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【映画所感】 ライダーズ・オブ・ジャスティス ※ネタバレ注意

昨年、アカデミー国際長編映画賞に見事輝いた『アナザーラウンド』。デンマーク産のこの映画で主演を務めていたのが、“北欧の至宝”の異名をとるマッツ・ミケルセン。近年、この大仰(おおぎょう)な肩書きに恥じない活躍を、国内外の作品で見せつけている。

受賞の余韻も冷めやらぬ中、マッツ・ミケルセン主演の新作『ライダーズ・オブ・ジャスティス』が、同じくデンマークから届けられた。

劇場予告編の段階から楽しみにしていた本作。自分の中でハードルを上げすぎないように細心の注意を払いながら、いざ劇場へ。

結果、そんな心配はどこ吹く風。杞憂に終わってめでたし、めでたし。本当に心の底から楽しめたし、面白かった。大満足。

自分の中でデンマークといえば、キング・ダイアモンド(King Diamond)。オカルティックでシアトリカルなステージを信条とする、ヴォーカリスト(HR/HMバンド)が思い浮かぶ。

そのスタイルは、独特なファルセット・ヴォイスを駆使したハイトーンを必殺の奥義としたもので、白塗りのメイクと相まって非常にエキセントリック。一度見たら忘れられない“北欧のコウメ太夫”然としている。

ハードな曲調にも関わらず、哀愁漂うメロディアスな旋律が特徴的な北欧メタル。

80年代初頭から活動している、キング・ダイアモンドとその前身バンドのマーシフル・フェイト(Merciful Fate)は、北欧メタルの礎を築いたといっても過言ではない。

そんなデンマーク←どんなだよ!

肝心要の『ライダーズ・オブ・ジャスティス』は、単なる復讐劇にとどまらない。まさかの“セラピー映画”としても機能する二重構造を有する。

突然の列車事故で妻を失った軍人マークス(マッツ・ミケルセン)は、赴任先のアフガニスタンから急遽帰国の途につく。大型輸送機の荷室にたったひとり。虚空を見つめるマークスの姿は、仕事一筋、任務一筋で生きてきた男の自責の念を、これでもかと伝えてくる。

帰国後まもなく、列車事故は単なる事故ではなく、テロに拠る仕組まれたものだったという人物(オットー)が現れる。彼は、マークスの妻と生き残った娘(マチルデ)と同じ車両に乗り合わせていた乗客だった。

オットーは、友人のレナートとエメンタールの協力を得て、“ライダーズ・オブ・ジャスティス”と名乗る犯行グループを突き止めることに成功。この3人、実は数学者であり、統計学の専門家であり、顔認証のスペシャリストの顔も持ちあわせている。

コンピューターを扱わせたらお手のもの。システムやインターフェースに精通している典型的な理系オタク。ただ、他人とのコミュニケーションが超苦手で、社会生活を送るには少々難ありの曲者たちだ。

とにかくキャラクターが際立っている。喋りだしたら止まらないレナート。相手の気持ちを慮る前に、次から次にことばが口をついて出る。映画館なら出禁レベル。彼のストレートな物言いは、仕事にもしばしば悪影響を与えている。

そんなレナートといつも言い争うのが、肥満体型のエメンタール。昔から容姿に関してからかわれてきたのだろう。自分をいじめていた人間たちと“ライダーズ・オブ・ジャスティス”を重ね合わせることで、過去のトラウマを克服しようとマークスと行動をともにする。

いちばんまともで、レナートとエメンタールの仲介役のようなオットーにしても、自らが運転する車の事故で、最愛の娘を失った経験から立ち直ることができず、悲観しながら日々を送っている。だからこそ、心に傷を負ったマチルデとマークスの力になりたいと、本気で考えている。

このように個性豊かな3人衆に、無口で堅物な戦闘のプロ・マークスが加わることで、“ライダーズ・オブ・ジャスティス”壊滅のためのミッションがスタート。ターゲットが次々と絞り込まれていく。

しかし、妻を殺された怒りは、マークスから冷静な判断を失わせ、次第に殺人マシーンと化す。マークスから発せられる圧倒的な暴力の前に、温室育ちの3人衆は右往左往するばかり。

場当たり的ともとれる派手な復讐劇は、“ライダーズ・オブ・ジャスティス”から逆に命を狙われるリスクをはらんで、狩る側からいつしか狩られる側に……。

こうして書いていくと、シリアスなフィルム・ノワールとも取られかねない。しかし実際は、相当笑える演出と思慮深い考察が、絶妙なバランスでブレンドされている、卓越した胸スカ映画なのだ。

お笑い担当はもちろん、レナートとエメンタール。肌を露出させるサービスカットも、それぞれに用意されている(どこに需要があるのかは知らないけれど…)。

母を目の前で失ったマチルデと娘を亡くしたオットー。マチルデは、「母はなぜ死んだのか? なぜあの列車に乗ってしまったのか? なぜ車が故障したのか?」とどこから歯車が狂ったのかを、過去に遡って探ろうと躍起になっている。

思い出せるだけの行動を書き留めていった先に、自分の自転車を盗まれたことがすべての起点であったと思い至る。だが、オットーが静かに諭す。

「そんなことをしても無意味だ」

専門分野の統計学をたたき台に、“不条理”の説明を加えていく。未来は“不確定要素”の連続で成り立っている。誰にも予想できないし、誰のせいでもないと……。

母の死との距離のとり方をやさしく教えてくれるオットー。その瞬間、マチルデの部屋は学び舎に姿を変え、観客もオットーの生徒のひとりになる。

表面上はバカ映画に見えて、その実、非常に奥深い。制御不能のマークスにしても、オットー、レナート、エメンタールを拒絶することなく、受け入れる。

最後は、マークス父娘のまわりに孤独な男たちが集まり、疑似家族を形成していくといった、大ハッピーエンド。こんなに癒やされるとは思いもよらなかった。傑作以外の何物でもない。

歴代スパイダーマン3人の登場も感慨深いが、オットー、レナート、エメンタールの3人もなかなかどうして。味わい深さでは負けてはいない。まさしくヒーローだった。

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