【読録】蜀山人狂歌三昧
噺家さんが出てきて。本題に入る前、枕ばなしをする時に。
歌丸師匠は、いきなり誹風柳多留あたりから引っ張ってきた、川柳を引用して詠唱されてました。笑点番組冒頭のご挨拶。大喜利の初っ端(あるいは新しい、お題を説明する時)にも、そんな一コマが良くありましたね。
上方(関西)落語でも松鶴師匠や米朝師匠あたりが、川柳だったり狂歌だったりを詠じてから、枕ばなしをするのも見聞きしたことがあります。
狂歌には本歌取り、元歌があるものもあります。
江戸期、町人文化が盛んになると。古典・原典を読むことのできる人々も増え。娯楽乏しいご時世で、記紀万葉の類から、拾える歌をアレンジしてみる趣向も盛んになって参ります。
芝居・浄瑠璃の一節や、和歌短歌の一節が元歌になり。面白おかしい揶揄歌になる。そこを噺家さん達も(一般常識として皆さんが知ってること前提で)取り上げて。噺につなげる枕にしていくワケです。
元歌知らなきゃ笑えないなんて、なんとも厄介なハナシです。
当時の町の人にとっては、落語・講談・色ものも一般教養。その中に人情とか、人として失ってはいけない教条が織り込まれていくんですが。百人一首もそういう意味では必須知識だった時代が、あったということかしらん。
本作『蜀山先生 狂歌百人一首』(玩究隠士 校注)は、作者:大田南畝こと蜀山人先生が中心となって。小倉百人一首の歌を元歌とし、狂歌をそえて出版されたもので、初版1843年(天保14年)蜀山人没して20年後の作品です。
取り上げられる狂歌は、さらに草書体にてスタンプ化して載せてあります。凝った作りなのですが…むろん現代語訳があるわけではなし。往時の人は読めちゃったんでしょうねぇ、スタンプに彫られた、これらくずし字の数々。
まぁ、江戸の人がJava Script書けるわけでもなし。WindowsやMacのデバイス・ドライバーをネットから下ろして、ルーターの設定やらは出来ないのと同様に。われわれも、くずし字は読めません。(笑)
何百年も経つと、「どうやら、まだ2020年代の日本人は自分の頭の中で文章を組み立てて、外部記憶に頼ることなく文字を打ち込むこともあったらしい」と。未来人達は驚いてくれるのだろうか…。
さておき。
蜀山人の名前は聞いたことはあっても、実際にどんな業績・著作を遺していたのか迄は全く知らず。本作を読んで初めて知りました。
先述。噺家さんが枕ばなしに引用するのは誹風柳多留だけではなく、狂歌の類も幾つかあり。気にはなっても、触れる機会のないドメスティック・ジャンルゆえ。蘊蓄話のタネにでも…と、手に取ることと相成りました。
本作、狂歌百人一首。
どうも蜀山先生だけの手によるものではないそうです。後世の研究では、本作に蜀山人本人が記したのは五首ほどで、以外は他の弟子・門人・同好の士によるものとする説もあるそうです。
真偽さておき、蜀山先生が著したかったismはきちんと継承されていたんでしょうね。そんな中での一首です。
こんな調子で、百首分が本歌取り・パロディ化されちゃってるわけですが。どーです?絵が見えてきません?
歌丸師匠:
『毎度のお運びありがとうございます。
えーー。江戸も中頃。蜀山人の狂歌に「又してもじゞとばゞとの 繰言に むかしは物を 思はざりけり」なんぞと申しまして。
夫婦の仲とは年ごとに中身も外見も変わり果てていくものでございます。こちらの夫婦はと申しますてぇと…』
で。噺の本題に入っちゃうわけですが。
この後はなんだろなぁ。「芝浜」いや。「子別れ(前段)」辺りかもしれませんね。狂歌の使いドコロがこんな前振りになるところ、なんとなくイメージしていただけるかと思います。
誰かからの手紙やSNSのコメント。LINEの返し。
皮肉を言うのもはばかられる相手には、どぎつい狂歌や川柳。都々逸の一節でも送り返せるぐらいの教養があればなぁ…と。
若い時分には思っておりました。
いわれてるのが、皮肉なのか悪口なのか、わからないのが一番です。
手に取ってみる機会もなければ触れることもなし。古典漢籍も結構ですが、肩肘張った講釈よりも。こっちの方が遥かに楽しく、面白く感じる年齢になってしまいました。
お好きな方、おられましたらご一読、お薦めいたします。