愛とは余裕であると思う
愛ってなんなのだろうと考えていたのだけれど、今のところ「余裕」だと思う。
僕は幼い頃から完全に精神的に欠乏して愛に飢えていたので、他人のことを蔑んでいた。「余裕」がなくなると、人は他人を思いやることができなくなる。「余裕」というのは精神的な余裕が一番重要であるけれど、そのためには経済的、時間的な余裕も重要になってくると思う。しかし経済的な余裕の一切なかった釈迦やイエスが世界で最も慈悲深い人物だと考えられているので、究極は精神的な余裕なのだと思う。
今でも僕は余裕がなくなれば、人にきつく当たってしまう。最近胃腸を壊して嘔吐と腹痛が3日ほど止まらなかったのだが、他人のことなど考えている暇がなかった。ずっと自分がどうやったら苦しみから解放されるのかだけを考えていた。他人と何かを分かちお合うなんて気持ちにはなれない。
精神的に余裕のない人というのは「焦り」や「欲」が強い人だと思う。「達成しなければ」とか「〇〇を手に入れねば」というマインドで生きている人は余裕がない。だから経営者はサイコパスみたいな人が多いと言われるのだと思う。
あとは、自己嫌悪の人。自分に矢印が向いているので、余裕がない。愛や承認などが欠乏していると常に考えている。
「欠乏」の人の考える愛は「独占」や「所有」に結びついている。教育ママやメンヘラの恋愛、トロフィーワイフ、推し、のような感じ。自らの「足りない部分」を補うように相手を利用しているので、モラルハラスメントになりやすい。自分の都合を押し付ける。相手の気持ちを考える「ゆとり」がない。
逆に精神的に余裕のある人というのは、ゆったりとリラックスしている人だと思う。焦らずに生きている人。残念ながら僕はあまりこういった人を知らないが、リアルで会った人だとプラユキさんというお坊さんには物凄く余裕を感じた。
多分精神的な余裕のある人というのは「ガツガツ」していないので、名声などにもあまり興味がなく、書物や歴史などにも残りにくい。愛着障害と創作の関係も今注目されているらしい。
ずっと余裕のある人なんて存在しないと思うが、例えばティク・ナット・ハンの文章やチベット仏教僧の文章には余裕や温かみが感じられる。
詩人や哲学者を思い浮かべてみたのだけれど、余裕のある人ってあんまりいないかもしれない。そういった人は無名に幸福に生きているのだと思う。
愛というのは対象を持つものではなく、一人の人間に余裕がある状態と考える方がしっくりくる。対象があるのは執着だ。余裕の香り、愛の香り、ゆったりとした雰囲気を纏う人になってみたい
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