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【8/16 日記】 観葉植物の隣人
私は自室に観葉植物を飼っている。名前はソテツ。ちなみに種類は『サンセベリア キリンドリカ』であり、裸子植物のソテツとは何の関係もない。
名前の由来は「何となく強そうだから。」そんなぶっきらぼうな、と思うかもしれないが、人間だってそんなもんではないか。とか思ったりする。親がどんな人間になって欲しいか願いを込めて、その子に名前を付けるが、その通りに育つことは滅多にない。だったら別に名前の字面に拘る必要は無い、と私は考えたりする
別に『勇(いさむ)』と名付けられたからと言って勇気のある人間に育つ必要もない。そんな強制力も無ければ名前は何も人間に強要しない。
その名前を持つ人間が、本人と親の少しの願いを込めて、その名前が自分のものであると胸を張って自負できればいいのだ、とか思ったりする。
だから私は『サンセベリア キリンドリカ』である彼に『ソテツ』などという適当で意味のない名前をつけた。その意味のなさは彼自身で埋めていけばいい。むしろ親の願いが強くこもり過ぎては、彼の人生(植物生)を縛ってしまう。それは大変よろしくない。そう思ったのだ。
…かっこよく言えばそれが観葉植物の名前の由来であるが、本音で言うと、ただ名前を考えるのが面倒だっただけである。
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さて、今朝の話。机の上のソテツに水をやろうと目を向けると、ソテツの脇に、なんか知らない小さな植物が生えていた。
これはなんだ。どなた様だ。私自慢のGoogleレンズに写してみても、小さすぎて判別できない。
可愛らしい未知の生物が襲来してきた。ソテツの隣に瓶の家を構えて住んでいるフェアリーシュリンプ達も心なしかざわついている。
ソテツはそのとがり散らかした葉っぱがアイデンティティなのだが、その小さな隣人の葉っぱは丸い。茎は細く、ソテツの『茎?んなもん知らねえよ、俺は葉っぱだけで生きていく』的なストロングスタイルとはまるで違う。
一瞬、【リーゼントヤンキーの息子がか弱い清純派JKを彼女として連れて来る】シチュエーションが思い浮かんだ。ヤンキーならヤンキーでガングロ系ギャルでも連れてくればこちらも戸惑わなくてよいものを、ギャップがありすぎる二人のことだから、なりそめとか気になってしまうではないか。
そんな二人にお茶を出す母のごとく、私は鉢に水をやる。水をやりながら思いを馳せる。
この娘は何を思ってソテツの側にいるんだろうか。この娘がこの場所を選んだのか、風や、私が窓を開けるタイミングなどが折り重なった『偶然』によってこの場所を選ばされたのか。
思えばほとんどの植物は一度根を下ろしたら動けないわけだ。例えその場所が気にくわなかったとしても、死ぬ未来が待っていたとしても、根がガッチリ地面に組み付いて離れない。そう考えると、やっぱり自由な存在として生まれてよかったなと思う。
私達は、生まれる場所が選べないのは同じだけど、その後何処に行くのかは選べたりする。それで、気に入った場所を取って何とか生きてる。許嫁や運命の赤い糸はロマンチックではあるが、実際の所窮屈でしかない。
フィクションではイケメンと美少女が赤い糸で結びついているが、よく考えてみて欲しい。
もし、全く自分の好みでない人と小指の先で赤い糸が繋がってたら。誰だって糸切り鋏でちょん切るだろう。自由とロマンは相反するのだ。知らんけど。
まあ、そもそも考える葦として生まれなければ、恋とかこういうことを考えなくて済んだのかもしれない。我ながら面倒な存在だなぁ、と辟易しながら、この娘の処遇を考える。
事実として雑草であり、栄養を横取りするので除去した方が良さそうではあるが…
『それじゃかわいそうじゃないですか』。
誰かが、何か余計な事を言った。海老かソテツか。
あーあ。そこまで考えてしまったから、雑草として処理するのが気の毒になってしまったじゃないか。
つまり、だ。この娘を処分しないのはこういう理屈だ。
ヤンキーの親だからって、彼女をいきなり恫喝したり追い出したりはしないだろう?そういうことだ。どういうことだろう?
取り合えず、この子の正体が分かるまでソテツと一緒に育ててみよう。そう思いながら水を飲む二人を眺めることにした。
過去に置いてきた懐かしさに朝日がまぶしい。朝日が眩しければ眩しいほど、現実の下らなさが影を濃くしていく。