Twitterって「巻き込むもの」なんじゃないの?
もうタイトルに全部書きたいこと書きました。
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と言う訳にもいかないので、折角ですからもう少し書いてみましょう。
序: 「FF外」「巻き込み」の謎。
Twitterをやっている方であればこういうリプライを見たことありませんか。
「FF外から失礼します」
「巻き込みリプしないで」
改めて考えてみるとどうなんですかね。というお話です。
昔のTwitterはオープンだった。
私は2010年頃、割と早い段階でTwitterを始めたのですが、そもそもTwitterを公開アカウントで始める動機の一つは「会ったこともない第三者と何らかの形で繋がりたいから」なんじゃないのかなぁ、って思います。趣味とかゲームとかアーティストとか、大体そんな感じです。私の場合は当時やっていたネットゲームでした。そのアカウントは使わなくなったので既に削除しちゃいましたけど。
懐古するわけでもありませんが、昔のTwitterってもっとオープンだった気がします。「フォローしたらリプライOK」というのは極論ですけど、実際それに近い形というか、気になったツイートに共感や感想をリプライする、そこから色んなユーザーの会話に発展する、意気投合した人をフォローする、みたいなのが割と普通だったような気がします。しかし誰もそれを「巻き込み」とは言っていなかったし、今ほど「FF内 / 外」という意識は強くなかったのです。
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象徴的なのは、かつてはRTなんてありませんでした。代わりに俗に「非公式RT」と呼ばれるものがあったのですが、これは皆さんの想像以上の「巻き込み」です。
また今に比べて企業の公式アカウントも少なければ、芸能人のアカウントも珍しければ、所謂「映え」を求めることもなければ、知り合い同士で繋がるというのも限定的で、やはり今とはユーザー層が違うような気がします。
茶髪スタバ女子がTwitterやってる!?
ネットゲームを辞めた高校1〜2年生ぐらいの時期にかつてのTwitterアカウントも削除したのですが、数年経って大学に入学したときに改めてTwitterアカウントを作りました。というより作らざるを得なくなりました。
というのも、私はびっくりしたのです。
私はお世辞にも所謂「陽キャ」ではありません。「陰」というほどでもないんですけど、少なくともスクールカーストで上位に行くようなタイプではなかったです。私の周りでTwitterをやっていた人って、大体そういう人が多かった気がします。
当時は、ツイッターなどというサービスを好んでやろうとする人間は現実世界には限られていた…。
だからツイッター上では「ツイッターをやっていること自体」がひとつの共通点として成立していて、そこには一種の連帯感のようなものがあったわけよ。
―― 古参Twitter女子に聞く! 初期のTwitterって今とどう違ったの? - トゥギャッチ
だからこそびっくりしたのです。まさに大学に入学したその日、「○○くん、Twitterやってる~?」と然も当たり前のような口調で聞いてきた茶髪スタバ女子がいたことに。茶髪スタバ女子って何だよ。
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と同時に「巻き込みリプ」とか「FF外から失礼します」という「新しい自分ルール」がいつの間にか出来たことを知りました。実際、この「巻き込みリプ」という概念は2014年頃に誕生したようです。
ちなみに、上のtogetterで「巻き込まれた」とつぶやいたツイート主は後に以下のように釈明しています。
PCからスマホへ。
実は私、中学から高校、つまり大学入学前までは「ガラケー」でした。ということで勿論Twitterも当時はPCからやってました。
ところが私が高校生ぐらいの頃でしょうか、ちょうどパズドラが流行っていた時期です。私がネットゲームとTwitter(一回目)を辞めた時期でもあります。あの頃くらいからスマホが爆発的に普及したようで、それに合わせて元々Twitterをやっていなかった層が入ってきていたようです。
彼らの目的の一つはそう、スタバのフラペチーノですよ。
というのは半分冗談、半分本当。実際、「映え」「バズる」という言葉は結構最近出てきたものです。「バズる」は置いておくとして、「映え」のあるコンテンツを載せる理由を考えてみれば、単純に「相識のお友達」と共有したいのでしょう。棘のある書き方をすれば「マウントを取る」ともいえるでしょうけど。
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ユーザー層が変化したといえる間接的証拠の1つに、企業アカウントの変化があるでしょう。
中学生だった私がTwitterを触っていた時にはまさか「資生堂」がTwitter公式アカウントを創設するなんて想像もしませんでしたよ。ちなみに資生堂のアカウントは2014年開設です。けっこう最近ですね。
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そんなことはさておき、とにかく昔のTwitterはPC中心だったのが、今はスマホが中心となりました。そういうわけで、デバイスが変われば層も変わる。層も変われば目的も変わる。そういうことなのでしょう。
「ツイート=話題提供」説。
さて、幾つかのツイートを観察をしていくと、巻き込みリプが許容できない理由が垣間見えます。
多くはこのような「通知が溜まる」という理由。これをもう少し分解すると、「自分とは関係のないリプライが付く」ということですね。
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これはもう私の価値観ですから、この先私が書くことについては共感を得られないかもしれません。
その覚悟で書いてみようと思いますが、ツイートを「発信」するということは、「話題」を提供することであると考えています。実際、ニュースという「話題」で盛り上がり、アーティストの情報解禁という「話題」で盛り上がり、可愛い猫という「話題」で盛り上がるわけです。その話題がどの方向に転がるかは当事者の裁量にかかっており、もはや誰にも予測のできないものです。
すなわち、日常会話のように、ある「話題」からどのような方向に転がるかはもはや誰にも分からないということであり、それがツイート主の意図通りに行くは限らないし、それを強制することもできないでしょう。時には「脱線」するのが会話の本質の一つなのではないかと思うわけです。
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私の「ツイート=話題提供」説は、「TwitterはSNSではない」という有名な事実に裏付けられています。
緩い「繋がり」(人間関係)が発生し、広い意味でのソーシャル・ネットワーキング・サービス (SNS) の1つといわれることもあるが、Twitter社自身は「社会的な要素を備えたコミュニケーションネットワーク」(通信網)であると規定し、SNSではないとしている。2017年11月時点でも、Twitter社のCEOジャック・ドーシーはTwitterはSNSではないとし、「インタレスト(興味)・ネットワーキング・サービス」であると定義し、また、2018年6月時点でTwitter Japan社の代表取締役笹本裕も「ネットワークサービスではなく今起きていることを知る場、ニュースメディアに近い場とわれわれ自身は考えている」とインタビューで発言している。
―― Twitter- Wikipedia
そう、あくまで「コミュニケーション」のネットワークであり、「興味」のネットワーキングであるわけで、それらの源泉は何かと考えればそれは「話題」なわけです。
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そもそもTwitter上のツイートもリプライも、究極的には全部「自分とは関係のない話」です。そう考えれば、自分とは関係のあるリプライだけを他人に強要するというのも聊か無理があるのではないかと思うのです。
「巻き込み」と「交流」。
さて、かつては「巻き込みリプ」という概念は存在しませんでした。なぜならば、当時は「巻き込むこと」はある意味当然だったし、「巻き込むこと」とは「交流」や「気持ちの共有」の一つの形だったからです。
しかし最近のTwitterはどこか閉鎖的・排他的です。会話の脱線が許容されず、「元ツイート」との「強い関連性」が求められています。「必要な情報」を見たいということでしょう。
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あまり共感は得られない気がしますが、私は「必要な情報」というのは極めて相対的な概念であると考えています。
つまり、普段「不要な情報」として切っている情報も、実は遠いところで何かの役に立つかもしれないということです。「進化経済学」や「破壊的イノベーション」のように、一見関連のない情報や考えが何かしらに関連付けられることがあるような気がするのです。
それは巻き込みリプでも一緒で、「巻き込まれた」ことで得た一見不要な情報が新しい発見の契機になるかもしれない。いわば「間接的な交流」です。そう考えると、ちょっと素敵じゃないですか。
結びにかえて。
正直、私自身はあまりツイートやRTをしないので、人にリプライを送ったり受け取ったりすることも少ないですが、「知り合いと知らない人との会話」のように、他人のツイートにぶら下がっているリプや会話を覗き見するのもTwitterの一つの楽しみ方かなぁ…と思います。
もちろんスパムのようなリプライを付けられれば困るでしょう。そこまで許容する必要はないと思います。いよいよ不快に感じるリプライは会話ミュートするのが賢明かもしれません。
しかし、人間同士の会話というのは本質的に予測不可能なものであり、ましてや公式に整備された機能の利用を一律にかつ自治ルール的に制限するというのは、適当でないという以上に「勿体ない」気がするのです。
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こんなに共感を得られなさそうなnoteも初めてな気がしますが、
私、この記事で巻き込めています?
Fin.
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