四万十川ウルトラマラソン完走体験記⑨
(⑧から→)
87㎞ポスト付近の川登地区。
集落が広がり、拍手と「おかえり」と声が飛び交う。
このレース後半の温かい雰囲氣。とても私は好きだ。
補給食を頂く。あたたかいコーヒーなども80㎞を超えたエイドから見られるようになる。
朝出発してから12時間近く体を動かしているのだ。
カフェインや、温かいものはありがたい。
コーラもカフェインに利尿作用があるため、最終盤まで摂らないと計画していたが
最終盤を前に解禁する。
少し手前の私設エイドでは、冷却スプレーを貸してもらうことができた。
疲れている脚には本当にありがたくて。
そんな沿道の方の心遣い、温かさ、優しさが骨身に染みる。
険しい表情だけど「ありがとう!」と声を返す。
あと13㎞。100㎞の行程でいうとあと少しだ。
川登地区の皆様の雰囲気で「もう少しだ」と思う。
しかし、冷静に考えると13㎞は決して短い距離とは言えない。
とにかくあと3㎞を切った90㎞ポストを超えよう。そうするとラストが見えてくるだろう。
ここから4㎞くらいはまた1㎞6分台で走っていく。
「冷却スプレーのおかげかな」
こうした、沿道の方々の支援のおかげでこの最終盤を走れている。
16:50ごろ。
ようやく90㎞ポストを超えた。
ゴールの100㎞地点の制限時間は19:30
残り時間は2時間40分ほど。
「10㎞を2時間40分。」
もうよほどへまをしない限り、5年前のようなタイムオーバーは無いだろう。
しかし、90㎞体を動かし続けたラスト・最終盤の10㎞だ。
同じ1㎞を刻むのに、序盤の1㎞と比較して倍以上。場合によってはそれ以上の心身の負荷を感じる。
簡単そうで難しいのが、このラスト10㎞だと思う。
90㎞ポストを超えてしばらく歩く。
もう少しでエイドがある。
手元の時計の距離は相変わらず、コースの㎞ポストより1㎞強先を示している。
手元の時計で92㎞、93㎞(つまり実際には91㎞、92㎞のラップ)は1㎞9分台を再び示している。
氣持ちで、90㎞近辺は1㎞6分台を刻んでいたのだが、再びスピードダウンとなる。
いよいよ脚が思い通りに動かなくなってきたようだ。
90.9㎞ 同じくコーヒーや、温かいもの、バナナを頂く。
お世話になってきた、声援をもらってきた給水・給食地点もあと3か所となってくる。
この長い道のりも終わりに近づいていることで、どこか寂しさ、名残惜しさも感じてくるようになる。
明るさは残っているが、日没時間が近付いている。もう日差しはない。
あと3㎞で93.9㎞の第7関門である。
2㎞、1㎞と関門の残り距離を意識して走るが、ピッチが上がらない。
下りの方が多く、本来走りやすいコースのはずなのだが、刻むラップは1㎞7分台~8分台に落ちてきている。
まさに、ほぼ氣持ちだけで前に進む時間がやってきたようだ。
私のレース前に設定した目標タイムは13時間15分くらいだったが、ここに来て少し思う。
「もしかすると13時間を切れるのではないか。」と。
第7関門まで1㎞を切ってからが、意外と長く感じる。
そうこうして何とか93.9㎞の第7関門(閉鎖時間18:46)にたどり着く。
フィニッシュ地点前の最後の関門である。
ここまで通過地点のキロポスト、関門通過の写真は撮らなかった。
あくまで通過点で一喜一憂しないことに決めていたからである。
しかし、ここだけは写真を撮る。やはりゴール前最後の関門への到達は感慨深いものがある。
17時25分に到達。閉鎖まで1時間20分の余裕がある。
明るいうちに到着することができた。
残すはいよいよ最終のフィニッシュ。100㎞地点の第8関門(制限時間19:30)のみ。
あと約6㎞を2時間5分以内に到達すればよい計算だ。
今まではずっと関門の時間を氣にしてきたが、もうほぼ完走ができない心配はしなくてもいい。
「ここからは集大成。俺だけの時間としてしっかり味わい切ろう。」そう思った。
暗くなってくるとエイドでペンライトが渡されるが、今回はまだ必要ないくらいだ。
ここに来て、私ははじめて目標を「13時間台前半」から「12時間台」に切り替える。
あとここからの残り6㎞を1時間以内でフィニッシュすれば、13時間を切ることができる。
暗くなっていく中、本当の最後の力を振り絞る。
川沿いを基本的には、四万十市中村の市街地に向けて下っていくルート。
もうさすがにヘロヘロで、㎞6分台では刻めなくなっている。
1㎞7分台が精一杯という感じのラップだ。
95.3㎞地点で最後の軽食ありのエイドがある。
最後の走りに向け、水分、食料を補給。
水も被り、再度氣持ちを入れなおす。
本当にここからは沿道の方の声援が後を押す感じになってくる。
「ナイスラン!あと5㎞切ってるよ!」
「あと少し頑張れ!」
温かい声援を沿道の方が送ってくれる。
自分の中でもあと5㎞、4.5㎞、4.2㎞と小刻みに時計に表示される距離を見てカウントダウンを始める。
「あと4㎞。いつものランニングコースのあの駅のあたりまでだな。」とか
少しでも、自分が楽になるようにイメージをして残りの距離を走っていく。
そういえば、マラソンではゴール地点のことをFINISHという。
制限時間内にゴールにたどり着いた者のことを「FINISHER」と呼ぶ。
FINISHということばの意味は、終える、完了する、仕上げをする。
つまりこの旅は自分で走り切ることで「自ら終わらせる」「仕上げる」ことが必要なのだ。
その「仕上げ」がこのラストの道のりなのだ。
残りの距離は、3㎞台になる。
もう今度は本当に大丈夫だろう。
「残りあと3㎞切ってるよ!」「おかえり」「もう少し」
いよいよ本当のカウントダウンに入ってきた。
97.2㎞地点。最後の給水所。
万が一のことがないように、最後の水分を補給する。
コースは再び林道に入っていく。
さすがに日が落ちて暗くなっている。ペンライトが光りはじめる。
コースは等間隔でライトで照らされている。
その光が木々の葉に反射して、光のトンネルのように見える。
5年前は辛い道だったが、今回はそれがまるで自分をゴールに導く滑走路のように思える。
本当に今回は奇麗だなと思いながら、走っていく。
このような暗い道も、地元の方々のご支援で走ることができるのだ。
本当にこの大会は温かいなと思う。
中村市街の明かりが前方に見えてくる。ナイター照明らしきものも見える。
あそこが恐らくフィニッシュ地点の中村高校だろう。
いよいよその時が近付いてきたのだ。
相変わらず手元の時計の距離は、ポストのだいたい1㎞強先を示している。
それが100㎞を表示した。少し走るとその先に「99㎞ポスト」が見えた。
もう中村の街だ。林道とは別れを告げ、街の中に入っていく。
街になり更に、沿道の声援が大きくなってくる。
「おかえり!」と。
「ただいま!」と応じる。
しばらく行くと、最後の急坂がそびえる。
坂の距離も短いのでしばし歩く。
その頂点を超えたらフィニッシュ会場は間近である。
坂の頂点に到達。景色が開けた。
坂の頂点からは少し下り坂が続いている。
坂道の下には、フィニッシュ会場の中村高校が目に入った。
沿道の温かい声援を受けながら、自分のペースが嘘のように上がっていく。
私のどこにそんな力が残っていたのだろう。
※ラスト1㎞のラップは、坂を全部歩いたにもかかわらず6分台。
この区間でレース中の最速ペースの3分半/㎞が記録されている。
上手く説明できないが色んな嬉しさや、思いを込めながら走っていたと思う。
はじめて参加した2010年から憧れていた、100㎞の部のFINISHのゴールテープ。
そこでは、フィニッシュ会場に帰ってくる、ランナーの一人一人が大型画面に映し出され、名前がコールされる。
一人一人が主役になれる場所なのである。
「そこに俺も100kmFINISHERとしてはじめて行けるんだ。」
「早く行きたい!」
大げさな表現ではなく、胸をときめかしながら全力で走る。
「14年間ずっと100kmの部でこの場所に来たいと思っていた。最後くらいかっこつけたいな。」
拍手と声援を受けながら、道路を折れフィニッシュ会場にと向かう道に入っていく。
松明が出迎える。
私はさらにストライドを伸ばし、フルスピードで無我夢中で加速する。
完全に私のリミッターは外れていた。
中村高校の敷地内に入り、左に曲がる。
しばらく校舎に沿って走り、右に曲がるとゴールテープが見えるはずだ。
会場内で鳴るBGMとフィニッシュする人の名がコールされるのが聞こえる。
自分のゼッケン番号と名前がコールされるのが聞こえた。
右に曲がる。すぐにFINISHゲート、ゴールテープが見える。
ぱっと視界がひらけ、煌々と明るいフィニッシュ会場が目に入った!!
一目散に。全身から喜びを爆発させ飛び上がるように駆け込む。
ゴールテープの感触は柔らかかった。
だいぶ昔にICHIROさんが言っていたことばを借りると
ゴールの瞬間は本当に「ほぼイキかけた」と思う。
それくらい今までに生きてきて感じたことのないような達成感や、高揚感を感じた。
FINISH地点を通り過ぎ、立ち止まる。
「もう走らなくてもいいんだ。」「終わったんだ」達成感の中に、安堵と寂しさが少し混じった感情がある。
興奮が醒めやらない。
自分の体から立ち上る熱氣と、荒い呼吸を感じる。
「ホンマにやれたんやな。」高揚感が自分を包む。
そんな我を忘れそうな私に、学生のボランティアの方が私の首にそっと完走メダルを掛けてくれる。
それはずっしりとした重みを感じた。
記録は12時間40分。
前回より1時間半近く早く走ることができた。
目標で考えていた13時間15分よりも35分速い記録となった。
2024年10月20日
私は40歳にして初めて「四万十川100㎞のFINISHER」の仲間入りをすることが出来た。
2010年の初参加から14年越し。
100㎞の部への4回目の参加。
時間はかかったが、夢にようやく日付を入れることが出来たのだ。
(→続く)
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