スタートラインに立て!〜100キロマラソンから学ぶこと
四万十川ウルトラマラソンが好きで、ほぼ毎年エントリーしている。四万十川ウルトラマラソンというのは、毎年10月に高知県で行われる長距離レース。
100kmの部と60kmの部があり、それぞれ14時間。9時間の制限タイムで行われている。60kmの部は2回完走経験があり、100kmの部も制限時間を6分超える参考タイムではあるが完走することができた。私は100kmや60kmをただ走りたいわけでは無く、やたらこのレースが好きだ。何ていうか高知県の山並みや、川並みの景色、空気感が例えようもなく好きなのだ。毎年あの道を走りたいなと思いチャレンジする。完全に感覚的なものである。
ちなみに人に話すと驚かれるが、私はフルマラソンに挑戦したことが全く無い。フルマラソン(42km)の半分の距離のハーフマラソン(21km)の完走経験しかないが、いきなり100kmにチャレンジしている。1回目のチャレンジは56kmでリタイアしたが、その後60kmの部に参加し2度完走。その後100kmの部に参加し途中70kmでリタイア。その後昨年100kmの部に参加し、参考記録ながら100kmを完走した。
しかも私は毎年、練習をしていない時期なのにとりあえずエントリーをする。理由はエントリーしてからでないと本気でやる気が出ないから。エントリーしないと練習しないから。
一般的には、「練習して走力をつけてから」「最低でもフルマラソンを走ってから」という人が多いと思う。でも私の分析では、この思考の人は「結局挑戦しない」が8割くらいの率になると思う。
「いつかやろう」と同じくらい、「〇〇をやってから」「〇〇のプロセスを経てから」という言葉は、挑戦に邪魔な言葉だと思っている。
不思議なのだが、100kmマラソンにエントリーしない限り「100km走るためにはどういう練習をしないといけないか?」を真剣に考えようともしない。「完走という目的を設定しないと」目標設定もそのための練習もできないのだ。実際にスタートラインに立たないと、どこまで行けるのかすらわからない。実際に私は途中リタイアを2度しているが、不調かなと思っても、よっぽどのことが無い限り、とりあえずスタートラインには立つ。なぜならそれも「不調なりにどこまで走れるのか。」をはかることができるからだ。その都度身を持って、「練習のこの部分が悪かった。」「私にはここが足りなかった」「逆にこのレベルの練習だと、ここまでは走れるのか」ということを勉強できたし、ギャップを具体的に知る事ができた。
つまり、失敗でデータ収集ができたということになる。それを活かし、仕事や家庭などで練習時間、長時間連続走行確保も難しかったので「山道限定の練習」に辿り着き、曲がりなりにも100kmを走破できた。
実際のレース中も、どこまで行けるか?の実験の連続である。やはり100km走るとなると、終盤膝はガクガクだし、体も言う事を聞かなくなってくる。筋肉痛も激しくなる。
そこを、「この状態でどこまで走れるかな?」の実験感覚で足を進めていく。その連続であと30km、20kmと残りの距離が見えてくる。見えてきたら、気力でゴールをイメージして押し込んでいく。自分の体を「あと少し耐えてくれ」と励ましていく。
前回の大会のキャッチコピーは確か「人生に似てるってこういうことだったんだ」というものだった。私もまだ寿命が残っているが、そう思う。
そして、思う。「まずやりたいことがあるならエントリーしよう。」「スタートラインに立てるなら、そこまで行こう」「行けるところまで行こう」
人生にしたって一回で成功しなくてもいい。失敗にビビらなくてもいい。大事なのはエントリーして、スタートラインに立つことなんだと思う。
今年は、参考記録でなく制限時間以内で100kmのゴールテープを切るようにする。これがより鮮明な目標として持つことができる。
これも、今までのエントリーと失敗があってこそ。
何かに怯えそうなとき、私は自分に「スタートラインに立て!そんな世の中怖いことは滅多に無い。」と自分を励ます。
思うのは、この想いを仲間と共有できたら、もっと最高だなということ。一人の感動の涙は、二人になればもっと大きくなり、三人になればかけがえのない共有体験にと変わる。大人でも感動はできる。
この記事を読んでくださった方も、一回スタートラインに立ってみないですか?
#四万十川ウルトラマラソン #ウルトラマラソン #スタートライン #目標設定
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