哲学とは何か? 哲学者の条件

 僕は自分で哲学をする自信がなかった。哲学史は学んだけれど、ヨーロッパの大哲学者のような明晰な思考ができるとは思えなかった。日本で傑出した人でもたかが知れているし、哲学は自分にとって概念遊戯に過ぎないと思っていた。
 日本にいる哲学者で本を出しているのは池田晶子、古東哲明、永井均である。それ以外の人は哲学研究者だ。僕は西田幾多郎よりもこの3人の方が哲学をしていると思う。「哲学者」とはどのような人のことを言うのだろうか。「哲学とは何か」というのは散々論じられてきたテーマだが、僕の中ではハッキリと答えが出た。哲学は「無知の知」である。無知から始まる運動である。
 無知というのは知識がないことではなく「分かる能力」を失っている状態だ。哲学者ではない人は「分かる能力」がある。何を分かっているのか?「存在」「意識」「言葉」「生命」「肉体」「時間」これらの全く意味が分からないことを「分かったこと」にしてそのまま生きている。「当たり前じゃん」とそのまま生きている。哲学者はこれらの問題に対して「分からない」と「心底」感じている。
 ソクラテスは当時の知者(と呼ばれる人)に徳について尋ねたが、誰も正確に答えられなかった。無知を暴露された。当時も今も変わらない。みな善や徳などについて1ミリも知らない。知者は存在しない。知者というのは「善とは何か」について答えられる人のことだ。
 知識人と呼ばれる人のSNSを見ても、知者であるとは思えない。「存在しているということについて全く何も分からない」と心底感じている人がいるのだろうか。

 僕は元々そういう傾向があった。幼い頃はべたに「空はなんで青いの?」と親に聞いていたし、ふと気が付いた時に「これっていったい何?」と問うことがかなりあった。「自分の前で話しているこの人は誰なの?」と思うことも多かった。ただ存在や意識については「当たり前」だと思っていた。
 瞑想をすると「当たり前」が落ちていった。どういうカラクリになっているのか分からないが、要は「過去」が落ちるのだと思う。習い覚えた「習慣」や「常識」が瞑想によって破壊され、何も分からなくなる。口先では「存在とは何か分からない」とは言っていたが、ここまで心底この瞬間に存在していることが分からないということはなかった。

 哲学は「1から始める」ことが一番大事だと思う。永井均は「私はなぜ私なのか」という問いを延々と繰り返している。大部の本を出した後に、続刊で「以前のものは忘れて1から考える」と書き始める。いつも白紙から始まる。

 上記の3人に共通しているのは、神秘主義や禅など、スピリチュアルなことに言及していることだ。僕も仏教や近代スピリチュアルは好きであるし、瞑想もしている。僕は「哲学を学ぶ」という発想ではなく「真理を知りたい」という目的で学んでいたので、幅広く学んだ。そして神秘主義にたどり着くのは当然だろうと思う。だって「なぜ存在しているのか」というのは一番の神秘であるから。神秘主義は神秘を生きるが、哲学は神秘を問う。「神秘」をどう扱うかは違うが、神秘に触れているという点では同じだ。
 現状の批判じみたことを言うと、現代日本で持ち上げられている哲学者らしき人は「分かっている人」ばかりだ。スピノザについて分かっている。芸術について分かっている。政治について分かっている。社会について一家言持っている。そうじゃないだろうと思う。

 フッサールという人は、哲学の方法をデカルトに学んだが、デカルトは有名なように全てを疑うということを行った。フッサールは著作にこう書いている。

真剣に哲学者になろうと意欲する者は誰でも、『一生に一度は』自分自身へと立ち戻り、己れにとってこれまで妥当していたすべての学問を転覆させ、それを新たに立て直すことを試みるのでなければならない

デカルト的省察

 つまり無知の知だ。ニーチェの有名な「駱駝→獅子→赤子」という定式も、僕はそういう意味だろうと思う。既成の価値観、常識を担っている駱駝的精神から、「自分のしたいことをしたい」という獅子的精神へ変身する。そして最後には獅子から「無垢な創造」である赤子へ変身する。ニーチェの解説書にはこの定式をよく分からないと書いてある学者が多かったが、哲学そのものだ。ニーチェはよく「未来の哲学者」に語りかけている。というか全編そうだ。従来の価値観を背負っているものから己自身へ回帰できる者、そして己自身を真っ新な白紙にできる人。そういう人へ語りかけている。残念ながらニーチェ学者というのは駱駝ばっかりだった。

 「哲学史を知らなくても哲学はできる」というのは綺麗ごとだと思っていたが、本当にできるんだと自信が持てた。哲学者の条件はただ一つ「大切なことを何も知らない」ということだけだ。一緒に哲学をしよう

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げんにび
勉強したいのでお願いします