」ってなりました。
三木:それで学位を取られて三田のほうに戻られて?
手塚:カウンセリングの授業の実習を留学生相談センター(International Student Advisors' Office)で留学生のカウンセリングをやったんですけど、その場を提供してくださった方が「日本の色んな大学にこういう日本から来てる学生がPh.D.を終えて帰ろうとしてるから」って言って就職口がどっかから出てくるように手紙を書いてくださったんです。それがたまたま大学の国際交流担当の留学生相談センターの事務長をしてる方のところに行ったので…
三木:それでうまく…?
手塚:当時大学の中でもかなり留学生の数が増えてくる…
三木:85年ぐらいですか?
手塚:帰って来たのは80年だったと思います。それで大学のほうで国際教育交流担当の事務と留学生のカウンセリングと、それから留学生が日本で元気にやっていけるような、日本での異文化適応を支援するような授業とこの3つをやるっていうことで三田のほうでしばらくやって。その後湘南藤沢のほうに今度英語のインテンシブの授業をする人がほしいっていうことでそちらに通算6年いたのかな?
三木:藤沢にですか?
手塚:藤沢のほうに。それでまた三田のほうに帰って来て最後までずっといまして、湘南藤沢に行く時に職員ではなく教員ということになりましたので、帰って来た時も教員で、主にカウンセリング担当と留学生と今度は日本人学生が一緒に交流し合って、日本人も今は結構若い人はあちこち行きますけど、交流の場がなかったのでそういう交流をして、留学生も日本人と知り合って良い友情関係を持っていただいて、なおかつ三木さんも海外に行ったりするとお感じになると思うんですけど、自分と違う感じ方とか考え方とか価値観とか行動とかに出会うと自分を振り返りますよね。甘えさせてもらえないっていうカルチャーショックから甘えの研究に入ったんですけど、そういう多文化とか異文化に出会うことによってお互い自分に気がついたり、自文化に気がついたり、それは場合によっては自文化の縛りに囚われなくてもっと自由に生きてもいいようなスペースって結構海外の人と出会ったりすると「あ、こういうこともあるかな」ってなるじゃないですか。そういう日本人学生にとっても留学生にとっても学べるようなそういう場をカウンセリングの場合もそれから授業の場合もやってたんです。でもその留学生相談センターっていうのは日本語の先生方が主で私1人だけだったんです。それが途中から日本語の先生方は日本語を教えるっていう自分達の職業的なアイデンティティを大事にしたいっていうことで、日本語・日本文化教育センターっていう風に改組されたんです。そうすると同じ学生を教育したりしてもそれはある種の異文化コミュニケーションでもあるんです。それで熊倉(敬聡)先生とか熊倉先生のお弟子さんの坂倉(杏介)さんとか何人か日吉の教養研究センターが立ち上がったんですけど、そこで「無機的な教育環境ではなく、もっと学生達が積極的に参加して、頭だけでなく心と体も全部使うような実験授業みたいなのをやりませんか?」みたいな。
三木:それは何年ぐらいですか?2000年に入ってから?
手塚:それはたぶん2000年に入ってからだと思います。それで日吉の身体知の実験授業っていうのに加わって、そこで熊倉先生は座禅のお坊さんを連れて来たり、座禅の授業をしたり、みんなでドラマを作ったりコラージュと連歌、朗読、ダンスムーヴメントを通しての表現など…
三木:いいですね。
手塚:私も一応お母さん役で授業に出たり、それも学生達がメインで脚本を作ったり面白いことを…
三木:授業はまだ続いてるんですか?
手塚:たぶん今も続いてるとは思いますけど、担当されてる先生も色々変わってらっしゃるし、熊倉先生もお出になられたので今どんな風になってるか分かりませんけど、たぶん何らかの形で続いてると思うんです。
三木:ずっと留学生のカウンセリングをされてたっていうお話があったと思うんですけど、時代の流れと共に学生達の悩みもたぶん少し変化してるんじゃないかなと思うんです。
手塚:そういう意味ではあまり変化はなかったと思います。
三木:どういう悩みが多いんですか?
手塚:まず留学してくるっていうことはちょっと自分を振り返ったり、自分探しで自分のバックグランドのあるところとか両親のもとを離れて、自分を知らない全然別の文化に行って生活したいっていう想いがあるので、基本にモラトリアムの心性があるのと、多くの場合親との間での葛藤とか、幼少期のちょっと変わってるユニークな子っていうことでいじめられたりとか、そういうある種の傷を抱えてるような…
三木:…方が多かった?
手塚:カウンセリングに来る方はね。カウンセリングに来ないでうまく日本人の学生達となじんだり、先生ともうまくいってやる人がほとんどですけど、カウンセリングに来る子っていうのはすでに日本に来る前に何か元になるような種を持ってるという…
三木:傷…心の何か。
手塚:傷を負ってみたいな、例えばある子なんかは全然ガールフレンドができなかったと。日本に行けば日本人の女の子に白人の男性はモテるっていう話を聞いて(笑)。
三木:彼は白人の男性だったんですね。
手塚:白人の男性だったんですけど、白人の男性でも彼の場合は元々非常にシャイだったんです。だからたぶん日本的なものに惹かれたんだと思うんですけど、日本にやって来てもモテない(笑)…
三木:っていう相談に乗ったわけですね。
手塚:そういう話はありました。それでそのうちに身体知の熊倉先生達の有志の教養研究センターのメンバーが中心になって「三田の家」っていうのが始まったんです。
三木:それをちょっと後半に伺っていきたいです。
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●三田の家・芝の家の活動について
三木:三田の家とか身体知ということなんですが、
我々のビジネスの現場にいて、特に大企業が非常にイノベーションを起さなきゃっていう流れにはあるんですが、全く起きてるようには思えない。組織がヒエラルキー型の中で特に卓上で色々思考することが多くて、身体知という体から出てくる知というのが非常に欠けてきてるのかなと思っています。イノベーションを起こすには何らかの身体知、あるいはお互いの甘え、弱さを見せるような組織づくりがビジネス界では今ようやくこの数年叫ばれていて、『ティール組織』っていう本が出版されたりしてるんですね。
具体的には数値の管理とかではなくて、ある程度権限を委譲したりして、それぞれのユニットが1つの大きな社会を作るために自律的に活動することで、環境の変化に対応しやすくなったりとか、イノベーションが起きやすくなるという組織論の本です。その中で身体感覚という、あるいは思考的にも仏教思想に近いものが入ってたりとか、それが欧米で2年ほど前に非常にブレイクして、日本が求められているのはそういった身体知ですとか、あとは権限委譲、ホラクラシーっていう考え方とかっていう言葉が盛んに言われている中で、新しい学習方法としても身体知とか、あとは地域のつながりとしてのコミュニティですね。そういった意味ではずっとやってらっしゃったことはすごい先駆的な試みなんじゃないかなと思いまして、三田の家の活動から今どんなことをされているのか。
手塚:三田の家は熊倉先生とか坂倉さんとか社会学の岡原(正幸)先生とか色んな先生が集まって、大学の無機的な教室ではなくて一緒に食事もしながら、しかも一軒家で昭和30年代ぐらいの、外を見るとおんぼろなんですけど、中はすごく良い普請で、そこを坂倉さんがちょっとリノベーションをして、大きなテーブルを作ったり、キッチンもカラフルな仕様にしたりして、まず環境を整えて。場が大事だっていうコンセプトがまずあって、入って来る学生達も「おばあちゃん、おじいちゃんの家に来たみたい」とかっていう何か温かい懐かしさみたいなものを感じる空間だったんです。私は参加しなかったんですけど、最初からそういう空間をリノベーションする時もボランティアが参加して作って。
三木:それは大学の予算で?
手塚:教養研究センターのほうでそれをサポートしてくれたんです。だからサポートを得るためにはちゃんとコンセプトとかは熊倉先生とか坂倉先生とかがやってくださいました。キャンパスから歩いて3分くらいのところで、地域連携もコミュニティの人達も来られる、学生も来られる、全然関係ない人も来られる、そういう柔らかな緩やかな交わりの場で、それぞれ大学の授業の中ではやれないような色んな身体知に根ざした面白い授業をやりましょうと。実際にそこの場所で授業をやっちゃう先生もいたわけです。映像を作ったり、セクシャリティの問題も女装した人をお招きするとか、日ごとに日替わりマスターということで、曜日ごとに違う先生が担当することになったんです。私は最初は火曜日で、途中から月曜日担当で最後は7年間続いたんですけど、私の話で言うと、カウンセリングもやってたんですけど、欧米系の学生はカウンセリングに対して割とオープンに来る人もいるんですけど、それでも授業なんかを見ていてだいぶ大変かなっていう学生はいるわけです。
三木:授業についていけてないっていうことですか?
手塚:授業での振り返りのペーパーとか宿題を出すんですけど、その授業も心理教育的支援を目的にしたような知識を集めるのではない、自分の振り返りを支援するような構成にしてあったので、何となく授業の様子とかグループディスカッションしてる時の様子とか描いた絵とかコラージュとかペーパーを読むと、ちょっと大変そうだなっていう学生は…
宇都宮:心理状態が…?
手塚:はい。色々な課題を抱えてるなっていう学生もいたんですけど、カウンセリングに来るかっていうと必ずしも来てくれないので…
宇都宮:「カウンセリングしませんか?」って言いづらいですもんね。
手塚:よっぽど大変な場合は声をかけたほうがいいんでしょうけど、それぞれの学生の気持ちがあるので、そういう時に授業の中でなるべくカウンセリングに来なくても振り返りで自分を見つめて自分なりに解決できるようにっていうのは頭のどこかに入れて授業をやってたんですけど、交流の場を作って誰かと一緒に出会ったりプレゼンテーションをしたり言いたいことを言ったり、それから日本のことを、それこそ藤尾(聡允)住職とか、それは宗教のセッションを作りたいっていう角田(善彦)さんっていう色々月曜日手伝ってくれた人が色んな人を呼んでくださったんですけど、そういうサポートしてそれぞれの学生達が日本にいる間に成長してほしいみたいなそういう場です。東北の震災の時に被災地に行って協力した人とか、パレスチナに行ってパレスチナの人達のボランティアをした人とか、シリアのアラブの春が始まった時に出身地のシリアにボランティアに行って、その時のすごい緊張感を感じた人が話をしたりとか、国際交流というコンセプトには縛られない多様な体験をしている人達が発表したい人は発表するし、こちらから声をかけることもあります。
三木:そこにこの間お話を伺った逗子の井本(由紀)さんとか?
手塚:そうです。
三木:横須賀の藤尾(聡允)住職とか?
手塚:そうです。藤尾(聡允)住職は宗教のセッションで来て、井本さんはその前に外国語教育研究センターで私が会議に出たことがあって、その時に井本先生が研究員で来てらして、そこで知り合って「三田の家ってやってる」って言ったら、彼女も色んなフィールドワークをやってるので、あの場も井本先生にとっては面白いフィールドだったみたいで。
三木:それから三田の家と芝の家といくつか展開されたんですよね?
手塚:そうです。三田の家でスタートして、それで歩いて2、3分のところに別の場所を作って、そこはもうちょっと地域の人達をメインに取り込むような、おじいちゃん、おばあちゃんとか、子育て中の人とか、あそこでは食事はどうしてたのかな?三田の家は私の月曜日は必ず食事をして。
三木:食事を作る方はどなたなんですか?
手塚:私が作ってるんです。
三木:そうなんですか?
手塚:みんなあまりお金がないからお金は自由と。「今日は先生200円」って言う人もいたので、だいたい3,000円~4,000円の間で全部賄って、でもその中に時々チュニジアから来た人がチュニジア料理をやるとか、トルコのエイブルさんがアシュレっていうすご~く甘いお菓子を持って来てくれて、イスラムの話をしてくれたりとか。
三木:面白いですね。スタンフォード大学の重松先生がスタンフォード大学の中でハーモニーハウスっていうのをやってらっしゃるんですけども、そこは大学のキャンパスの中にあります。行かれたことありますか?
手塚:スタンフォードは行ったことありますけど、ハーモニーハウスには行ったことないです。
三木:そこは本当に普通のお家なんです。キャンパスとは違う一軒家なんですけど、色んなエスニシティの方が集まって、アメリカ社会の中で色々心に傷を負ったりとか、移民の方でスタンフォードに辿り着いて色々ある人が対話をするみたいなところがあって、たぶん三田の家では一緒に料理を作ったりとか、もっと外部の人もみたいな、1つのパッケージ化されてるのが三田の家なのかなと。
手塚:月曜日はそういうスタイルでやってました。18時ぐらいから集まって、ご飯を食べてからプレゼンテーションとかやって、毎週片づけはボランティアで最後洗ってくれる人もいるし、もちろん料理も手伝ってくれる人もいるんですけど、だいたい23時とかそれくらいの…(笑)。
三木:結構遅いですね。
手塚:何となくそこでメインのプレゼンは終わるんだけど、こうやってスマホでやり合ったりして。日本人の学生は授業中はほとんど英語を最初のうちは喋らないようなシャイな学生だったんです。そしたらある留学生と知り合って気が合って、ピアノのコンサートか何かを杉並公会堂でやって、それからまた留学して大学院にも行き。
三木:そういう本当の意味での国際交流っていうのはたぶん大学の中では難しいからあえて外にみたいな話でしたっけ?
手塚:授業の中で知り合うっていうことで可能ではあると思うんですけど。
三木:寝食を共にするみたいな、同じ釜の飯を食べるみたいなところとは…
手塚:ちょっと濃い…
三木:そういう三田の家とか芝の家みたいなところで展開するという。
手塚:そんな感じでした。
三木:コミュニティ作りというところで、大学と地域っていうのはどこか敷居があるので、そういう中間的なサードプレイスだとすごい交流が深まっていいなと思ってるんですけど、マインドフルシティ(鎌倉)を作る上での色々参考にさせていただければと思います。
手塚:熊倉さんとか坂倉さんにぜひ。
●井本さん、小木戸さんとのご活動と内観療法について
三木:井本さんと小木戸さんとやられているユニットというか…
手塚:Contemplative Learning Network(CLN)とか言いますが、3人組で。
三木:私も参加させていただいて、井本さんのワークの最初の流れがあって、内観があって、小木戸さんのシアターワーク、このすごい素晴らしいミックスが色んな効果をもたらすっていうのを体験させていただいたんですけど、内観っていうのはずっと前からやられている?
手塚:はい。元々アメリカに行く時に臨床心理のお世話になった先生が「アメリカでカウンセリングを勉強してもそれを右から左へすぐ輸入することはできないよ」と。それで「日本人の精神性っていうか心理みたいなものを向こうに行く前に一度経験した方がいいし、日本の風土で生まれた心理療法っていうのを経験したほうがいい」って言って内観を紹介していただいたんです。
三木:ワークショップの時に留学生に内観をお勧めしたら、一部でリジェクト(抵抗)があって。
手塚:一番最初ですから、もう30年近く前に授業の中で内観の「自分にとって大事な人との関係を、お母さんをスタートラインにして小さい時から現在までをしていただいたこと、して返したこと、ご迷惑をおかけしたこと、この3点について振り返るんだ」って言うと、まず「ご迷惑をかけられてることを振り返らないっていうのはアンフェアだ」って言うんです。「自分はたくさんご迷惑をかけられてるはずだ。それをこの心理療法、内省法の中で振り返らないっていうのはおかしいじゃないか」っていうのが1つと、あと他の(カール)ロジャースにしても精神分析にしてもユング派にしても、ノンバーバル(非言語)なものも使いますけど、メインはトークですよね。集中内観の場合は1週間泊まり込みで自分でずっと想起するわけです。途中でガイドが入るわけですけども、基本は静かにやるんです。だからアメリカ人の文化人類学者はそれを経験して、『quiet therapies』っていうことで禅も紹介してるんですけど、「そんなことは耐えられない」と(笑)。
三木:おそらく禅に近いものかなと思っていて、我々も座る中で自分の内観をすることが多々あるんです。
手塚:自然にそうすることはありますよね。30年ぐらい前に最初に授業で話をした時にこれはちょっとまだ使えないなと思って、実際に留学生にやってもらわなかったと。
三木:スタンフォードのほうでやっている重松先生のワークは結構近いものがある気が…基本は対話をベースにしてますけど、たぶん内観的な部分もあるんじゃないかと。
手塚:たぶんそうだと思います。私もまだマーフィ先生の本をじっくり読んでないですけど、私自身がアメリカに行く前に1週間内観して、それから2回ぐらい1週間ぐらいの集中内観をやってて、色んなことが整理されてある種爽やかになったり、ちょっと絶交しちゃった関係性とかあったんですけど、「もしかしてこういうことだったかな?」ということも分かったし、相手の立場にも立てたのでこれは貴重かなと今になって思うんですけど、最初にリジェクトされてから10年ぐらい経って、日本人の心理学というタイトルの授業の中で甘えの紹介もしますけど、内観をやって、内観がかつてよく言われてたのは素直な心を生むことをゴールにする、そういう流れの中でミニ内観を実際に授業でやって、コラージュをやってもらったり、絵を描いてもらったり、ディスカッションをして最後にリフレクション・ペーパーを書くということをやると、最初は「え~」とかって言うんですけど。
三木:日本人の学生?
手塚:両方。だけど留学生の中に「こういう視点から考えたことはなかった」って言って、結構日本人学生よりも振り返りが非常に分析的だから、すごくその後も自分なりに深く考えて、「英文A4で7、8枚でいいよ」って言うのに20枚ぐらい書いてくる人とかあるので、特に留学生の場合には親元を離れてるので余計振り返りが深くなるのかな。
宇都宮:素直っていう概念ってどういうことなんですか?
手塚:難しいですよね。
宇都宮:唯々諾々と受け入れてる状態に思いがちじゃないですか。
手塚:それは留学生も素直を単純に英語でobedienceとかcomplianceとかっていう風に訳してしまうと唯々諾々として「何でこの人の言われたことを…」
宇都宮:素直な良い子っていう…
手塚:そうそう。「先生、僕の国ではそういう人は弱いパーソナリティで裏切られたり騙されたりそんなことになります。素直な人は批判精神がないんです」って言うんですけど、素直も甘えもすごく色んな要素を持っていて、自分の中の自分に対峙している場合の素直っていう次元で捉えることもできるし、他者関係の関係性の中で捉えることもできるし、河合隼雄さんなんかは自然に対しての素直みたいなことを言ってらっしゃるんです。
宇都宮:あるがままをとか、囚われないみたいな形で。
手塚:だから自分自身と向き合ってるレベルで言うと、マインドフルネスに近づいてくると思いますけど、何か自分の中にあるものをないかのごときに否認したり、抑えつけたり、否定したりせずに。
宇都宮:普通弱いと守ってしまいますよね。その中で鎧を解きほぐすというか…
手塚:だからバルネラビリティを受容できるような心の状態っていう風に…
三木:ビギナーズマインドっていう、初心の心ですね。
手塚:それが1つと、他者との関係では別に批判的思考力がないっていう意味ではなくて、一旦自分を空にして相手の意見を聞ける、それを取り入れるかどうかはまた違うと思うんですけど、ただ親が子供に素直に育ってほしいっていう時は割合と親の言うことを何でも聞いてという風にも現実には使われると思いますけど、そういう風に非常に広がりのある概念だと思うんです。だから最初はもう留学生はう~んっていう感じで。
三木:受け入れ方が日本人と留学生は違うっていうのはすごい面白いというか、文化的な背景で…
手塚:すごい面白かった。色んな素直な話をしたり、ちょっと論文を読んだり。村瀬(孝雄)先生っていう先生が素直を外国の心理療法の学会で英語で説明するわけです。元々土居(健郎)さんは国際学会とか国際的なジャーナルに甘えを説明しようとして投稿してるんです。日本語の『甘えの構造』は1972年なんですけど、1950年代からそういうことをやってらっしゃる。だからすごい甘えに対してのカルチャーショックがあって、何とかしてこれを分かってもらおうとしてそういう積み重ねをいくつも英語でペーパーを書いてらっしゃるんです。
三木:それで今があるという感じですね。
手塚:そう。20年ぐらい経って日本語でやって、だから今はbehavioral scienceの辞書なんかにたぶん甘えっていうのはそのまま載ってると思うんです。素直がそこまでいってるかっていうとそうではないんですけど。
宇都宮:僕らのzenschoolとかでやってることに創造力とかっていうのも素直と密接につながってきてて、受け入れてしまわないと本当のクリエイティブが出てこないっていうのがあるので、どうやって素直になるのかっていう方法論がすごく色々多岐に渡って人によりますよね。それこそ身体知の部分ですよね。
手塚:入ってくると思うし、東洋文明の中での自然観とか、西洋文明は自然と人間が対決して自然を人間がコントロールするっていう、それはそれでいいけれども。
宇都宮:二項対立の先ですよね。日本だと東洋だとそこが融合しますよね。
手塚:はい。融合することのポジティブな面もあるし、しがらみっていう形でその人らしさが抑制されてしまうっていうネガティブな…
宇都宮:なかなかニュートラルって難しい。中庸って言うのでしょうか…
手塚:難しいですよね。だから使う人自身によって素直っていうのをどういう意図で使うかにもよりますよね。
●手塚さんの考える「日本の○○の未来」に対する想いについて
三木:手塚さんの考える「日本の○○の未来」、○○は自分で入れていただいて。今やってらっしゃる教育の未来でもいいですし、今やってらっしゃるユニットの世界がどういう風に展開をするかっていうことでもいいですし。
宇都宮:世界が素直を求め始めてるとかそんな感じの未来でも。
手塚:私日本でも世界でも人が将来これからもっと素直になってほしいという部分と、怒りにもすごく興味があるんです。怒りを自分も含めてもっと建設的に生かせるようになる未来があったらいいなと思っております。
三木:面白いですね。怒りの可能性。
宇都宮:アンガーマネジメントみたいな感じとも違うんですか?
手塚:マネージメントするのはアンガーの悪い点に焦点を置いて、それをいかにコントロールするかですけど、怒りはポジティブな面もあると思うんです。
三木:行動的な。
手塚:世の中の不正に対して怒ることもそうですし、人間関係の中で怒ることもある部分それこそ創造性にもどこかでそれをうまく生かせる…
宇都宮:ある種破壊ですよね。シヴァ神とか不動明王みたいな。
手塚:そうです。興福寺の阿修羅像のような何ともいえない切ない…
三木:切ない怒りですね。それが文明を突き動かす次のステップと。
手塚:かもしれないし、癒しにも通じてるのかなと。
三木:怒りのポジティブな面をどう活用していくかっていう。
宇都宮:(怒りは)備わってるわけですもんね。ないわけじゃなくて。
手塚:人間誰でもあるんですよね。だから自分も怒りと付き合うのは苦手なんです。だけど特に日本ではネガティブな怒りのほうじゃなくて、もうちょっとポジティブな怒りとの付き合い方とか生かし方みたいなものができるようになったらいいなと。
三木:それは僕らにない観点だったのですごく面白いですね。
手塚:慈悲とか慈愛とかそういうのもものすごく大切なんですけど、もう一方で怒りにも心惹かれております。ちょっと分裂しております。
三木:両方必要っていうことですね。世界を創っている陰と陽という。
手塚:そうかもしれませんね。いじめを考える時にも、怒れないでいじめられっぱなしになる人もいますよね。当然怒ってもいいはずですよね。
宇都宮:怒らないのは不自然ですよね。自然っていうことですよね。あるがままっていう。
三木:ちょっと流行ってるNVCとか、Nonviolent Communicationということがありますけど、
それは別にポジティブなことじゃなくて、その人のその時の感情をそこで共有して、対話していくっていうアプローチなので、そこの中には当然怒りの感情ってあるけど、それを対話していくっていうアプローチもあってすごい面白いです。
手塚:日本でもそういうことを?
三木:それは結構流行って、若い人に。
手塚:どういうところで流行ってるんですか?
三木:社会活動をされてる方とか、最近では企業とかもNVCとかやってる。
手塚:そうですか。ちょっと勉強してみます。
三木:本日は青山の手塚さんにお越しいただきまして、共通のお友達も多くて、重松先生とか井本さんとか藤尾(聡允)住職とか、これからも色々ご一緒させていただければと思います。どうぞよろしくお願いします。
手塚:はい。ありがとうございました。
対談動画
手塚千鶴子さん
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