ビートルズの映画 "A HARD DAY’S NIGHT" が名作である5つの理由
現在東京六本木で絶賛開催中の "ポール・マッカートニー写真展 ~ Eyes Of The Storm ~" では、若さとエネルギーに満ち満ち溢れたビートルズを浴びることができますが、ほぼ同時期の動く4人のボーイズを堪能できる映画がこの世には存在します。
"A Hard Day's Night" です。
水野晴夫さんが他のビートルズの映像作品のタイトルと勘違いしてつけちゃったと言われる『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』という邦題もかつてはありましたが、残念ながら今は殆ど見かけることがなくなってきました。
"A Hard Day's Night" は、ビートルズの3枚目のオリジナルアルバム、そして初の主演映画のタイトルで、映画は今年2024年7月6日にイギリスで公開されてから60周年、またアルバムは、7月10日に同じくイギリスでリリースされてされてから 60周年を迎えています。めでたい👏
(※日本での映画の公開は1964年8月1日。)
六本木の東京シティービューで9月24日まで開催予定の『ポールマッカートニー写真展』では、イギリスにビートルマニアが誕生した直後の1963年12月から、ビートルズが初めてアメリカへ渡り『エド・サリヴァン・ショー』に出演した1964年2月までの約3ヶ月の、ポール自身が撮影した記録写真が見られますが、これはまさにビートルズの一作目の主演映画 "A Hard Day's Night" の制作が決定し、スタッフの選別や内容の構想が進み、ビートルズが映画のために(マイアミに休暇中に)楽曲を作り、いよいよ撮影が始まる…!という時期の4人の姿やビートルズに染められていく世界の様子を見られるということです。
(※写真展は、東京の次は10月12日(土)〜大阪梅田にて巡回予定です。)
私は7月末に写真展を満喫してきましたが、この機会に60周年を迎えた "A Hard Day's Night" という作品の素晴らしさを改めて振り返っておくことにします。
▼2024年夏・六本木のポール写真展の様子はこちら。
映画のあらすじ
はじめに、"A Hard Day's Night" という映画の内容をさらっっとご紹介します。
このビートルズの初の主演映画は、ビートルズの新曲を含む楽曲を散りばめながら、彼らの多忙な日常を彼ら自身が演じるというドキュメンタリータッチのコメディ映画で、画像はモノクロです。
一応ゆるいストーリーはあることはあって、【ファンや分刻みのスケジュールに追い立てられ窮屈な思いをしていたビートルズが、その鳥籠から飛び出して自由を求める中で音楽の素晴らしさや友情の美しさを私たちに伝えてくれる映画】だと私は思って見ています。
では早速、映画 "A Hard Day's Night" が名作である5つの理由を見ていきましょう。
名作である理由①主演俳優の魅力
主演俳優はもちろん、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターのビートルズのメンバー4人です。
映画の撮影が始まったのは1964年3月ですが、制作の構想が具体的に動きはじめたのは1963年の10月頃でした。
簡単に、映画 "A Hard Day's Night" にまつわる出来事を時系列でまとめてみました。
緑がこの時期のビートルズの活動内容ですが、ビッグイベントを次々とこなしており、まさにハードデイズすぎる日常を必死でこなしていた様子が目に浮かびます。お疲れさま🥺
10月にアメリカの映画会社 ユナイテッド・アーティスツ / United Artists は、ビートルズの人気を嗅ぎつけ、サントラ盤を作ることを目的にプロデューサーのウォルター・シェンスンに彼らの映画の制作を打診します。
最初はイギリスの4人組の若者の映画を作ることに懐疑的だったシェンスンも、ビートルズと初めて会った時に直ぐに彼らの魅力に気づきます。
彼は初顔合わせの際にビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインと共にタクシーでビートルズを迎えに行ったそうですが、4人が次々に車に乗り込んできて、4人乗りのタクシーに総勢6人が詰め込まれた形となり「マルクス兄弟のコメディのようで楽しかったのを覚えている」と語っています。
その様子は容易に想像でき、映画 "A Hard Day's Night" はかなりビートルズのありのままの姿に近いんだろうな、と思わせられるエピソードです。
「映画が成功した要因は彼らの存在感だ。見る者を惹きつけた」というのもウォルター・シェンソンの言葉です。
そんな風に関わる人をすぐさま魅了していった当時のビートルズですが、その若さやエネルギー、フレッシュさをそのまま映画に収めようと尽力してくれたのが監督のリチャード・レスターです。
ビートルズの4人とも、自分たちが演技ができないことは自覚していましたし、レスター監督もそれを分かった上で彼らがなるべく自然体で演技できるよう雰囲気作りをしたり、何度も撮り直したりしていたことが関係者のインタビューから伺えます。
俳優リンゴ・スター
一部では「チャップリンの再来!」とまで言われたリンゴは、この映画で主役級の存在となり、その後の俳優業につながる才能の片鱗を見せつけてくれます。
みんなからバカにされ、ポールのお爺ちゃんに唆され、鳥籠から脱走し一人で街を徘徊するシーンは、ジョージ・マーティンによる "This Boy ~リンゴのテーマ~" とリンゴの演技が相まって深い哀愁を漂わせており、まさにこの映画のハイライトの一つでしょう。
「この時は酷い二日酔いでどうにもならず、ただ歩いているところを撮ってもらうことになった」とリンゴは話していますが、そういうどうしようもないところも含めてこの時期のビートルズの魅力なんだろうなと思います。
ファンの目をくらますために映画の中でリンゴは古着屋でコートと帽子を手に入れます。
リンゴは衣装担当のスタッフに「僕のイメージを壊すつもり?」と言ったそうですが、そのちょっとくたびれた感じは、明るく!元気いっぱいの!笑顔のビートルズ!という当時のイメージとギャップがあり、また素敵です。
俳優ジョン・レノン
映画の中でリンゴと並んでその演技が評価されているジョンは、「自分たちの演技の半分以上、もしくはそれ以上は素が出てるかも」と明かしています。
ジョンはひとりだけ映画の中でアドリブをかましていて、その数は12回にもなるそうですが、この時既に初めての書籍 "In His Own Write" を出版していた彼は、この映画で使用された楽曲の大部分を作曲しており、まさに才能がエクスプロージョンしていた時期だと言えるでしょう。
本人は「最初の列車のシーンはかなり緊張していた」と話していますがそんな風には見えませんし、『ちょっと皮肉屋でとっつきにくそうだけど笑顔が可愛いジョン』のイメージが作られたはずです。
俳優ポール・マッカートニー
映画の中のポールはひたすら美しく友好的なキャラクターを演じていますが、「他の3人と同じように長めのソロのシーンがポールにもあったけど、彼の演技がわざとらしすぎてカットされた」というような記事を過去に読んだことがあります。
「女優とのシーンだったが、ポールの視線が女性の胸元に釘付けで使えなかった」みたいなことも言われており、ビートルマニアの精神が崩壊しないための配慮だったのかもしれません。
インタビューなどからポール自身の演技に対する自己評価も低いように感じますが、レスター監督も「ポールは当時女優のジェーン・アッシャーと付き合っていたり、4人の中で一番俳優に近い感じだったから、逆に演技をしようとしてしまっていた」と語っています。
俳優ジョージ・ハリスン
そんなレスター監督に「最も的を得た演技をしてくれたのはジョージだ。まったく過不足のないど真ん中の演技だった」と言わしめたジョージは、この映画に関しても「いい映画だ」「もし次に映画に出演する機会があったら今回の経験を活かせるだろうしぜひやって見たい」とビートルズ後期のジョージの口からは聞けないような意欲的なコメントを残しています。
脚本家のアラン・オーウェンは、撮影の途中でジョージから冗談混じりで「自分の出演シーンが少ない気がする」と言われセリフを増やしたたことを明かしており、ジョージも映画に対して積極的だったことが伺えます。
こんな風に、短い時間でも4人それぞれの魅力がきちんと伝わってきますが、私のようなビートルズ箱推しの人間にとっては、4人がほとんどの時間一緒にいて走ったり笑ったり食べたり演奏したりしているところを見られるだけで、もうこの映画は完全優勝です!!
間近で演奏する姿を見られたりリアクションや表情を凝視できたり、20代前半の4人はひたすら美しくて目の保養です。
ずっと見ていると、身軽な4人のエネルギーは無限な気がして、転けても倒れても怪我しないオモチャみたいにも思えてきて、実際のビートルズもそんな風に見られ尊厳を傷つけられるような扱いを受けることもあったのかもしれない…と少しホラーな気持ちを抱いたりもします。
いずれにしても、まだ音源を聞いたり荒い白黒写真でしか見ることのなかった動くビートルズを見ることができたというのは、当時の世界中のファンにとっては非常に画期的で喜ばしいことであり、しっかりと4人それぞれのキャラ付けがされてひとりひとりをフィーチャーしたことでメンバー全員を覚えることが可能になり、ファンはますますビートルズに沼っていったはずです。
この映画は公開後かなり絶賛され、それまでビートルズに夢中になっていた若者以外の層にも非常に好意的に受け入れられ、ビートルズ人気が世代を超えて拡大する起爆剤となりました。
それはビートルズ自身や製作者たちの意図したところではなく嬉しい誤算でしたが、1963年にイギリスを制し、1964年にエド・サリヴァン・ショーでアメリカに火をつけたビートルズにとって、世界征服に向けての見事なタイミングでの見事な映像作品の誕生となりました。
名作である理由②素晴らしい音楽
言うまでも無いことですがビートルズはロックバンドなので、映画では贅沢なことに彼らの映像と共に音楽もたっぷりと楽しむことができます。
この映画の中では、当時新曲だった
A HARD DAY'S NIGHT
I SHOULD HAVE KNOWN BETTER
IF I FELL
I'M HAPPY JUST TO DANCE WITH YOU
AND I LOVE HER
TELL ME WHY
そしてすでに彼らのヒット曲となっていた
CAN'T BUY ME LOVE
SHE LOVES YOU
そして4人がナイトクラブで飲んだり踊ったりするシーンでは、メドレーで
ALL MY LOVING
DON’T BOTHER ME
I WANNA BE YOUR MAN
を聴くことができます。
新曲のほとんどで彼らの演奏シーンも見ることができ、目にも耳にも美味しい作りになっています。
何と言っても冒頭の、あの耳に残るコードを合図にこちらに向かって走ってくるジョンジョージリンゴ!
転んだジョージにつまづいてリンゴがその上に折り重なって転がって、そんな二人を見てジョンが爆笑して。。。
というオープニングのシーンを5秒見るだけでワクワクして、自分もファンに紛れて3人を追いかけてる気分にさせてくれます。
映画の撮影も終盤に差し掛かった頃、ビートルズとスタッフが悩んだ末にタイトルがリンゴイズム満載の「A Hard Day’s Night」に決定しましたが、なんとジョンとポールはその "A Hard Day’s Night" というぶっ飛びタイトル曲を急いで作るようプロデューサーから依頼されます。
そんな曲書けそうにない!と戸惑ったレノン・マッカートニーチームでしたが、結局たった一晩で、この映画にぴったりの当時のビートルズとその周辺のエネルギーを感じさせる完璧な楽曲を書き上げました。
映画の制作が始まる前にビートルズはプロデューサーから「映画の内容は未定だけどどんな曲でもいいからバラード2曲とアップテンポ2曲含む6曲を作って」と無茶振りされており、1964年の初めてのアメリカ訪問時とイギリス帰国後の短い期間で、主にジョンが楽曲を複数書き上げています。
その後ジョージ・マーティンの元でレコーディングしたテープがレスター監督に渡ります。
監督によるとそのテープには8曲くらい収録されていたそうで、監督はその中からたった1日で映画で使わない2曲を選ぶ必要があったそうですが、あまりにも重責すぎる取捨選択で、時空を超えてお気の毒になります。
"A Hard Day’s Night" のアルバムには映画では使用されていない " I’LL CRY INSTEAD ~ぼくが泣く" が収録されていますが、この楽曲がボツ曲のひとつだと考えられます。
それから、映画の撮影時には演奏されたものの編集段階でカットされたと思われるのが "YOU CAN'T DO THAT" です。
"A Hard Day’s Night" のブルーレイの特典映像では、その彼らの演奏シーンを見ることができます。
映画の中でのビートルズの楽曲の使われ方は秀逸で、彼らが実際にステージで演奏するシーン以外にも、
◇列車の中でトランプをしながら歌う I SHOULD HAVE KNOWN BETTER
◇拗ねたリンゴを元気づけるためにジョンが歌いかける IF I FELL
◇窮屈な楽屋を飛び出して空き地を4人が自由に駆け回るシーンでの CAN'T BUY ME LOVE
など、ビートルズの楽曲が流れる場面はどれもハイライトのひとつです。
そしてリンゴがひとり屋外をうろつくシーンでは、ジョージ・マーティンによる "THIS BOY ~こいつ" のインストバージョン、別名『リンゴのテーマ』が流れますが、こちらも憂いを帯びたリンゴの魅力を引き立てる素晴らしい楽曲です。
なお、ジョージ・マーティンは映画の脚本を担当したアラン・オーウェンと共に、この作品でそれぞれアカデミー賞の編曲賞と脚本賞にノミネートされています。
それから、特に演奏シーンではカメラが6台も使われたというだけあり、あらゆるアングルからビートルズを舐め回すことができます。
私のように彼らのまつ毛や鼻筋や顎や髪の毛の先を見つめることに必死のファンは見逃しがちですが、映画によって彼らが使用している楽器をまじまじと見ることが叶ったのもとても大きな収穫でしょう。
これまでレコードを聞いて想像するしかできなかった「ビートルズはどんなギターやベースやドラムセットを使い、どんな風に弾いたり叩いたりしているのか?」という疑問に、映画は完全に答えてくれました。
バースのロジャー・マッギンはこの映画でジョージが弾いている12弦のリッケンバッカーに魅了されたひとりですが、「一緒に見に行っていたデビッド・クロスビーは映画館を出ると俳優のジーン・ケリーみたいに踊りながら「最高だった!』と叫んでいた」と語っています。
そんな風に "A Hard Day’s Night" は、音楽を演奏する楽しさをストレートに伝え、世界中のギターキッズの胸にもぶっ刺さりました。
そしてユナイテッド・アーティスツの予想どおり、映画のサントラは大ヒットします。
また、「映画はビートルズのニューアルバムそのもの」とも評され、レスター監督は元祖ミュージックビデオといえるような撮影の手法から『MTVの父』とも言われるほどでした。
名作である理由③スタッフの自由度
そのリチャード・レスター監督を筆頭に、映画に関わったスタッフの自由度 というのを "A Hard Day’s Night" が名作である5つの理由の3つ目に挙げたいと思います。
監督:リチャード・レスター
アメリカ出身でありながらイギリスでもコマーシャルやテレビのコメディショーの仕事をしていたレスター監督は、1959年に『とんだりはねたりとまったり』という短編映画を制作しており、ビートルズはその作品がお気に入りでした。
そのため、もし映画を作るにしてもエルヴィス・プレスリーが出演してるような作品は嫌だと考えていた4人にとって、レスター監督は理想的な人物でした。
レスター監督は、この低予算映画の中でもいくつもの自由な撮影の手法を試みています。
例えば冒頭のシーンでは、監督は自らカメラを手にし、ビートルズを追いかける群衆に混ざって一緒に走って撮影したそうで、映画作りのセオリーとしてはありえないのかもしれませんが、それがあの臨場感を生み、エネルギーと興奮が直接伝わってくるような効果をもたらしていると思います。
また AND I LOVE HER の演奏シーンでは、歌唱しているポールを360度撮りたいとカメラを吊り下げて手持ちで撮影したそうですが、逆光で白飛びしている箇所があり、制作会社に「こんなのはあり得ない」と言われたものの、今ではポールと彼の楽曲の魅力を引き立てる演出として評価されていたりします。
CAN'T BUY ME LOVE の大はしゃぎ4人組のシーンでは、空から撮られた長い映像が使われたり、本を出版したジョンが文学昼食会で不在の間、レスター監督が手持ちカメラでポールジョージリンゴの3人の輪の中に4人目のビートル目線で入り込み、ドアップで彼らを写すという体当たり撮影も試みています。
他にも終盤のスカラ・シアターでは、色んな方向からビートルズを捉えるためにカメラが6台用意され、しかしそれぞれのカメラマンに監督からは具体的な指示はなく、各カメラマンがディレクターとなり自由に撮影することができました。
レスター監督はそのいくつものカメラアングルを見て使える映像を決めていきましたが、案外ベテランカメラマンの撮った映像は彼の意図する動きをしておらず使うことがなかったと語っています。
テレビ局での演奏シーンでは、ビートルズを前から横から下から後ろから観客席から…と本当に様々な角度から楽しむことができ、彼らの音楽と観客の歓声に飲まれていく感じがしてとても満足度が高いです。
脚本:アラン・オーウェン
そしてこの作品の脚本担当には、レスター監督が過去に組んだことのあるアラン・オーウェンが起用されました。
彼はビートルズと同じリバプールの出身だったので、彼らのリバプール訛り・スカウスや辛辣なジョークやユーモアのセンスも良い具合に取り入れることができました。
脚本に関して製作上の規約は特になく、オーウェン自身も「こんなに自由に脚本を書けたのは、後にも先にもこの作品だけだ」と語っています。
「ビートルズの4人の行動は予測不能で目が離せない」とレスター監督は表現していましたが、その彼らの姿を必死にありのまま捉えようとした映画制作チームの素晴らしい仕事によって、あの魅力的な作品が出来上がったのだと思います。
名作である理由④スタッフの化学反応
ビートルズとスタッフはもちろん、制作チームのスタッフ同士の化学反応や、ビートルズを追って各地に現れたリアルなビートルズファン=ビートルマニアもこの映画にリアリティと臨場感を与える役割として非常に有効に作用しています。
監督×ビートルズ
まずリチャード・レスター監督とビートルズは紹介される前からお互いに興味関心を抱く存在だった上に、実際に一緒に仕事をしても相性は抜群でした。
ジョージは「リチャードという最高の監督に恵まれた。いい人で僕らと気があったし笑いのセンスも抜群でやり易かったよ」と語っています。
またポールは「彼はジャズピアニストだったから話が早かった」とも話しています。
レスター監督はもともと音楽が好きでピアノやクラリネットも嗜んでおり、"A Hard Day’s Night" を制作した当時はポピュラーミュージックに夢中でもちろんビートルズの音楽もすでに聴いていたため、彼らの映画の話を持ちかけられて興奮したと言います。
そして、もし予算が与えられるなら自分の得意分野の映画を作りたいという夢もあったそうなので、いくら予算が限られているとはいえ、彼にとってこの話は潜在一遇のチャンスだったのではないでしょうか。
脚本家×ビートルズ
そしてビートルズと同じリバプール出身の脚本家のアラン・オーウェンは、作品への参加が決まってからレスター監督と共にビートルズのツアーに同行し、ジョンにバカにされたりしつつも彼らの激動の日常を目の当たりにします。
そこでアランは、「ホテルから記者会見の会場に行きコンサート会場へ直行。せっかく手にした成功を味わう暇もない…。ビートルズは成功の囚人だ」と感じます。
この映画で出会い、後にジョージと結婚したパティ・ボイドの唯一のセリフが「Prisoners !?」ですが、そこにはそんなアランの気持ちが篭っているのかも…と思うと、また違った色合いを帯びてきます。
「毎日こんな調子で過密スケジュールに追われるビートルズにとって唯一許された自由が音楽で、演奏中はみんな笑顔になるけど普段は囚人なんだ…」と驚いたオーウェンでしたが、それをトラジェディではなくコメディにできたのは彼の脚本の力ですし、加えてレスター監督の手腕と、何よりビートルズ本人たちが楽しんで撮影に臨んでいたことがこの作品を魅力的なものにした大きな要因でしょう。
この時期ビートルズは成功の代償に既に疲れ始めていましたが、まだその状況や演奏することを楽しむ余裕があった頃で、本人たちもファンも、ブライアン・エプスタインも、、、みんながハッピーだった頃ではないかと思います。
"A Hard Day’s Night" は楽しくてエネルギーに満ち溢れていたファビュラスな瞬間を切り取ってる貴重な映像作品だと改めて感じます。
俳優陣×ビートルズ
ベテランのアクターと演技初心者のビートルズとの化学反応も魅力のひとつです。
劇中でTVディレクター役を務めていたヴィクター・スピネッティは、以前出演した作品を見たビートルズから直々にオファーがあったそうですが、この映画出演後も "HELP!" と "Magical Mystery Tour" に出演を果たし、更にジョンとはレスター監督の "How I Won The War" でも共演しています。
"A Hard Day’s Night" の撮影では4人全員と仲良くなったと語っています。
またポールの祖父役を務めた準主役級の、ウィルフリッド・ブランベルは、それまでの出演作のイメージを払拭し、51歳の若さで "クリーンなおじいちゃん" を熱演しています。
「ビートルズにうまく溶け込むことができるか不安だったけど、彼らの作品に対する冷静でシビアな取り組み方には感心した」と後に語っています。
スタッフ間の化学反応
さらに制作チーム内での化学反応も成功の要因のひとつと考えます。
編集担当のジョン・ジンプソンは、ビートルズの音楽と映像を見事に組み合わせることで、レスター監督のビジョンを忠実に作品に落とし込んでいます。
例えばタイトル曲に合わせてビートルズが疾走するオープニングでは、つまづいたジョージの上にリンゴが折り重なり、それを見てジョンが爆笑するというような監督が捉えた奇跡の瞬間を、編集者がきちんとパッケージングしてひとつのシーンとしてスクリーンに収めることで、一瞬で私たちの心を鷲掴むことに成功しています。
ビートルマニア×ビートルズ
レスター監督は臨場感を求めてスタジオの外での撮影にこだわり冒頭のシーンも本物の駅と列車で撮影をしていますが、最高機密であるはずの極秘のロケ地はなぜかいつもファンにバレていて、常に彼女たちに囲まれていたそうです。
しかし彼女たちのあの歓声は演技ではないため、ますますリアリティが増すというファンとビートルズの化学反応も見られます。
それは最後の劇場での演奏シーンでも同じことが言えます。
あのシーンにエキストラとして参加していたというフィル・コリンズは、「ただただビートルズの演奏を楽しんでいた」と語っています。
そういう演技ではないリアルな熱が、この映画の価値をさらに高めているのでしょう。
名作である理由⑤モノクロ映画
技術上の判断や予算の関係で、映画はカラーではなくモノクロになったようですが、モノクロであったからこそ逆にリアリティを感じさせる気さえします。
中には、「同じショットでもカラーだったら全く別物になっていただろうし、カラーだったら失敗していたかもしれない」という評論家もいます。
"A Hard Day’s Night" がもしカラー作品だったら、視線や気持ちが分散して彼らのエネルギーに集中できないような気がするので、個人的にもモノクロで大正解な気がします。
私はこのモノクロの効果に、『60年代の若者たちの閉塞感にビートルズの存在と音楽が自由と彩を与えた』というようなメッセージさえ感じてしまいます。
なお、カラーでビートルズを拝みたい場合は、2作目の映画 "HELP!"と最近映像と音声が美しくなった3作目の "LET IT BE" で存分に楽しむことができます。
まとめ
以上の5つが、私の考える【映画 "A Hard Day’s Night" が名作である5つの理由】です。
この映画に対するビートルズ自身の反応もいくつかご紹介します。
最初、試写会を見た時は4人はそれぞれお互いの粗探しをしていたそうですが、観客が笑ったり喜んでくれているのを見て「なかなかいい作品だ」と思えるようになったようです。
ジョンは「初めて見た時は自分の耳や鼻や髪型ばかりが気になって、残念ながら内容を追う余裕がなかった」と語っています。
画面で見る限り余裕綽々で撮影に臨んでいたように思えるジョンも、初日の撮影はものすごく緊張していたようです。可愛すぎます。
試写会で映画を見終えた後、4人はしばらく沈黙していましたが、一番最初にジョージが口を開き「いいね。僕はこの映画好きだよ」と発言したそうです。
こういうシチュエーションでちょこちょこ見かけるジョージの切込隊長的な度胸は本当にかっこいいし大好きです。
この時期のビートルズのリアル・ハードデイズナイトっぷりに関しては、リンゴは「大勢のファンが自分たちを待ってくれていて手を振ってくれるのは不思議な感じがするけど嬉しい」と語り、ポールも「巡業にうんざりしてないかとよく聞かれるけど、それも仕事の一部として楽しめるようになった」と話しています。
ジョンも「ホテルに缶詰で街を見られないと最悪だけど、出掛けたければ
抜け出す方法はいくらでもある」と語り、この頃はまだ警部もゆるく、マスコミやビートルマニアに追われることが日常的になっていたとは言え、それをまだ楽しめる余裕があったんだなと嬉しくも切なくもなります。
映画を撮影していた時期はジョン・ポール・ジョージ・リンゴが、自分たちの音楽とビートルズの人気を楽しめていた最後の時間なんじゃないかと感じます。
アメリカ上陸後のビートルズ旋風は本当に凄まじい勢いで拡大し、このあとどんどん彼らの周りの世界は狂って行き、自分たちの成功を噛み締めたり喜んだりすることもままならなくなっていきます。
そんな【ビートルズがビートルズであることを楽しんでいる】という刹那的な一瞬を閉じ込めているように思えるからこそ、この映画はモノクロでもキラキラと輝いて見えるのかもしれません。
そして明らかに誰がどう見ても超絶人気者な現実を前にしても「自分たちはただ運が良かっただけ」とか「この状況には慣れないし自分自身のこととは思えない」と話す4人が、スクリーンの中でも本当にその人気を鼻にかける様子もなく、子犬のように4匹でじゃれあって、ライブができる楽しさを全身から放っている姿は、無条件に私たち観客を明るい気持ちにさせ、元気づけてくれます。
個人的には、最近ビートルズ解散前の姿を捉えた映画 "LET IT BE" を見てから改めて "A Hard Day’s Night" を見たことも、またこの映画の尊みをより深める効果があったような気がします。
今年はビートルズアメリカ上陸から60年の記念すべき年にあたり、ビートルズ公式による周年を祝う祭りが既に始まっています。
瑞々しい20代の4人を愛でながら、残り4ヶ月となった2024年をビートリーに駆け抜けましょう!
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