zakkiiii

一人旅とラーメンとブリとお笑いと有島武郎が好き。 掃き溜め。 超絶不定期。

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マガジン

  • エッセイのようなもの。

    エッセイではないかもしれない。

  • 偏見よ、さらば。 ― 私の愛したラーメン二郎

    YouTubeにアップロードされた一本の動画に対する勝手な批判と愛の告白。

最近の記事

地方生まれ地方育ちの若者が東京に一人暮らししてそこそこ辛かった話

『東京生まれ東京育ちの若者が田舎に転勤になって死ぬほど辛い話』という記事が話題になっているようです。 この記事のことはTwitterの記事を見て知ったのですが、それに対するtwitterの方々の感想はけっこう辛辣だなぁ、と思いました。 きっとご本人はインターネット上でしか(それも匿名でしか)吐き出すことができず、縋るような気持ちで大なり小なり共感してくれる人がいればと思って書いたのかもしれませんが、インターネット上でもポーンと突き放されてしまったように見えます。多少文章の

    • 円のダイニングテーブルに就いて。

      随分奇妙なタイトルですが、私は今日、円のダイニングテーブル(以下、円卓)について書こうと思います。 というのは、最近の私といえば円卓への憧れが強まるばかりです。これを吐き出す場所が無かったので、noteに書いて仕舞おうという、そういう算段をつけたわけです。 1. なぜ円卓に憧れるのか。これは我が家の食卓の現状を見て頂ければ何となくご理解いただける気がします。 はい。家族がバラバラです。 両親が見ていないことを祈りながら書きますが、ハッキリ言ってクソです。何がクソって、

      • coffin danceで送り出してくれたら。

        「coffin dance」をご存じでしょうか。ちょっと前に流行ったアレです。 各種SNSで一度見たことがある人も多いかもしれません。 サングラスをした喪服姿の男性が棺桶を中心にダンスをしながら送り出すという内容で、BGMに流れるEDMと相まって大変シュールに仕上がっています。 私的にはですよ、すっごく羨ましいんですよね。この葬式。 ■ 従前の私の「葬式観」といえば、「葬式なんてやらずに私のことは早々に忘れてほしい」というものでした。私なんて大したことのない人間なの

        • コスモス畑のエゴ

          コスモス畑に行ってきて、ふと思ったこと。 ■ 言語化するのは大変難しいのですが、どちらかと言えば「枯れた」花を撮るのが好きです。 心理学的に何かあるのかもしれませんが、専門じゃないので分かりません。 ■ しかし何となく、しかし率直に思うのは、「綺麗な花だけを選んで撮るというのは、なんて身勝手なのだろう」ということです。 一般的に枯れた花は被写体にはなりません。むしろ「写したくないもの」かもしれません。しかし、そこに撮影者のエゴを感じてしまうのです。 今時点では枯

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        • エッセイのようなもの。
          9本
        • 偏見よ、さらば。 ― 私の愛したラーメン二郎
          3本

        記事

          2.5次元に生きている: フィクションと現実社会の狭間で。

          このご時世、何かと燃えやすくなっている気がします。 とくに近頃は、創作と現実、二次元と三次元の狭間で「炎上」する事例が多いような気がします。何だか窮屈な世の中だなぁ、というのが個人の率直な感想です。 最近の事例。例えば、「小学生を襲うことはできる」。 小児性愛者は、小児型ラブドール購入者は、全員犯罪者予備軍なのか?という議論への個人的な見解でもある。 まず小児性愛は「現実で思いを遂げたら即犯罪」である。 (中略) 小児性愛者が現実で児童と結ばれたらそれは犯罪だ。 あの

          2.5次元に生きている: フィクションと現実社会の狭間で。

          Twitterって「巻き込むもの」なんじゃないの?

          もうタイトルに全部書きたいこと書きました。 ■ と言う訳にもいかないので、折角ですからもう少し書いてみましょう。 序: 「FF外」「巻き込み」の謎。Twitterをやっている方であればこういうリプライを見たことありませんか。 「FF外から失礼します」 「巻き込みリプしないで」 改めて考えてみるとどうなんですかね。というお話です。 昔のTwitterはオープンだった。私は2010年頃、割と早い段階でTwitterを始めたのですが、そもそもTwitterを公開アカウン

          Twitterって「巻き込むもの」なんじゃないの?

          さよなら父。

          もう半年ぐらい我が家はすっかり「リモート」です。 私は「リモート授業」。 父は「リモートワーク」。 母は「リモート趣味」。 そんなわけで、いつもは友人や後輩と一緒にしていた昼食も家族全員で取っているわけですが、意外と慣れてきたものです。 朝も昼も夕方も家族がいるというのは一見不思議なものですが、古来はこういう生活だったのかな、と数千年前にまで思いを馳せる余裕すら出てきました。 しかし、長く一緒にいると嫌なところも見えてしまうのが人間です。 ■ 夕方、父は決まってリ

          さよなら父。

          noteを書く喜び。

          Twitterで知人からのRTでこんなツイートが回ってきました。 お断りしておくと、私はこの作家さんのことを今日初めて知った身分です。なので一見あまり自分には関係のないことだと思っていたのですが、少し内容が気になって読んでみました。 リンク先の内容を少し引用してみます。ちょいちょい端折ってます。 タイトルのとおりです。 諸口正巳(モロクっち)は小説書くのやめます。 (中略) 理由は ・最近、作品の感想はもちろん反応すらもらえなくなってきた ・書きたくない 以上二点で

          noteを書く喜び。

          「原案 / 対案」からの脱却 ― 「批判」の必要性とダイナミズムについて。

          批判をするなら対案(代案)を出せ。 この言葉、一度は聞いたことがある人もいらっしゃるのではないでしょうか。 私自身、この言葉の言わんとしていることも分からなくもないです。しかし、得も言われぬ違和感があるのです。 結論から言えば、たぶん私はこの言葉には懐疑的です。 そこで、なぜ私がそう思うのか、自分自身の整理を兼ねて書いてみます。 1. 「批判することは誰でもできる」わけではない。何かを「批判」するということは「文句」とは異なり、莫大なエネルギーを要します。 すなわち

          「原案 / 対案」からの脱却 ― 「批判」の必要性とダイナミズムについて。

          インターネットで「釈明」はできない。

          インターネットでは様々な情報に溢れていますが、その情報が信頼に足るか否かは絶対的に知ることはできないでしょう。 しかし、中には「明らか誤った偏見や噂」が拡散され、それに苦しんでいる人もいます。ですが、それに対処するということは困難であると感じる出来事がありました。 ■ この記事は、以下の続きのようなものですが、サクッと概略を書いておきます。一応飛ばしてもある程度分かるように書いたつもりです。 私の大好きなラーメン二郎について、「あらぬ誤解」を吹聴するとある動画がYou

          インターネットで「釈明」はできない。

          二郎暦10年の私が、二郎に対する偏見を解いてやろうじゃないか。

          前回の記事: こんな動画を見つけてから数日経過しました。 ありもしない「30の暗黙のルール」が未だに「無責任な噂」として独り歩きし続けています。 大体動画のタイトルが「ラーメン二郎」じゃなくて「次郎ラーメン」の時点でお察しなわけですが。 ■ 実際はこんなに厳しいルールなんて存在しません。 にもかかわらず、相変わらず動画のコメント欄は二郎や二郎ファンを傷つけるような内容ばかりです。 以下、実際のコメントを引用させていただきました。 これはほんの一部ですが、こういう

          二郎暦10年の私が、二郎に対する偏見を解いてやろうじゃないか。

          運動、旅行、読書、ラーメン二郎

          中高生の頃から「ラーメン二郎」が好きで、コロナ前までは週1ペースで通っていました。 最近は大学もオンラインということで外出することもなくなってしまい、二郎も随分とご無沙汰です。 そんなある日、YouTubeでこんな動画を見つけました。 この動画のコメント欄を見て、私は無性に悲しくなりました。 ほとんどのコメントが  「まずそう」  「ルール多すぎてクソ」  「一生行かないって決めた」  「金払ってるんだからおかしい」  「飯ぐらいしゃべりながら食べさせろ」  「食べに行

          運動、旅行、読書、ラーメン二郎