四万十川ウルトラマラソン完走体験記④
(③から→)
2024年。私は四万十川ウルトラマラソン100㎞の部にエントリーをした。
5年前の忘れ物を取りに行くために。
5年が経ち40歳になった。日常生活色んなことがある。
一般的には加齢を感じる年齢だと言われる。しかし幸いなことに私はそれを感じない。
「40代の最初の年で100㎞を走り切れば、何か大きなものを得られるかもしれない。」
そんなことも思った。
これまでの失敗の原因は、端的に言えば全て練習不足だ。
「仕事で帰宅時間が遅くなり練習できない」「疲れて寝落ちしてしまい夜に走れない」
「出張が多く走れない」「家の用事で時間が取れず走れない」
そんな言い訳が重なって、走り込みの距離が伸びない。
更に近年は夏の猛暑が酷く、日が落ちても気温が30度を下回らない日も多い。
「暑すぎて距離を走りにくい」
そんな要因もある。
これまで7月上旬から練習を開始していたが、今回それを1か月前倒しした。
しかし本格的な夏を前に、徐々に暑くなってきて、練習後に疲労が溜まりやすくなってくる。
これでは走り込みの距離は伸びていかないし、日常生活や仕事に支障が出てくる。
土日も、娘2人(小3、年長)がいる我が家は慌ただしい。
朝走り、朝の準備に慌ただしい時間帯にランニングが食い込む。
迷惑顔で呆れかえる不機嫌な妻。
「もっと早朝から走ったら?本番もスタート時間早いんやろ?」
と言われる。
その提案に、「確かにな」と思う。
平日夜⇒帰宅して疲労がある。熱帯夜。
朝⇒短い時間しか走れない。早い日の出で日差しがすぐに強まり、暑い。
涼しい気温で長時間走れるボーナスタイムは、早朝しかない。
それに妻が言うように、ウルトラマラソン100㎞のスタート時間は早朝5時半。
そこに体を慣らす意味でも、早朝はいいのではないか。
以降、早い日には、早朝3時台からランニングに出発する日々が始まる。
ヘッドライトを付けて、出発。
暗いものの、連日熱帯夜で暑い。
それに湿度が高く、1㎞も走るとランニングシャツは汗びっしょりになる。
しかし、日差しが無いか、弱いのは非常に大きく、走り込みの距離は確実に伸びていく。
月間131㎞、230㎞、285㎞ 真夏にも関わらず走り込みを増やしていく。
堂が森対策として、勾配の大きいコースを選び朝から18㎞、20㎞と走っていく。
「今度こそ堂が森に勝ってやる!」強い氣持ちでアップダウンのある路上を走る。
更に今回から、走り込みの相棒にGARMIN(=GPS時計)が加わったのも、大きかった。
ラップ、勾配、心拍数の変化がアプリから確認できる。
連日それらを見比べて、練習としてどうだったのか反省しながら進めた。
「今日はペースが遅いのに心拍が上がってしまっているな。」
各指標の意味も調べ、何が課題なのか。なぜそうなっているのか。考えて進めた。
その月の走り込みの距離が増えていくのも、達成感の一つ、やりがいの一つとなった。
目標設定は完走。
13時間15分近辺を狙って、ウルトラマラソンの教本も参考にしながら練習を進める。
「出張だから練習できない」
そこも逆手に取り、旅先や出張先にウェアとシューズを持参し走る。
福井県、福岡県、宮崎県。
各県で走ることも楽しみの一つとなっていった。
「2019年の悔しさを晴らすんだ」
そんな強い氣持ちがあった。
何より40歳にして、100㎞に挑む過程・練習は楽しかった。
本氣・真剣になっている自分を感じた。
自分の走る息遣い、滴る大量の汗。
練習する中で、学生時代の本氣で部活をやっていたころの感覚を思い出した。
真夏の練習後のウォータークーラーの味。
当時胸をときめかせた人のこと、夢に見ていたこと。そんな青春の思い出も伴って。
8月に入ると同時に、公私ともに一切のお酒を断った。
練習に差し支えるし、少しでも完走の確率を下げる要素は無くそうと考えたからである。
唯一できなかったのが、推奨されている50㎞、60㎞などのロング走。
この練習は子育て・現役世代にはきつい。
仮に1㎞5分程度で走ったとしても5時間以上をランニングだけで占有する。
私の力であれば、その1.2倍以上の時間を要するだろう。
準備や休憩、ランニング後のリカバリー含めてほぼ半日ランニングに費やす時間を空けるのは無理だった。
代替案としては、深夜日付が変わる辺りから朝方まで走るか、25㎞走を早朝と夜間の2回に分けて実施するか。
くらいだが、中々厳しい。
20㎞以上の走行を3日間以上実施する。など出来る範囲で走行距離を伸ばすようにした。
レースは刻々と近付いてくる。
そんなとき、高知放送の髙橋龍介アナウンサーが昨年(2023年)、4年ぶりに復活した四万十川ウルトラマラソンに挑戦するドキュメント番組に出会った。
番組を通して、5年遠ざかっている四万十川ウルトラマラソンの魅力を再確認した。
懸命に100㎞の道のりに挑戦する髙橋氏の走りにも感動したし、
沿道の声援、大会を支えるボランティア、住民の方々の頑張り、温かさなどを番組を通して思い出した。
「そうだ。こんなふうだったな。」
しみじみ食い入るように番組を観る。
5年前。33㎞地点で諦めようと思った私の体を突き動かしたものは何だったんだろう。
それは、四万十川の美しい景色だったり、沿道のボランティアの支援、温かさのある声援
更には共にゴールに向かうランナーの姿だったんじゃないだろうか。
それらが、自分からいつも以上のチカラを引き出してくれた。
5年前もいつもの私ならば間違いなく、「100㎞地点」までは行けなかったと思う。
「無理だ」
なにしろ前半の33㎞地点で諦めよう。もうやめようと思ったのだ。
「もう無理や」
「投げ出そう」
そんなへこたれそうな、痛みに負けそうな情けない自分が、声援を受けて少しずつ前に進んでいく。
他の前に前に進むランナーを見て。
「俺も進まなきゃ」
「もう少し頑張ろう」
「あと少し前に進もう」
そんな氣持ちが自分の内側から滲み出し、前に進める。
「歩きたい」、「止まりたい」
何度となく自分の弱さに負けそうになる。
挫けそうになる自分がまたふらふらと前に進み、走り始める。
傍らの四万十川の流れは何も語らず、ただそこに佇んでいる。
前を走るランナーの背中が、
「俺も前に進みたい」「ゴールしたい」と思わせてくれる。
日が落ちて暗くなっても、ここまで来た道のりを思い出すと
簡単にはやめたくない。
もうやめたくなる氣持ちと、前に進みたい氣持ちとがせめぎ合う。
でも、少しでも前に体を進めたくなる。
少しだけでも、長くこの時間を味わっていたいと思う。
「強制的にやめさせられるまでは、前に進もう」
棒になった脚を引きずるようにして、時に幼子のように心が泣きそうになりながらも、なぜか体が前に前に行こうとする。
自分が思う以上にあきらめない自分。
自分の思う「限界」を超える自分に出会える。
「だから俺は四万十川が好きなんやな。」
「だから俺は100㎞に挑戦し、完走してみたいんやな。」
番組を観ることを通して、5年前のことを思い出し、ふとそんな感慨に包まれる。
つい感傷的になってしまう。
特にレース後半の髙橋氏のしんどさと向き合って葛藤する姿・沿道の声援に感じたコメントは、自分の体験した心情と重なり、涙があふれそうになった。
何度もYouTubeでこの動画を閲覧した。
「俺も時間内に四万十を完走して、この景色を見たい、感じたい。」
「今度は止まらずに、歩かずに走り切ってみたい。」
より一層そんな思いが強まり、2024年10月20日の本番の日が近付いてくるのである。(続く)
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