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【映画所感】 エイリアン:ロムルス ※ネタバレ注意

『ドント・ブリーズ』というよりは、『13日の金曜日』

お話自体は、SFホラーというジャンルにおいての最重要作品『エイリアン』(1979)と、ジェームズ・キャメロンの大出世作『エイリアン2』(1986)のあいだの出来事らしい。

長年「エイリアン・シリーズ」をウォッチしつづけてきた身からすれば、これ以上ない時代設定で、宇宙船内のモニターや操作パネルのスイッチ類など、なんともレトロチックな佇まいに気もそぞろ。

「これ、これ、これなんだよ、エイリアンは!」とひとり劇場で合点し、「プレデター・シリーズ」が一昨年公開の『プレデター:ザ・プレイ』でようやく報われたのと同じような感覚に陥った。

ある意味、スピンオフ的な立ち位置の本作。エイリアン未体験組でもしっかり楽しめる作りになっていながら、古参への配慮も抜かりなく、ほぼ納得の出来栄え。それでも、1作目の復習ができていれば尚良し。

エイリアンといえば、一癖も二癖もあるアンドロイド抜きには語れない。懐かしのあのタイプに再会できただけで、古参の涙腺は崩壊するだろう。

それにしても、遺族の承諾を得たとはいえ、スクリーン上なんの違和感もなく故人が最新CGやAIの力を借りてあの世から召喚されてくるなんて、いろいろと感慨深いものがある。

今は役者や政治家、著名人に限った問題だろうが、そのうちに国民一人ひとりに配られる“臓器提供の意思表示カード”のように、死後の肖像権の使用許可の是非についても、生前にはっきりさせておく必要が出てくるかもしれない。

さらに本作に登場の新たなアンドロイド、アンディの不完全さ加減は絶妙なバランスで成り立ち、『エイリアン:ロムルス』の世界を如実に表現している。

アンディが時折放つ、他人を萎えさせるような「おやじギャグ」があんな形で昇華され、ピンチを切り抜ける一助になるなど、まさに「おやじギ冥利」に尽きるというもの。

そんなことをつらつらと考えていると、物語終盤にH.R.ギーガーの手から完全に離れた、2mを余裕で超える“ひょろなが白塗り大男”が降臨。しっかり暗黒舞踏を披露して退場していきましたとさ。

どうせなら黒光りするエイリアンに最後も締めてもらって「H.R.ギーガーのデザインを目に焼き付けてから帰路につきたかったなぁ」というのは、贅沢な望みだっただろうか。

『プロメテウス』(2012)や『エイリアン:コヴェナント』(2017)、総じてリドリー・スコットに対する忖度が働いたのかどうかは知らないが、妊娠中の女性がキャスティングされている時点で、なんとなく恐怖のハイブリッド誕生の予感はしていた。

「もう少し、H.R.ギーガーに寄せてくれたら完璧だったのに!」

そんな気配り上手(勝手な決めつけ)なフェデ・アルバレス監督。本作では、自身の代表作『ドント・ブリーズ』(2016)の“仲間と忍び込んだ先には、とんでもマッチョな先客がいた”的展開を繰り広げたともいえる。

けれども、個人的には“サマーキャンプで大騒ぎしていた若者を順番に襲っていくジェイソン”の要素が、よりしっくりくると感じた。

嫌がらせ上等なヤツとその彼女が、最初の犠牲者になるなど、エイリアンをジェイソンに置き換えたら既視感しかない。

シーンごとのジャンプスケアはもちろんのこと、タイムリミット要素も盛り込んで、ドキドキ感を巧みに演出。

観客を最後まで飽きさせない工夫とアイディアが惜しげもなく詰め込まれているところなど、エイリアン映画というより、エンタメ映画としての完成形を拝ませてもらった気分だ。

じつに美味でした!

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