東京の大聖堂と華麗なる鳩山家館、そしてラファ
関西の友人が文京区関口にある椿山荘に宿泊しました。
「ホテルから歩いて行ける距離で面白い所はない?」
その友人がそう言うので、一緒に徒歩で外に出ました。
椿山荘の前にある東京カテドラル聖マリア大聖堂
まずは、椿山荘の前の東京カテドラル聖マリア大聖堂に案内しました。徒歩1分です。
飯田橋の聖ニコラス教会(ロシア正教)は300円の入場料を支払い、そのわりには入口のところまでしか入れないものの、聖マリア大聖堂(カトリック)の方は「お布施」の箱が置いてあるだけで壇上以外は全部見て回れます。(逆に300円どころか、千円札を入れました)
ここは建築が非常に面白く
「1964年に竣工した東京カテドラル聖マリア大聖堂は,最高軒高39.4mの鉄筋コンクリー卜造複合シェル構造です。
4種類8枚の双曲放物面シェルを壁のように立て,お互いをはりで結合した複合双曲放物面シェル形式となっていて,わが国では他に例を見ない独特の空間を創出しています。
室内は打放しコンクりートで,コンクリートの美しい肌合いでダイナミックな空聞を構成しています。建築と構造の巨匠,丹下健三と坪井善勝のコンビの作品です」
(日本のコンクリート100年より引用)
丹下健三氏は国代々木競技場も建築しています。中は非常に涼しさと光、そしてオルガン演奏やミサの声が響くように設計されており、感心しました。
また、もしかしたらリクエストがあったのかもしれませんが、1960年代の設計なのにバリアフリーにもなっております。
デザイン性ばかりを追求し、風通しや光加減、そしてバリアフリーを無視した建物が多い昨今なので、なおさらこの大聖堂の建築には胸を打たれました。
(なぜ才能のある本物の新しい建築家が出てこれないのか。なぜいつも同じ建築家ばかりに大きな仕事が回っているのか。業界の大物に裏話を聞いています。ああムズムズ、書きたい…)
とにかく1960年代というのは、東京ではとても素晴らしい建築が次々と建てられています。日本武道館、神楽坂のアテネフランセ、東京文化会館、ソニービル、霞が関ビルディング、国立近代美術館等。
目玉は鳩のステンドグラス・鳩山家の洋館
聖堂を出た後、すこし歩き、鳩山会館まで向かいました。つまり華麗なる鳩山家が住んでいた洋館です。
門を入ってから館まで結構坂を上ります。ちょっとしたハイキングの気分になります。
入場料は600円で、先日訪れた港区の朝香邸の1800円に比べたら、非常に良心的な金額です。だけど、それでも無料で入れる駒場の前田邸がもっとも見応えがあるという皮肉かな…。
まあまあ面白く、元内閣総理大臣の鳩山一郎氏を称える業績関連のものが一番展示されてありました。特に日ソ国交を回復したあれこれです。
一郎氏はプロテスタントだったはずですが、聖書や十字架などは見当たらなかったと思います。もしかしたらここに展示しておらず、ご家族が個人邸で保管されているのかもしれません。
ちなみに知合い(正確には私の友人の親しい方)で元総理大臣の娘がいるのですが、四六時中大勢の記者が自宅の応接間にたむろっていたそうで、そちらの家の応接間は非常に広かった。でもこの鳩山家の応接間は案外狭かったです。
そして家具や食器は普通。いいものは全部持ち去ったのでしょうか。
応接間は18世紀後半にイギリスで流行った「アダムスタイル」(イギリスの伝統をもとにしながらも、古代ローマやギリシャ、中世ゴシックなどの古典的な意匠を組み合わせた様式)。
でも家具の配置やチョイスが悪く、あまりアダム様式の個性がでていなかったと思います。
一般公開のみならず、撮影や会議、パーティー、挙式に貸しているそうなので、いい家具などあえて今はもう置いていないのかもしれません。
洋館の至るところには「鳩🕊」のデザインが入っているのに笑えました。家紋ではなく鳩🕊のイラスト・デザインばかりです。ついでに鳩サブレのお菓子缶もテーブル上などに置いてあれば完璧でした。
一階には、さり気なく鳩山幸夫人の出版した料理本が置かれてありました。
同じテーブル上には色々ビラも並べられており、人々はそれらは手にとっているものの、幸夫人の料理本を取ってめくってみようとする見学者はゼロでした。
帰宅後、ラファ侵攻ニュースを見て思う
鳩山会館を出た後、友人をまた椿山荘まで送り届けましたが、もうへとへと。タクシーというほどの距離でもないので、せっせと歩きました。
その後私は自宅に戻りましたが、アルジャジーラニュースをつけると、ラファの街が大変なことになっているという中継をしていました。
パレスチナへの「入口」ともいえるエジプトのラファはシナイ半島の北部にあります。
シナイ半島はアフリカとアジアを結ぶ半島で、幼いキリストの命を狙われた聖家族がカイロまで逃げるのに、自力で渡ったといわれている半島でもあります。
もっとも有名なのはモーゼが神より十戒を授かったシナイ山とカテリナ修道院(正教)、そして紅海のダイビングリゾート地のタバやハルガダ、シャエルムエルシェイク、ダハブです。
シナイ半島は一度イスラエルに奪われましたが、1982年には再びエジプトが取り戻しました。
シナイ半島一帯は谷と砂漠です。
かつてはジャッカル、ガゼル、オリックス、ヒョウなども生息したらしいですが、密猟などによってとうにもう消えています。
しかし変わった種類のヤギやヒコブラクダは多く、20年くらい前までは日本製の四駆車とバス、トラックばかりが通過していました。ベドウィンのラクダの群れと日本製の車しかないんじゃないかと思えるくらいでした。
さて、渦中のラファはシナイ半島の北部にあります。
北部は地中海側なので比較的雨量が多く、椰子園が有名です。
だから本当はキリストは馬小屋ではなく、椰子園の中で誕生したという説も中東では囁かれており、私もそのほうがしっくりくると思っています。
ラファの辺りはナポレオン・ボナパルトのフランス軍に征服され、第一次大戦ではイギリス軍とオスマン軍・ドイツ軍の戦場にもなり、一旦村は破壊されています。
そのラファは農村で、おそらくシナイ半島でもっとも発達している農村です。かつては毎週火曜日の朝にはベドウィンの蚤の市が開催されていました。
土曜の朝は普通の食材マーケットで、ラファから40kmほど先のエル・アリシュという村では毎週木曜の朝に蚤の市を開いていました。
ベドウィンの伝統工芸や民族衣装なども売られており、大昔にそこで購入したテーブルクロス。
洗濯ネットにも入れず洗濯機でもう100回以上は洗っていますが、なんとまったく色落ちせず、しかも私は猫をずっと飼っているのに、糸がほつれてくることも全くありません。奇跡です。値段は当時のレートで300円でした。
ラファの村人はベドウィン、エジプト人そして1967年のスエズ戦争で亡命してきたパレスチナ人難民たちで構成されていました。そこで揉め事が起きているというのは一回も聞いたことはないです。
ベドウィンは意外とクリスチャンも多かったですが、ラファの村は貧しいけれども平和🕊であるように見えていました。
ただし、村の農業だけでは生活が苦しいということで、毎日越境してガザまで出勤している人々もいました。
余談ですが、私がプラハに住んだ時、隣国ハンガリーまで越境通学している音大生がおり、私も隣のドイツまで越境通院したことがあります。陸続きだと意外と多い「日常の国境越え」です。
とにかくあののんびりしていたラファがこんなことに。確かに場所が場所なので、危険とはずっと言われてきていますが、言葉が出ません。
前にも記事に書きましたが、私がエジプトに住んでいた時、イスラエルのラビン首相が暗殺され、エジプトでものすごい騒ぎになりました。
なぜならエジプト人たちは
「エジプト人が犯人だ」
と思い込み(真っ先に自国の人間を容疑者扱いするところが、さすがです)、
「こりゃあ戦争になるぞ!イスラエルが攻撃してくるぞ!」
もう大パニックです。
こうなると日頃全てにおいて、ちんたらしている国ですが、瞬時でがらりと何もかも変わります。
私もアラブ銀行に預けていた貯金を引き出せなくなり、各航空会社もフライトキャンセルをしたので一瞬焦りました。あっという間でした。
大使館はあてになりません。
自分を守れるのは自分だけで、特に個人で留学などしている外国人は殊更そうです。
ユーロや米ドルの外貨のまとまったキャッシュそして一年間有効のオープンチケットは持っておいたほうがいいと思います。当時の経験でつくづくそう学びました。
かつての私のように、企業や政府などの後ろ盾がなく、エジプトおよびその周辺のアラブ諸国に個人留学している日本人の学生さん。開戦になったら時間が勝負なので、すぐに退去できる準備はしておいたほうがいいと思います。ご無事をお祈りします。
**********************************
§追伸
昨夜、ふとこの動画↓を見て驚きました。
再生数が2000万回超えをしています。さり気なくイスラエルの国旗が一瞬ちらっと見えるだとか、そして軍歌や愛国歌のPVには必ず子供を入れるのも鉄則。
歌っているのはムハンマド・ラマダーンという、私が思うに古代エジプト人の遺伝子を強く受け継いでいる系のエジプト人イケメンスターです。
レディ・ガガのエジ男版って感じで、バブリーなちょろい感じの派手な歌ばかりを出していました。ところが五年前に発表したこの歌、、、
まあチャラチャラしている感じのスターが軍国歌を突然出すことはよくあることですが、ラファの件でいっきに再生数が上昇したのに驚きました。
ちなみに、私にとってのエジプトのイメージは↓まさにこんな感じ
↓「ハレルヤ」ですが、アゼルバイジャン語(ペルシャ語)、トルコ語、アラビア語でそれぞれの歌詞を歌っています。非常に珍しいです。
↓北アフリカとアラブの歌手が結集した「バンドエイド」。
公式サイトの再生回数の収益がパレスチナの被害者への寄付に回されるようです。
メロディーは聴いているうちに、不思議と心に残ります。歌手全員が黒色の市松模様の布を身に着けていますが、アラブ人のシンボルだからです。
画像は衝撃的な部分もあるので、気を付けてください。
§ ↓「ヤコビアンビルディング」映画感想記事、「映画記事まとめ」に追加していただきました✨