げんにび

悪戦苦闘のドッキュメント

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最近の記事

わたしの愛着障害

 10代の頃から不安定な恋愛を繰り返していた。喧嘩ばかりしたり、別れて復縁するのを繰り返したり、一方的に別れを告げたり。友人やフォロワーにも「お前何回復縁してるんだよ」と引かれるぐらいだった。  孤独感が人一倍強いので恋愛するのだが、恋愛において距離が近くなると距離を置いたり、別れたくなってしまう。こういう矛盾した愛着スタイルを「恐れ・回避型」というらしい。愛着障害についての書籍が最近多いが、もっと早く研究が進んで欲しかった。自分の人生において、女性関係で消耗することが多かっ

    • 結論

       神を求めて哲学をしていたけれど、実感として結論が出たので結論を書きたい。最近の記事は重複が多い気がするけど勘弁してください。  不条理、ということから思索が始まったのだけれど、元々神っていうのは不条理に要請された観念だ。なぜか人が病気で死んだり、災害が起きたり、戦争が起きたり、不作で飢餓が起きたりする。なぜだか全然説明がつかない。「説明ができない」から観念をでっちあげる。それが神と呼ばれた。そして災害や病気といった不条理さ(の神)は「畏怖」される対象となった。  ユダヤ

      • 不思議という事

        「詩としての哲学 ニーチェ・ハイデッガー・ローティ」という本を読んだのだけれど、著者の実存スタイルが自分と合わなかったので、全然ピンと来なかった。この人は日本では珍しくロックやバークリーの研究書を出してくれていて助かるのだが、哲学者ではなく哲学研究者であると思う。  後期のハイデガーは詩に傾倒するが、著者は「ハイデガーは存在という特権者を置くことで、自分を特異な地位に置いている」と批判している。  ハイデガーは確かに「存在からの声」として「思索」と「詩作」を位置付けているが

        • ニイチェ・無常という事

           ニーチェ系の自己啓発本にはよく「今を生きる」のようなことが書かれている。確かに永劫回帰の思想からはそのような帰結が出てくる。  永劫回帰という謎めいた思想には様々な解釈がなされているが、僕は「時間に永遠を刻印する」という言い方が分かりやすいと思う。「全てのものが全く同じ通りに無限回反復される」という「信仰」を持つことで、自分の人生がそっくりそのまま「永遠化」される。「この瞬間は、過去に無限回存在したし、未来にも無限回存在する」という思想を持つことで、瞬間が途方もなく尊いもの

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        • 個人的なこと・恋愛
          33本
        • まとめ
          78本
        • 詩論
          3本
        • アフォリズム
          3本
        • 短歌
          1本

        記事

          言葉の伝達可能性 韻 リズム 言葉遊び

          「また朝が来た。憂鬱だ。もうずっと眠りたい。」と書いても文章としては明晰に伝わるのだけれど、さっき詩を書いた。  自分が快い感じで、一筆書きで書いた。「回転」「くるくる」「クルーポッポ」「狂う」「来る」を反復することで、言葉遊び的ユーモアがあるし、なにより「伝達」できるんじゃないかと思った。  昔から「レトリック」に興味があって、何冊か本を読んだのだけれど、比喩の話ばかりであまり参考にならなかった。リズムの方が大切だと思う。  19世紀、20世紀で良くも悪くも一番影響力のあ

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          詩作と少し真面目に向き合って考えたこと

           「無根拠な存在神秘」って「美」と繋がっている気がしたから、詩を書こうと思い、詩を書いていた。今までに詩って適当に書いていて、多分30~40ぐらいは書いたと思うけれど、暇つぶしだった。3日ぐらい詩作をして思ったこと。このnoteには詩は載せないことにしようかなと考えていたけれど、載せずに詩の話だけするのは読んでるほうもよくわからないと思うので載せます…。  一つ目に思ったのは、詩って嘘がつけないと思った。僕が現代詩人で好きなのは最果タヒと大森靖子なんだけれど、ああいう「東京

          詩作と少し真面目に向き合って考えたこと

          宗教のコペルニクス的転回

           「世界はなぜ「ある」のか?:「究極のなぜ?」を追う哲学の旅」という本がある。著者はジャーナリストで、高校生の頃にハイデガーの「形而上学入門」を読んで、そこに書かれている「なぜ一体、存在者があるのか、そして、むしろ無があるのでないのか?」という問いを読んで仰天し、ジャーナリズムの仕事についてから、神学者や物理学者にその問いを問うてきたという。ハイデガー自身については「詩的な神秘主義に陥ってくだらなかった」と書いてあった。昔に読んだ本なのであまり覚えていないが、決定的な答えは出

          宗教のコペルニクス的転回

          詩を書きたかった 理由なき必然性

           本気で「創作」に取り組んだことがないのに、創作論ばかり書いている。創作とは何か?クリエイターとは何か?ということばかり書いている。創作をしたいんだと思う。  どれぐらい有名なのか分からないが、Twitterでは有名な「岩倉文也」という詩人がいた。彼がフォロワー300人ぐらいの頃から知っていて、詩人として開花する様子を見ていた。一気にスターダムにのし上がって、羨ましかった。正直、詩はあまり良いと感じたことはないが、ツイートの言語センスがズバ抜けていた。意識が尖りすぎて自殺す

          詩を書きたかった 理由なき必然性

          美 不可解 難解

           詩集を読むと、具合が悪くなるので詩が読めなかった。刺激が強すぎて吐き気がした。昨日久々に詩集を買って読んでみたら、とても甘美で美しく、洗われるような気がした。  美学の本を読むと、昔は「美は比率である」とか言われていたらしい。黄金比ってのは眉唾らしいが、確かに均整のとれたものは綺麗に見える。が、美しさって均整に還元できるわけがない。  川端康成が「美には霊性がなければならぬ」と書いていた。僕もなんとなくそう思っていたが、霊性ってなんだろうか。神性とも言ってもいいと思うが

          美 不可解 難解

          楽屋に帰る

           「中の人」というネットミームがある。Vtuverが盛り上がっているが、使われだしたのはアニメキャラクターにおける声優だったように思う。以前は「キャラクター」と「中の人」は屹然と区別されていたが、Vtuber文化ではそのあたりの曖昧さを楽しんでいる感じもある。  僕たちは何かしらの役割・キャラクターを背負いながら生きている。子や親といった家族的な役割や、友人、上司といった社会的な役割、陰キャや陽キャという役割、金持ちや貧乏という役割、男と女という役割、イケメンや不細工という

          楽屋に帰る

          ニヒリズムの研究集大成 死が怖い人

           フォローしてくれた人に、タナトフォビアの方がいた。「自分が死ぬ」という事実に覚醒して、死の恐怖で夜も眠れないらしい。母親に言っても分かってくれない。僕も全く同じ状況だった。  ティク・ナット・ハン師の本に「心臓にマインドフルネスを向けてください」と書いてあったので、心臓に意識を向けてみると、鼓動が速くなって、急に死の不安が押し寄せてきた。懐かしい感覚だった。自律訓練法をする時も、心臓を意識するのは避けていた。心臓を意識すると「生きている」ということを意識してしまい、逆説的に

          ニヒリズムの研究集大成 死が怖い人

          沈黙を生きる哲学 存在神秘

           古東哲明さんの「沈黙を生きる哲学」を読んだ。哲学書を読んで初めて泣きそうになった。普段は読書感想文はあまり書かないが、思ったことを書きたい。  古東さんの「ハイデガー=存在神秘の哲学」「在ることの不思議」「マインドフルネスの背後にあるもの」「現代思想としてのギリシア哲学」は読んだことがあったのだけれど、毎回同じことを言っている、文体が持って回っていて嫌だ、結局何がいいたいのだろう、と感じていた。最新作の「沈黙を生きる哲学」でも従来と言っていることは変わらないのだが、こちら

          沈黙を生きる哲学 存在神秘

          読書はマッチョなのか?

           友人に「読書マッチョ問題」について書いて欲しいと言われたので思ったことを書く。  僕も知らなかったので、一応記事を貼る。  核心はここ  マッチョという言葉を聞くと、グラップラーバキのビスケット・オリバが思い浮かぶ。  僕の子供の頃って「マッチョ」はこんなイメージだったんだけれど、フェミニズムやらの文脈で意味が変わってきたらしい。こうやって言葉の意味が広がっていくことを「コンセプト・クリープ」というらしく、いつか記事に書きたいと思っていたが、コンセプト・クリープの好例

          読書はマッチョなのか?

          笑いの哲学 勝敗の彼岸

           「笑い」というのは言葉にするのが難しい。ユーモアの心理学という本を読んだことがあるが、心理学も全く発展途上だそうだ。ニーチェ的・バタイユ的笑いというのは上記のような文章になると思う。哄笑と訳されている。神々をも笑いながら最後に一人で立っているという感じだろうか。悲哀を感じる。可哀そうだ。自己の虚無や絶望すら笑う。なぜそんなに笑うのかと考えていたのだが、「笑い」とは「勝利」であるからだと思った。最後に笑っている方が勝ちだ。  昔、2chのネットミームに「顔真っ赤だな(笑)」

          笑いの哲学 勝敗の彼岸

          窮屈な人生で一服する

           狩猟採集民族にはうつ病が存在しないと聞いたことがある。「今日食べる分」だけの食べ物を狩ったり拾ったりする。毎日の労働時間は4時間程度だったそうだ。    農耕革命や定住革命と言われるものが起きると「企図」や「目的」といった観念が生まれる。灌漑農業が始まって、大規模な農耕が行われるようになると、組織化された「労働」が始まる。作物には「時期」というものがあるから「暦」が作られる。「人生」の中にカレンダーが生まれる。「1日」の中に「計画」が生まれる。「性」や「暴力」といったものは

          窮屈な人生で一服する

          ハイデガー 白川静 語源

           「存在と時間」って本当にくだらない本で、一ページも読まなくても構わない。これが流行ったのは当時のヨーロッパの不穏な空気に「実存的覚醒」みたいなものをハイデガーがキリスト教神学を通俗化して語ったところにあると思う。「存在と時間」について書いている文章は「死を想って生きろ」のようなありきたりの自己啓発の文章ばかりで本当につまらない。ハイデガーが死を強調したのは「現存在(人間)の実存の可能性の全て」を考察したかったからであって、説教がしたかったわけではない。そしてなぜ人間の実存を

          ハイデガー 白川静 語源