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名作「どろろ」は「ゲゲゲの鬼太郎」を安易に真似ただけの作品なのか?解説


今回は手塚治虫の大人気作「どろろ」の深堀り解説いたします。

本作誕生のキッカケが「ゲゲゲの鬼太郎」に嫉妬したからというのは有名なエピソードですが果たして「どろろ」は安易に真似ただけの作品なのか??今回は水木しげるとの関連性を深堀りして
「どろろ」の本質に迫っていきますので是非最後までお付き合いください。




暗くダークな世界観を持つ「どろろ」手塚作品の中でも「火の鳥」「ブラックジャック」に匹敵するほどの人気作。
手塚先生自身も認めているように「ゲゲゲの鬼太郎」に
影響を受けて描かれたものであることは間違いありません。

手塚先生曰く

『墓場の鬼太郎』を見たあまりの衝撃に
ひっくり返って自宅の階段から転げ落ちた

という嫉妬に狂ったエピソードもあるほど影響を受け散らかしております。
ただこの一連のエピソードを「はいそうですか」と流してしまっては、もったいありません。なぜならこのエピソードの中にこそ手塚治虫の凄さ、面白さが凝縮されているからです。

まず「どろろ」の連載開始は1967年の8月
一方「ゲゲゲの鬼太郎」は1965年「少年マガジン」にて読み切り作品を発表しました。
貸本時代を含めるともっと前から他誌で描いてはいますが
今回は「どろろ」との比較なので「少年マガジン」掲載から辿ります。

「ゲゲゲの鬼太郎」は「どろろ」の2年前から連載が始まっており
この時点ではタイトルは「ゲゲゲ」ではなくまだ「墓場の鬼太郎」で月イチペースの不定期掲載でした。


掲載開始当初は全く人気が出ず2~3年の間、人気投票は万年最下位という低迷ぶり、元々3話で打ち切られる予定とも言われてた作品でしたが
当時就任したばかりの「少年マガジン」編集長内田さんが水木先生に白羽の矢を立てていて、めちゃくちゃ贔屓にしています。

編集長権限で売れるまで根気よく使い続けること実に3年以上。
3年ですよ。3年。
ちょっと普通じゃあり得ない優遇ぶり。
こんな露骨な贔屓が成立しちゃう時代もすごい事でありますが
この特別待遇をゴリゴリに利用して水木先生と内田さんの二人三脚で作品をテコ入れし、1967年5月にようやく正式な連載を勝ち取ります。

そして同年11月12日に「墓場~」から「ゲゲゲの鬼太郎」へとタイトル変更となり翌1968年1月にテレビアニメの放送が始まり本格的な妖怪ブームを巻き起こしていきます。

…さて、ここで可笑しな事に気づきます。

「どろろ」の連載開始が1967年8月で「ゲゲゲ」のタイトル変更が11月
つまり手塚先生は「ゲゲゲ」になる前に嫉妬していたことになります。

ここから見えてくるのは手塚先生は
成熟した妖怪ブームに嫉妬して後追いで「どろろ」の連載を開始したのではなく実はその前段階から嫉妬していたことになります。

これはなかなかにスゴイ事です。
漫画家としても文化人としてクリエイターとしても頂点にいた手塚治虫が
ブレイク前の作品に対して嫉妬に狂ったという超ド級の嫉妬エピソードではないでしょうか。
また、それと同時に凄まじい先見性があったとも言えます。
手塚治虫が嫉妬すると必ずヒットするという逸話もありますが
それはやはり作品の本質を見抜いている裏返しに他なりません。
数々の嫉妬伝説を持つ手塚先生
流行りや人気を追いかけているだけの嫉妬ではなくしっかりと作品の内容を理解し作家の才能に惚れ込んだ嫉妬であることが分かります。

そんな手塚先生を嫉妬させた「ゲゲゲの鬼太郎」を「週刊少年マガジン」が根気強く育てた逸話が伏線として面白いのでご紹介しておきます。

内田さんと言えば「マガジン」黄金時代を築き上げた伝説の編集長
当初人気がなく暗くて垢抜けない絵柄、作風だった「鬼太郎」に対し
「鬼太郎のキャラクターが可愛くない。
もっと親しみやすい丸顔にしてはどうか。楽しい妖怪漫画にしよう」

と提案したことでそこから作風が徐々にポップになっていきます。

次にとにかく子どもはバトルものが大好きなのでとバトルものを提案。
本来、水木先生は、バトルものなんて全然好きではなかったのですが、
編集のアドバイスを元に妖怪退治ものへと変貌させていきます。

さらに、ねずみ男や、砂かけ婆、など鬼太郎を中心としたチーム構成で
妖怪を倒す仲間ものにも変えていき
明らかに子供を意識した作風へと変化させ人気を獲得していきます。
そして
テレビアニメ化に際しタイトルに「墓場」はまずいだろうと「ゲゲゲ」に改名したりするなど「鬼太郎」のヒットの裏にはこの内田さんの力があったのは間違いありません。


さぁ、ここでピンと来た方は相当の手塚通です。

そうです
内田さんとは、あの「W3事件」で怒り散らかし「脱手塚」宣言を掲げたあの内田さんなのであります。
「手塚治虫許さん」と言って「週刊少年マガジン」が完全に劇画路線に舵を切ったあの内田さんです。
その内田さんが手塚治虫を倒すためにしぶとくしぶとく水木先生を育て
そして手塚治虫を嫉妬させるという執念。
この因縁といいますか「マガジン」対手塚治虫のバトル。
最高です。

この「W3事件」についての詳しい詳細は別記事にてどうぞ。


そもそも「劇画」とは手塚治虫へのカウンターカルチャーから生まれたものなのですがその本家手塚がカウンターに引っ張られる異質さが一周して狂おしいほどに面白い。

手塚治虫を中心としたいわゆるトキワ荘グループが大手出版社の少年雑誌で
明るくポップな少年漫画、いわゆる王道路線を突っ走るマンガを描いていて
その対抗としてアングラだった貸本劇画出身の作家たちが「打倒手塚」路線で打ち出したのが「劇画」という表現形態。

この「劇画」が後にマンガ界を席巻するようになっていき
その筆頭に「月刊ガロ」とか「週刊少年マガジン」などがあり
「手塚」対「劇画」という構図が生まれるわけですけど
手塚先生はこの対抗勢力に対し自身が確立したスタイルに全く固執せず、
惜しげもなくパクるという方法に出ます。

あっさりと自己表現の解体をしちゃうんですけど、これは笑えます。

対抗勢力のスタイルをパクるんですよ。
よく考えるとこれはスゴイことで
自分が築き上げた手法、これまで結果を出してきた手法で立ち向かうのではなく相手の方法を模倣するという発想。
しかも天下を取った手法、技法をあっさり捨てられますか?

これはとんでもないことやってます。

例えるなら神主打法の落合が振り子打法で台頭してくるイチローに対して振り子打法で対抗するようなもんです。
ちょっと違うかも知れませんけど言いたいことは伝わったと勝手に解釈しておきます。はい。

トップに立っていた者が突き上げてくる勢力に対して
その才能に嫉妬して技法をパクる。
これが本当に手塚治虫のすごいことだと思います。
普通はこんなことできません。

…で「どろろ」が「鬼太郎」をどんな風にパクっていたのかを見ていきますが序盤の作風を見ただけではそこまで「鬼太郎」に意識された感は感じません。むしろ序盤は手塚要素満載と言えます。

魔神どもに我が子を売って契約する様は手塚先生の大好きなゲーテの「ファウスト」がモチーフですし「身体の欠損」という過酷な運命を背負った主人公はまさに手塚イズム。失われた身体の部位を戦うことで取り戻すというバトル要素と欠損を武装で補うという中二病的設定は漫画史上でも最高レベルの設定は高純度の手塚要素を持ったスタートと言えます。

このように「鬼太郎」の影響を受けたといっても
どこが???…って感じなんですが

「世界観」

この暗さと湿り気を帯びた独特の世界観は大いに影響を受けています。
これは「鬼太郎」だけに留まらない劇画の影響と言った方がスマートだと思いますが実は前作の「バンパイヤ」から手塚先生はめちゃくちゃ劇画に引っ張られています。

「バンパイヤ」では手塚作品では初の悪党もの、ピカレスクを執筆。

これには相当な非難が殺到したそうですが
「申し訳ないないけどオールドファンを裏切る」
と従来のファンを蹴散らし目ん玉をひんむかせる超ド級のダーク作を意図的に描きました。
バンパイヤの作風変化についてはこちら→ バンパイヤ爆誕

タッチ、世界観、そして人間の本来持っているドス黒い心の描写が顕著に表れたサスペンス怪奇マンガはクレームと同時に新しいファン層も獲得していくことになります。
「どろろ」はこれに続く形で連載され、表現も若干劇画調となり
暗く殺伐とした世界観を構築。
これが最高にマッチしたんですね。

しかも元々手塚先生に内包していた闇の部分が解放されるキッカケに
なったことが「どろろ」最大の功績と言えます。

俗に「黒手塚」と呼ばれる手塚先生の二面性の裏の部分。
黒い手塚治虫が開眼した処女作。
それが「どろろ」なのであります。

意外に思われる方が多いかも知れませんが作品の時系列を見れば明らか。1968年以前と以降では作風の違いは歴然で1968年でキッチリ線引きできますので是非ここを意識して見て欲しいです。

関連記事「「黒手塚」とはなんだ?裏設定に迫る! → こちら


さぁそんな劇画要素に引っ張られた「どろろ」
その中でも嫉妬に狂った水木要素を見ていきますが
水木要素を真似ようと所々にその片鱗が見てとれますが正直言って馴染み切れていません。キャラクターで言えば手塚妖怪は水木妖怪のような気持ち悪さはなくどこか愛嬌があって怖さがありません。

これは恐らく手塚先生のキマイラ的発想が根っこにあるからだと思います。
ご存じ手塚先生は変身するというメタモルフォーゼに性的興奮を感じる人ですから人間ベースから姿が変わるというキャラクター設定が基本なのに対し

水木妖怪は民族、伝承の類という異世界の生物
この世のものではないというのが妖怪の成り立ちであるように
キャラクター発想の出どころが根本から違うので真似ようとしても相容れない大きな違いが明確に出ているように思えます。
タッチの違いだけではなく不気味さのベクトルも違うのでここは大きな違いと言えますね。

あと恐らく一番の影響を受けているのが
人物と風景を分離させた写実的描写でしょう。
水木マンガの神髄である点描を真似しようとしているのですが、これは明らかに中途半端で逆に異様なアンバランス加減を生み出しています。

手塚マンガの背景というのは記号的で丸っこいスタイルが基本であり、水木スタイルの全くの真逆に位置しています。

手塚作品の背景「どろろ」より

にも関わらず水木スタイルの点描を意識して取り入れようとしています。
(下部画像参照)
上の画像と下の画像が同じ漫画の中に混在している異様さ。
そもそもアシスタント殺しとも言える地獄の点描背景の描きこみを週刊連載でやっていたド変態の水木しげる。
この変態仕事を真逆の手塚マンガがやろうとしている訳ですから
これは到底無理な話です。
無理というか住む世界が全く違うので絶対対抗しちゃいけないところです。

水木描写に影響されたと思われる背景「どろろ」より

…でもマネちゃうんですよね。
しかも全体的にではなく一部でしかやれていないんでめちゃくちゃ中途半端になっています。(まぁ当たり前なんですが…)

これまでのような記号的な背景もあれば
緻密に描き込まれた背景もあって、どっちやねんってなります。

統一感なんて知ったこっちゃねぇ的な
美的感覚を無視したとんでもない世界観が繰り広げられている「どろろ」
そのアンバランスさが逆に異様な世界観に見えちゃうというミラクルが炸裂させた作品となっていますが作品単体としてはすごく、収まりが悪く、完成度が低いと言わざるを得ません。

最初の方の手塚タッチで描く歴史ものは個人的にもすごい好きだったんですけど徐々に徐々に劇画調になっていくんですね。
中盤過ぎの「白面不動の巻」から水木タッチの対抗がエグイことになってきます(笑)
見比べてみると一目瞭然

序盤の手塚タッチの背景
「白面不動」の巻の背景

とても同じ漫画とは思えない変化ぶりは笑えてきます。
それが嫌いって訳じゃないのですが、「何で対抗してんの?」ってマジで思います。
…そもそもなんで技法を真似すんの?

作品の世界観をパクるのならまだしも、技法もパクるって対抗の方向性が違うと思うんですけど手塚先生はやっちゃうんですよね。

元々、水木先生も貸本時代は斜線で陰影をつけていて点描をそこまで多様してなくて途中から独自のスタイルを確立した点描マンガになりましたけど
ここに対抗意識を持っちゃうんですよね。
なんでそこ対抗すんのってマジで思います(繰り返し)

点描で描かれた妖怪

そもそも月間に大量生産する手塚先生にとって丸みを帯びたスピード感溢れるタッチだからこそあそこまでの連載数をこなせていたわけで、これがいわゆる手塚漫画の生命線であります。
それを「ボクもできるよ」ってめちゃくちゃ時間のかかる点描で
対抗するってもう気が狂ってます。正気じゃありません。
できるわけがないんですよ。

恐らくアシスタントに描かせていたと思いますけど
これまでの手塚作品にはない背景がボツボツ散見されるのでこの辺りは注意して見てみると面白いかと思います。

あと水木マンガではありませんが「血の吹き出し方」も劇画に対抗しているように思えます。おそらく白土三平辺りを意識して血しぶきを上げるのですが元々手塚マンガは流血しないので記号的な血しぶきになっていて
白土三平のような劇画調の生々しさには至っていません。

血しぶきが特徴的


ここは手塚先生自身、児童漫画、少年漫画出身の書き手として
相当気を使っていると思われます。
一切の流血のない立ち回りシーンがあったり斬撃をコマ割りだけで表現したり劇画での血の描写についてはかなり苦心しているなぁって感じは見ていて分かりますね。
是非「どろろ」の流血シーン。ここも注目して読んでみてください。

血しぶきの一切ない描写
こういう血しぶきもある


このように「ゲゲゲの鬼太郎」に対抗しているようで対抗できていなかったり実はブームになる前から嫉妬していたり深堀りして見ると恐らく皆さんが持っていた印象と異なるところがあったと思います。

時代に抗った苦悩であったり
トップを走ってきた自負であったり
様々な要素が混在して誕生した作品が「どろろ」です。
手塚治虫にとっても自身の作家人生において後の作品群に大きな影響を与えたターニングポイントにもなった作品。

そして「黒手塚」と呼ばれる新たな手塚治虫の二面性をも覚醒させることにもなったまさに記念碑的な作品。

手塚治虫にとっても特別な作品であることは間違いありません。

そんな「どろろ」の作品が放つ歪な世界観というのも様々なアンバランス要素がミックスされて生まれた奇跡的な配合によるものです。
このアンバランスさは、古くからのファン、ガチ勢から見ると違和感を感じるところも、若い方たちにとっては逆にこれを歪(アンバランス)と感じずにむしろキモカッコイイとかキモ面白いというニュアンスとして受け入れられている事が人気の要素になっているのだと思います。

今から50年以上も前の作品が未だにリメイクなどで人気が衰えないのは
単なるパクりではない作品自体が放つ魅力があるからでしょう。
アトムのように人間との間で苦悩する姿であったり
空虚な器に魂と込める人形的な設定とか
オイラと自称する男言葉のわんぱく女子とか、そこかしこに濃厚な手塚要素が見て取れるのも往年のファンにもニヤリとさせる設定。

本来の手塚マンガに黒手塚を開眼させた歪さ
そしてその歪さは時代の転換期と手塚作品のスタイルの拡張時期であったこと。これらに水木しげるが生み出した妖怪ブームに呼応した化学変化が起きたこと。ミステリアスかつ独特の世界観誕生の秘密はこのような様々なエッセンスによって生まれた作品であると言えるのではないでしょうか。

今回は「ゲゲゲの鬼太郎」に嫉妬したと言われる要素を深堀りして
「どろろ」の魅力に迫ってみました。
興味を持たれましたら是非一度読んでみてください。

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