してあげたい人に、してあげなさい。 (ある文豪の言葉)
その人の言うことを聞いていれば、しばらくは安心かもな。
でもな、その人はおまえを安心させるために言うてるんちゃう。おまえに言うこと聞かすために言うてるんやぞ。
その人はな、おまえの人生を生きてみたいねん。自分の人生も捨てずに、おまえの人生も自分が生きたいねん。
安全な場所から、おまえに親切なアドバイスをくれる。
おまえが失敗したら励ましてくれる。おまえが成功したら喜んでくれる。傷ついたら励ましてくれるし、怒ってるときは一緒に泣いてくれる。
そのおかげで、おまえは頑張れる。
でもな、おまえが成功しつづけて、その人を超え、その人を必要としなくなるような、そんな気がした瞬間に、その人はおまえからハシゴを外すぞ。
おまえの人生を、自分の支配下に置いておくためにな。
おまえの生命を使って、義憤に胆を煮え滾らせたり、恋に心震わせたり、青雲に志を浮かべたりするためにな。
ええか。
おまえは、おまえの人生を生きろ。
おまえの生命を生きろ。
その人がおまえに冷たくなっても、なにも驚くことはない。
その人がおまえから去ろうとしても、一瞥もくれるな。
その人は、必ずおまえのところに戻ってきて、また猫なで声でおまえを取りこもうとする。
自分を省みて昔を恥じ、心を入れ替えたようなことを言う。
それは決して嘘ではない。
でも、本当でもないんや。
その人は本気で、その自分の心模様を真実やと想いこんでいる。
そうや。可哀想やな。憐れや。
あんなに自信に満ち溢れていたあの人が、見る影もなく老いさらばえ、品をつくっては媚を売る。
だが踏みとどまれ。
おまえは生命をひとときも無駄に過ごしてはならない。
人生においては、無駄にならない無駄な時間というものがある。
しかし同時に、本当に無駄になる無駄な時間というものもあるんや。
それはな、恩知らずと付き合う時間や。
その人は、おまえへの恩を語る。役に立ちたいと言う。
それも嘘じゃない。
本気でそう想いこんでいる。
それがそのときの、偽らざるその人の「気分」なんや。
気分で言うてることは、潮目や風向きが変われば、霧消する。裏返る。
恩知らずってのはな、どんなことをしても、どんなに人に貢献しても、親切を働いても、どんなに人から感謝されても、それだけでは満足できへん。
最終的にはその気持ちをカネやモノ、権利に換えて自分で「所有」していないと気がすまない輩のことや。
最後は、与えた以上に返してもらうことへの執着が勝る人間のことや。
どんな好意もプレゼントも、その人は意識の底で「貸した」と思っている。
回収する日を執拗に待っている。
そして回収がかなわないと知ったとき、恩は「怨」に姿を変える。
そいつのことは信用したらあかん。
出来るなら、付き合うな。
すでに付き合ってしまっていたら、慎重に距離を置け。
たとえ世話になってしまっても、それを気に病むな。
おまえには、人が世話を焼きたくなる雰囲気がある。
人はおまえを助けられたら、誇り高い気持ちになる。
おまえから相談を受けたなら、親身にならずにはいられない。
そんな魅力を、おまえは持っている。
おまえは、してもらったから返すのではなく、おまえがしてあげたい人に、出来ればおまえが胸焦がれるような志を持った人を見つけて、その人がして欲しいことをしてあげなさい。
おまえが「してあげる」だけで心が充たされることを、一所懸命してあげなさい。
してあげられるだけ、してあげなさい。
そのことを自分の胸の内で、そっと誇りに思っていなさい。
決して志や誇りを、親切な恩知らずに明け渡してはならない。
おまえの志、おまえの誇りは、喜ばせたい人を喜ばせるために使うんや。
それこそが、生命の歓喜や。
それを忘れんといてくれ。
(文豪)
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