【映画所感】 大怪獣のあとしまつ ※ネタバレ注意
昨年、劇場予告で知った段階から「これはすごい映画がくるぞ!」と勝手に期待値を爆上げしていた自分の浅はかさと、情報収集力のなさに唖然、茫然。
その昔、『ウルトラマン研究序説』なる専門書? を読んで感動した経験から、勝手に怪獣の死体処理を科学的に検証し、実践してみせる映画だと思い込んでいた。「ものすごい企画」の映画化だと。
『ウルトラマン研究序説』の記述にあった、オイル怪獣・ペスターによるコンビナート破壊。算出されたその被害額は天文学的数字で、我が国の存亡を揺るがすほど。当時、読んでいて背筋が震えた覚えがある。
だからこそ、『大怪獣のあとしまつ』には並々ならぬ想いがあった。なのに、あぁ、それなのに……。
公開当初より、映画関連サイトやSNSでは酷評の嵐。ここまで叩かれる邦画も珍しいなと思いながら、しばし様子見を決め込む。
その間にも、“祭り”はどんどん大きく激しくなるばかり。こういうのを“怖いもの見たさ”というのだろう。どうしても気になって仕方がない。
結局、自分の“黒い欲望”には勝てず、「別に観なくてもいい映画」から「絶対に観ないといけない映画」へと、めでたく飛び級で昇格。
それはそうだ。「歴史の生き証人」になれるチャンスなんて、人生においてそうそう訪れるはずはないのだから。
というわけで、敢えて内容、結末、オチまでを十分理解した上で、「希望」という名の戦場に赴く。
この“キボウ”というキーワード、TV版『新世紀 エヴァンゲリオン』第七話で、暴走したシステムを停止させる際のパスワードが、確か“キボウ”だった。
制作者サイドがどこまでリサーチ、意図しているのかわからないけれど、突然決まった怪獣のネーミングに、心がざわついたオタクもいたんじゃないかな(自分も含めて)。
そんなことはさておき、結果、事前の予習が功を奏したのか、思いのほか耐性がついていて、“ウンコ”、“ゲロ”の絨毯爆撃をかわすことに成功。
岩松了扮する国防大臣の、度重なる“下ネタ蘊蓄(うんちく)”も右から左へ華麗にスルー。軽薄な総理(西田敏行)の言動・行動は言わずもがな。
日本を代表するコメディエンヌ・ふせえりの躍動も、この作品では殊更に一蹴。見なかったことにする。
しかし、土屋太鳳までは想定外だった。「なんやねん、安っぽいW不倫の話かいな…」。おバカ閣僚が集う「対策会議」のおふざけのシーンから一転、恋愛ターンだけは真面目に撮るのな。
どうせなら、熱いキスのあとに「ゲロのニオイがする!」くらいのことを言ってもらわないと、作品全体のテイストに合わない。『大怪獣のあとしまつ』に、美男美女の爽やかな画ほど余計なものはない。
そう、本作はすべてにおいて中途半端なのだ。冒頭から大写しの明朝体とナレーション、鷺巣詩郎ふうの悲しげな旋律。誰が見ても『シン・ゴジラ』のパロディ。
だが、早々に『シン・ゴジラ』路線は諦めたのか、行き詰まったのか定かではないが、下品なギャグのほうに完全シフト。
だからといって面白くなるでもなく、どのワードも微妙に芯を外し、バットを掠るのみ。いっそのこと大振りしてベンチへ引き上げたいところだが、脚本はそれを許さない。
何度も何度も掠らせるし、擦らせるし、すべらせる。まともにヒットしない。ウケない“くだり”を延々と繰り返す、地獄のような“かぶせ”の時間。
「ここまで“ウンコ”と“ゲロ”にこだわる理由はなんなんだ?」cv:矢口蘭堂
幼少期、肥溜めに落ちてそれがトラウマになったとか。それともボットン便所に…もう、考えるのはよそう。
寒風吹き荒ぶ劇場とは裏腹に、撮影中の現場はさぞかし楽しかったんだろうなと想像がつくだけに、余計にやるせない。
それにしても、贅沢極まりないほどのオールスターキャストじゃないか。それなのに…そうか、名優たちだからこそラストまで観ていられたのか。妙に納得してしまった。
結論、怪獣映画は、怪獣が動いてこその映画。川辺に横たわっているだけでは、ご利益のない寝釈迦涅槃仏といった風情で、ありがたみすらない。
どっと疲れた中、さっさと帰ろうと劇場併設のショッピングモールを歩いていた時のこと。
『大怪獣のあとしまつ』のガシャポンを発見。自分を労う意味の戦利品として、持ち帰ろうかと逡巡する。
だが、「正規の値段で映画を観たのだ。これ以上のお布施はやめておけ」と心の中のゾフィーが引き留めるので、おとなしく帰宅した次第。
とにかく観る者の脳内を不活性化させる、トンデモ映画だった。