【2024年1月】人生は「足し算」だけど、ものづくりは「引き算」だから
iPhoneのAirDrop機能のように、脳内のイメージ画像が共有し合えたら、どんなにいいだろう。
でも、人間は未だ脳内を視覚化しながら対話することは出来ません。
あらあら、今月も月末です。
何で、予定通り出来ないんだろう…
新年早々、いつも通りの悩みです。
ホント、申し訳ない。
2024年の目標
毎年、年始にはノートに手書きで目標を書いています。
書き方はこんな感じ⇩
こんなことが出来るようになりたい、あんなことをやりたい、
欲しいもの、やりたいこと、
数え上げれば、希望はいくらっだって出てくるけれど、
実際、今やっていないのは何でだろう?
そんなことを考え始めたのは、最近のことだ。
思い立ったことや、気づき、いいなと思う言葉や表現、
ビジネスワードなどをふらっと書き留めるノートに、目標も毎年書いている。
今年はどんな目標を立てたかってことは、ここでは言わない。
こんなnoteを誰も読んでいないかもしれないけれど、
誰かに見せないからこそ、手書きのノートには何でも書ける。
誰かに見せてもいいと思うと、気軽に書けなくなってしまうのだ。
きれいな字で書かなきゃ、とか
まっすぐ書かなきゃ、とか
定期的に書かなきゃ、とか
馬鹿にされないような内容じゃなきゃ、とか。
自分しか見ないのだったら、何でもいい。
気負う必要も何もなくて、ホントに何でもいい。
そうやって、人の目を気にせず、自分らしくというか、ただ自分と会話し黙々とやるのが長続きする秘訣じゃないかと思ったりもするのです。
ノートをきれいにまとめようとしない。
殴り書きながら、時に二重線を引いたり、時につけ足したり、
字の大きさだって関係ない。
これはなんだ?
というような過去のページもある。
目標の話に戻ると、
毎年、目標を達成出来ているわけではない。
目標を達成出来なかったたびに、自分はこういうことは出来ないんだと知っていく。
これが出来ると思っていたのか!
こういうことなら続きそうだ、
意外とこれは続けられるんだな、と。
そう、自分を高めるために目標を立てているわけではなくて、
どちらかといえば、自分を知るために目標を立てているのです。
自分の事、こんな風に思っていたけれど、どうなんよ、と。
私が思い描く自分未来像は、果たして可能なのか否か。
そんなすり合わせ作業なのです。
人生は「足し算」だけれど、ものづくりは「引き算」だから
打ち合わせをしていて、「ん?」嚙み合わないな、と思うことが時々ある。
それは、修理の仕事ではほとんどないけれど、
新規の椅子製作の打ち合わせで起こりがちだ。
修理の仕事は、すでに使われてきた椅子が在り、多くの場合、使ってきたお客さんがそこにいる。
あとは、その方がどうしたいのか、今何に困っているかを聞けばいい。
けれど、新規の仕事はそうはいかない。
私の工房はあくまで「椅子張り店」。新規の椅子は製作していない。
なので、木工屋さん・家具屋さん・デザイナーさんからの新規の椅子の張り作業の依頼、もしくはクッション製作の依頼という事になる。
私のところへ来る時にはすでにアイデアがあり、そのアイデアをどうカタチにするか、というのが、打ち合わせの主な内容になるはずである。
先日、懇意にしている木工屋さんが、新規製作の打ち合わせに来ました。
「この寸法の場所にはまり込む板にクッションをのせるとしたら、どういう構成になるんですか?」
さて、何と答えたものだろう?
質問に対する答えは何通りものパターンがあって、
それを一つずつ、提案するには、出口のない迷路の扉を開け続けることになる。
よく聞かれるのは、
「椅子って普通どうなっているんですか?」
という質問。
きっと、当店へ新規製作の張り作業を依頼に来てくださる方々は、
椅子が、特に張り作業が関係する椅子の構造がどうなっているのかという事に、興味を持ってくださっているのだと思うのだけれど、
椅子って、たくさんありますけん。
私の知る限りの”普通”を、私が熱く語ったところで、皆さん大して興味はないと思うんですよね。
だから、いつも
「これは誰にどう使われて、どう見える(見せたい)ものなのですか?」
という質問をします。
前職で、舞台美術の製作を行っていた時に、よく言われたのは、
「足し算の仕事すんな!」
でした。
舞台美術は、先ず、美術画が先行します。
そして、平面図、製作図面。
平面図を書く時には、各劇場におさまるように描かなくてはなりません。
そして、客席から見た時に、美術画のように見えなくてはなりません。
製作図面を書く時には、多くの材料には規格があるので、それを知っている必要があります。
それを知っているかいないかで、作業工程や材料コストが大きく変わってくるのです。
それは予算にも関係してきます。
せっかくオーダーメイドで家具を作るのなら、自由にこれだというものを作ってほしい。
でもそのために必要なのは、やっぱり完成イメージなのです。
それさえ共有できれば、あとは現実的な寸法に当てはめたり、いくつかの材料を検証出来たり、こっちがいいかも、あっちがいいかもと、話は弾んでいくのです。
絵でもイラストでもラフスケッチでも、図面がなくとも、最悪言葉だけでもいい、
「こんな椅子にしたい」
「座るとこんな感じがいい」
「こういう場所に置いて、こんな風に見えて、こう使いたい椅子だ」
という、完成イメージを是非、教えてほしい。
完成イメージから、サイズが決まる。
そこから、材料の構成が決まる。
使い方によって仕様が決まる。
そう、ものづくりは「引き算」なのです。
板からさてどういった構成にするか、というのは、
「足し算」の考え方です。
「引き算」は、引けるものが無くなれば終わります。
その方法で細分化された構成を、幾通りかのアイディアで検証することも可能です。
けれど、「足し算」の考え方は永遠に足し続けることが可能で、終わりがありません。
その為、私が過去に行なってきた作業内容を永遠と聞かされるハメになるわけです。
私としては、
こういう使われ方なのでこういう構成にした、
とか、
こう見えたいからこうしたなど、色々と理由があるのですが、
大体みんな忙しいので、単刀直入に「正解とは何か」を聞きたがります。
私からしてみたら、私の中に正解はないのです。
こうがいいというお客さんの希望に合う材料や仕様を、経験値の中から選んでくる、というだけなのです。
不思議だなあ、と思う。
人生は大体が足し算だ。
足していくことに価値がある。
もしかしたらアイディアも同じかもしれない。
理想をいっぱい詰め込んで。
けれど、つくるときは何故か、足して足して足していくよりも、引いて引いて本当に必要なものだけをカタチにする方が美しく、長く愛される。
長く生きていると、人生には時に色んなものを引くべき時が訪れる。
でも、積み重ねてきた経験は無くなりはしないし、誰かに取られたりもしない。
多くの経験を重ねると、人は優しくなり朗らかになる。
多くを足されたモノたちは、時にうるさく飽きられることが多い。
当店で新規製作へ未だ足を踏み入れないのは、
人生における足し算が、私にはまだまだ足りないと思っているところもある。
そして、なによりも世の中はものに溢れすぎている。
もっともっと、足したいと思う反面、
1日の時間、人生で行動可能な時間を考えると、
なんでも足していけばいいってわけでもなくなってきたなぁと、
過ぎて行く日々に目を細めているのです。
古い椅子を張り替えて展示販売する「座と輪の古椅子展Vol.2」の開催を目指しています!