まなびは前提知識のインプットのことではない
僕たちは、「まなび」を誤解しやすい。
油断するとすぐに、「あることを始めるための前提となる知識のインプット」のことだと思ってしまう。
「まなび=テスト勉強」だという固定観念のせいだ。
この固定観念は結構根深くて、「テスト勉強のことではない」とわかったつもりでも、すぐに、上のような定義に自動変換されてしまう。
染みついた価値観は、なかなか変わらないものだ。
ところで、「じゃあまなびというのは何なんだ?」というと、
「これまでの自分を壊し、(新たな知識を構成し)変わること」
みたいな感じで、要するに知識を新しくつくりかえる変容のプロセスのことだ。
だから、「まなびが目的になるのはよくないので、まなびだけでなく行動しよう」みたいな表現をする人は、まなびを前提知識のインプットのことだと思っている可能性が高い。
それはとてももったいないことだ。
なぜなら、経験からこそまなべるから。
経験からまなぶことに意識的になれば、多くのまなびが得られる。
ある瞬間を、「今がまなびの機会」と思っている人ないと、「まなびはもう終わっていて、結果を確認するだけの時間」だと思っている人。
この差は、時間の経過とともに大きくなっていきそうだ。