【映画所感】 市子 ※ネタバレなし
毎年この時期になると、今年観た映画を反芻し、自分なりのトップ10なんかをつらつらと考えたり、偉そうに意見を求めたりしている。
そこへ来て、この『市子』。
“青天の霹靂”とは、まさにこのこと。晴れわたった空で突然光ったカミナリに、脳天を貫かれる。
木っ端微塵に砕け散った気持ちを、地面にうずくまりながら、せわしなく両手でかき集めている自分。
その様子をぼぉ〜っと俯瞰している自分。
観終わった直後の状態を言語化しろと問われれば、このように答えるしかない。
要するに、心ここにあらず。
面白いのそのずっとずっと先。ただただ凄い。
持ち込んだドリンクに、一度も口をつけずにいたことに考えが及んだとき、はじめて我にかえる。
もちろん、自分なりのトップ10など軽く一蹴。並み居る強敵たちを、あっという間に周回遅れにしてしまった。
本作『市子』の原作は、監督・戸田彬弘主宰の劇団「チーズtheater」の戯曲『川辺市子のために』。
舞台の初演から8年、コロナ渦を挟んだことで、改稿に改稿を重ね、映像化に向けて磨きをかける。結果、丁寧に練られた台本は、よりクリアーに市子の半生を顕在化させた。
川辺市子(杉咲花)は、同棲中の恋人、長谷川義則(若葉竜也)にプロポーズされた翌日、忽然と姿を消す。
失踪される理由にまったく心当たりがない長谷川は、市子の消息をたずねていくうち、知られざる市子の人生とも向き合うことになる。
信頼していたパートナーが実は〇〇だったというストーリーは、ある意味ミステリーのプロットにおける王道。
例えば、昨年公開の『ある男』(監督・石川慶)など、記憶に新しい。
そして、失踪した相手の行方を追う過程でどんどん謎が深まるという意味合いでは、同じく昨年公開の『さがす』(監督・片山慎三)が思い浮かぶ。
さらに本作は、この国の社会制度、法律の不備、貧困の問題や福祉のあり方なども盛り込みながら、市子の境遇をあらためてトレースしてみせる。
最近観た映画の中では、その衝撃度合いも含め『月』(監督・石井裕也)と共通するものを感じた。
理不尽な法律のクレバスにすっぽりとはまって抜け出せなくなってしまった、市子。
個人の尊厳、アイデンティティを奪われてしまった市子のような存在は、ひょっとしたら気づかなかっただけで、身の回りにいたかもしれない。
突然、不登校になった子、急に引っ越していったあの子。学年に一人くらいはいてもおかしくない話だと思い至ったとき、自分の鈍感さに腹が立つ。
と同時に、何もできなかったであろう無力な自分を思い知らされる。
少なくとも、マイナンバー制度導入が決まった時点で、法律改正がなされているべきだった。本気で市子のような存在を増やさないためにも。
誰が反対し、誰に忖度しているのか。
ラスト15分ほどの展開に息を呑む、いや、呼吸を忘れてしまう。
市子のこれまで、そして、これから。
劇中、市子が鼻歌交じりに口ずさむ楽曲『にじ』(作詞・新沢としひこ、作曲・中川ひろたか)。
保護者として保育園でよく耳にしたこの曲を、この先フラットな気持ちでは聴けないかもしれない。
多分、『市子』をフラッシュバックしてしまうから。
そして、また市子に逢いたくなる。
鑑賞した人ならわかるはずだ。
最後にひと言、こちらこそ「ありがとう」だよ、市子。