「STAND BY ME ドラえもん 2」を観て邦画の未来が不安になった話
今からめっちゃ悪口言いますので、この作品が大好きな人は回れ右してください。
先日、映画館で「STAND BY ME ドラえもん2」を観てきた。
この映画を観て思ったのは、つくづく「泣ける」ことと「優れた作品である」ことは違うんだなーということである。
確かにこの映画は泣ける。ただ、断じて素晴らしい作品ではない。
ちなみに前作「STAND BY ME ドラえもん」は未見だが、あらすじは把握して観に行っている。
「泣かせる」より「笑わせる」方が難しい
僕は大学時代、色んなフィクションの作品を作った。
もちろん素人レベルのものばっかりだったけど、どうやったら人の心を動かせる作品を作れるか模索した。
その中で気付いたのは、「泣かせる」ことより「笑わせる」ことの方が数段難しいということだ。
泣くツボって、実は割とみんな似ているのである。
というか、優れた音楽と映像が組み合わされば泣かせること自体は容易いのだ。特に映画館という没入感の強い空間の中では。
ところが「笑い」は人によって全くツボが異なるし、そもそも"ベタ"という概念もあまり存在しない気がする。
例えば、「フランダースの犬」を見たら大体の人は悲しい物語だと思うだろう。泣きはしなくても大抵の人は心を痛めると思う。
けど、明石家さんまやダウンタウンを見てさえ100人が100人面白いと答えるかというとそうではないと思う(僕はどっちも好き)。
この「STAND BY ME ドラえもん2」という作品は、「ドラえもん」という日本人であれば誰もが思い入れのあるキャラクターを記号的に使用し、原作の泣ける部分だけをダイジェスト化し繋ぎ合わせたような作品。
そして、前述のように観客を最も簡単に反応させやすい「泣かせる」部分にステータスを全振りしているのだ。
個人的には、これが優れた作品であるとはとても思えない。
強いて言えば、「泣かせる」ことに特化して狙い通り観客を反応させている、という部分で言えば作り手はうまいのかもしれないが。
作り手の意図が見える作品は大体駄作
これだけ酷評しているが、僕はこの作品を見て結構がっつり泣いた。
この作品はのび太のおばあちゃんがキーパーソンとして登場するが、正直出てきただけで泣いていた。
孫に無償の愛と優しさを注ぎ孫の言うことは絶対に信じる、そのひたむきさと真っ直ぐさには絶対やられる。
しかし、考えてみればこのおばあちゃんの描き方自体が実に記号的、表層的だ。
一歩距離を置いて観れば、泣かせるツールの一つにしか見えなくなってくる。
性格悪いと思われるかもしれないが、「ほら、お前らはこういうので泣くんだろう?」とバカにされている気分にさえなる。
極め付けはEDに起用された菅田将暉の「虹」だ。
誤解を招かないように言うと、この曲自体は名曲である。
「さよならエレジー」といい、石崎ひゅーいの書く曲にハズレは少ない。
しかし問題は出だしの歌詞である。
"泣いていいんだよ"
この歌詞を聞いた瞬間、僕の心は一瞬にして冷めた。
少し前に「コーヒーが冷めないうちに」という邦画があった。
この作品のキャッチコピー、「4回泣けます」を見たときに似た怒りを感じたのだ。
なぜ作り手に映画の感想を決めつけられなきゃならないのか。
この曲の歌い出しの歌詞が恣意的なものなのか定かではないが、とにかく腹が立った。
重ねていうが、菅田将暉と石崎ひゅーいに罪はない。
のび太がまるでサイコパスじゃねえか
この作品、主人公であるのび太に全く感情移入ができないことが最大の失敗だと思う。
本来ののび太は、どちらかというと感情移入しやすいキャラクターだ。
ぐうたらでスケベで勉強もできないけど友達との絆は大事にする、人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人間。
普段ダメダメだけど優しいところが長所って素敵だし、好感も持てる。
しかし、この作品ののび太はのび太の皮を被った別人だったように感じた。
行動に一貫性がないし幼稚。過去作と比べても特に自分勝手だった。
そして何より、彼の一番良い部分である「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる」部分が一切見えない。
この作品には大人と子供、2人ののび太が登場するが、2人とも自分のためにしか行動しない。
あまりにも自分勝手過ぎてイライラした。
こいつらに比べたら(いつもの)ジャイアンの傍若無人な振る舞いのほうがよほど男らしくてマシに見える。
テーマに説得力がない
ストーリーラインもはっきり言ってガタガタだし全編に渡って「伏線をうまく回収してるでしょう?」的なドヤ感が出まくってることも腹立つが、一番腑に落ちないのは「そのままでいい、変わらなくていい」というメッセージに全く説得力がないことだと思う。
この主張自体は至極全うなんですが、問題は前述の通りのび太の良いところが全く描かれていないこと。
ダメダメでも揺るぎない長所があれば"変わらなくていい"という主張が美しく思えるのだが、僕はこののび太は絶対に変わった方が良いと思ってしまった。
観客にそう思われている時点でこの作品はテーマを描き切れていないと思うし、のび太のやることをなんでも受け入れるしずかちゃんの雰囲気も何だか人間離れしてて不気味だった。
冒頭で僕は前作を観ていないと言ったが、だからと言って製作者が「のび太の良い部分は前作で描いた」と思っているならそれは反則だ。
本作は単体の映画としては完全に失敗しているということに変わりはない。
この作品が大ヒットしなくて良かった
前作は興行収入80億円以上と特大ヒットを記録したが、本作はその半分にも満たない30億前後で収まりそうだ。
もっとも、この30億という数値も普通に考えれば充分ヒットなんだけど。
誤解を恐れず言うと、こういう映画がヒットすればヒットするほど邦画の質は下がっていくと思う。
2018年に「コードブルー」の劇場版が年間1位を獲得した際も思ったのだが、泣かせるポイントを詰め合わせた映画は総じて一般受けが良い。
おそらくそれは、日常の中で大笑いすることはあっても大泣きすることってそんなにないからじゃないだろうか。
"泣かされる"ことで観客はその作品を「感情を刺激する素晴らしい作品だ!」と勘違いする。
結果、観客が集まりどんどん興行成績が上がる。
そして制作側も『こういう作風が求められている』『こういう作品がウケる』と思い、どんどん泣ける映画を量産する。そうなったら邦画界は本当に終わりだ。
そういう意味ではこの作品が大ヒットせず、尚且つ「ドラえもん」という国民的人気コンテンツを失墜させるほどの大コケにならなくて良かったと思う。
やっぱ「ドラ泣き」みたいな飛び道具が通じるのは1回限りですね。