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日本公開まで、あと365日【幼年期のスクリーン・8】

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日本公開まで、あと365日

1978年(昭和五十三年)の5月、遂に新東京国際空港(現成田国際空港)が開業。

とは言っても、旅客か関係者でないと簡単に中には入れなかったので、ほぼ他所の出来事である。

その年の夏休み、世間では「スター・ウォーズ」の一作目と「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が公開されていた。

「スター・ウォーズ」日本公開までの流れは今だとちょっと分かり辛いので、自分の覚えている限りのことを整理してみる。

  • 1977年(昭和五十二年)5月、「スター・ウォーズ」が全米で公開され大ヒット。

全米公開直後は多少日本のマスコミでも取り上げられたのかも知れないが、当時の小学生には何も伝わってこない。

日本での公開日は、翌年1978年(昭和五十三年)の7月1日となる。

多くの集客が見込める時期に合わせるため、日本での公開が遅れることは今でもあるが、さすがに一年以上先送りにした理由はよくわからない。

現在なら、反発が起きて前倒しになる可能性が高いだろうが、その時は予定通り一年後に公開されることになった。

この直後の「宇宙戦艦ヤマト」のヒットと併せ、その頃よく読んでいた少年マンガ誌などで特集されるようになり、存在を知ることになるが、映画の中身は全く想像がつかなかった。

  • 1977年(昭和五十二年)8月、テレビアニメの総集編「宇宙戦艦ヤマト 劇場版」が公開される。

1974年(昭和四十九年)の「宇宙戦艦ヤマト」の初放送時、裏番組は「アルプスの少女ハイジ」

しかも、その前の時間帯で「マジンガーZ」から「グレートマジンガー」へのバトンタッチがあったばかり。

自分も当然その流れで観ていたが、さすがに「ハイジ」は観ていられないという中高生以上の世代は「ヤマト」に流れて、初期のファンになっていったのだと思う。そして再放送などから、人気が広がっていく。

その当時、夕方のニュースは今と違って長くて三十分程度、夕方五時台から六時台は各局アニメや特撮番組の再放送が中心だった。

ただ、「ヤマト」は当時のアニメの主流だった一話完結ではなく連続物。小学生が夕方に遊びにも行かず、毎日同じ時間に「ヤマト」の再放送を観るというのは無理な話で、劇場版公開前には私は全くハマっていない。

劇場版が公開されてからは周りに観ている子が増えてきたので、断片的にだが再放送を観るようになっていく。

「ヤマト」を最初から通して観たのは、その翌年8月公開の完結編(と宣伝されていた)「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」の公開前のテレビ放送だと思う。

  • 1978年(昭和五十三年)2月、スティーブン・スピルバーグ監督作品「未知との遭遇」公開。

全米公開こそ1977年(昭和五十二年)11月と、「スター・ウォーズ」の公開から半年後だが、日本では「未知との遭遇」の方が先で、動く映像を観たのもこっちが先だったと思う。

映像といっても、当時流れたCMはポスターと同じ地平線の向こうの光に徐々に寄りながら、接近遭遇の説明があって、最後にジャン!と音楽が鳴ってタイトルが出てくるというもの。

UFOとの接近遭遇なんて云われても、今一つピンとこなかったが、あの映像と音楽で煽られると興味が湧いた。ただ、まだ小学校低学年には、外国映画の字幕スーパーというのは少々ハードルが高く、観には行っていない。

  • 1978年(昭和五十三年)春、宇宙を舞台にした作品が徐々に増えてくる。

「スター・ウォーズ」の全米ヒットや「宇宙戦艦ヤマト」のヒットから企画されたものが成立し、この時期ぐらいから完成していったのか、アニメや特撮ドラマで宇宙を舞台にしたものが続々発表されていった。

その少し前の前年の12月、東宝のお正月映画で「惑星大戦争」が公開されていて、これがおそらく一番早く影響を受けた作品らしいのだが、全く記憶にない。

3月から4月にかけて、アニメで「宇宙海賊キャプテンハーロック」「SF西遊記 スタージンガー」、特撮ドラマで円谷プロの「スター・ウルフ」が始まり、映画で東映の「宇宙からのメッセージ」が公開。漫画では「週刊少年マガジン」で手塚治虫の宇宙SF「未来人カオス」の連載が始まっている。

ただ当時は「超電磁ロボ コン・バトラーV」「超電磁マシーン ボルテスV」などが放送されている合体メカ全盛期。

巨大ロボが出てくる訳でもない「キャプテンハーロック」や、円谷プロなのに怪獣が全く出てこない「スター・ウルフ」は当時の私の視聴対象からは外れていたようで、ほとんど観た記憶がない。

  • 1978年(昭和五十三年)7月1日「スター・ウォーズ」、翌8月「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」公開。

やっとのことで公開され、待ちわびた観客が押し寄せたのか、「スター・ウォーズ」の巨大看板が掲げられた日劇の前に行列が出来ている映像はテレビでよく観た。

田舎の書店ですら特設コーナーが出来ていたし、当時読んでいた少年誌でも漫画版や記事の載った特集号が出ていたりして、近くに映画館が無い地方の子供でも流行っているのが伝わってくる。自分の周りも、この時に親に連れて行ってもらって観たという友人が多かった。

ここまでが「スター・ウォーズ」公開までの一年なのだが、本家の日本公開前にすでにSF作品の公開ラッシュが始まっていた、というのが複雑で今だと非常に分かり辛くなっている。

と、長々と書いてきたが、私は「スター・ウォーズ」「さらば宇宙戦艦ヤマト」も公開当時に観ていない。

映画は少し遅れても、近場ですぐ行ける成田国際文化会館で観るものとなりつつあり、夏休み中に他に色々とイベントがある小学生にとって、映画は二の次三の次。

「スター・ウォーズ」は公開までに一年はいくら何でも長すぎて、最初に存在を知ったときは強く興味を惹かれたものの、その間にSF作品が急増して食傷気味になり、次第に関心が薄れていって、いざ公開されたときには観に行くタイミングを逃してしまった。

その年の10月に「宇宙戦艦ヤマト2」としてテレビ版の放送が始まった「さらば」はまだマシだったが、「スター・ウォーズ」を初めて観るのはそれから六年後の1983年(昭和五十八年)秋の、吹替やらいらない演出やらで大不評だった水曜ロードショー(現・金曜ロードショー)の初放送である。

同時期に日曜洋画劇場では「スーパーマン」がテレビ初放送。特別番組を放送したりして競い合っていたのだが、そんなこともあって「スター・ウォーズ」の印象は最悪で、何もノイズが無かった「スーパーマン」の方がその時は楽しめた。

「スター・ウォーズ」とは良い巡り合わせではなかったが、夏休みが明けて9月、新たな出会いが待っていた。


AI音声による読み上げ


今回の登場作品

  • アルプスの少女ハイジ [テレビアニメ](1974)

  • スターウルフ [テレビドラマ](1978)

  • 宇宙戦艦ヤマト2 [テレビアニメ](1978)


次回予告


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この記事は、2024年に個人出版した【幼年期のスクリーン Kindle版】を再構成したものです。

尾塩隆志
©2025 Takashi Oshio


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