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私の作品紹介:マルクス×革命家×ハードボイルド×哲学×漫画×バトル×社会問題

noteを書き始めてから、作品が増えてきた。
そこで、これまで書いてきた作品たちを振り返りながら、その想いを綴ってみたい。
まあ正直にいえば、循環リンクを作るのがアクセス向上の秘訣と、何かの記事で読んだからだ。


『カールマルクスが渋谷に転生した件』

もしマルクスが現代に蘇ったら—
この一見時代遅れな思考実験から始まった物語は、予想以上に私の創作の核となった。共産主義の生みの親を、資本主義の末路である現代渋谷に転生させるという背徳的な試み。重厚なテーマでありながら、あえてライトなコメディタッチで描くという矛盾。だが不思議なことに、格差社会、若者の労働問題、そして来るべきポスト資本主義への展望が、笑いと共に浮かび上がってきた。おそらくマルクスは激怒しているだろうが。

『西成のチェ・ゲバラ』

そう、私は懲りずに革命家を現代日本に召喚し続けている。かつて武力革命の象徴とされた男を、現代日本のローカルな街で医者として生きさせる—
これはある意味、前作以上の暴挙かもしれない。しかし、理想的な社会を追い求めた情熱と、現代の日本人には希薄になってしまった「何かを変えたい」という意志を描くには、彼しかいなかった。マルクスが理論家として大きな社会変革を目指すのに対し、ゲバラは実践家として草の根の静かな革命を起こそうとする。その意味ではマルクスと対になる作品である。FF13とFF15みたいな。違うか。

なお、上記2作品はKindle unlimitedでも読める。もし面白いと感じて頂けた方は、誰かレビューして。。。(内容はnoteと一緒なので買わんで良い)


『レオナの孤独』

前二作で手こずった文章量の問題を意識し、より端的な表現とスピーディーな展開を心がけた作品。お気づきの方もいると思うが、実在の天才をモデルに、その類稀な才能ゆえの孤独と葛藤を描いている。「天才」という言葉で片付けられない、その人の内面にある痛みや迷いを、丁寧に掬い上げていきたいと考えている。近々完結予定。

『建築家毒島建の毒舌紀行』

ドラマ「結婚できない男」を見ていて思った。「もっと毒を盛れる」と。そうして生まれたのが、批評精神を究極まで突き詰めた建築家・毒島建だ。建築というフィルターを通して世界を見ることで、現代社会の歪みや矛盾が浮き彫りになっていく。リサーチには可能な限り力を入れているが、なにぶん趣味の戯れ書きゆえ、誤りもあるだろう。ただ、毒島というキャラクターの便利さに魅せられ、気が向いたときに(つまり毒を吐きたくなったときに)更新できればと考えている。

『イデオロギーの迷宮』

投稿サイトなど視野になかった時代に書き始めた長編。哲学者が事件を解決していく...という設定は良かったのだが、気づけば一話が短編小説くらいの長さになっていた。プラットフォームの作法など知らなかった青春の輝ける日々の産物である。いつか書き直したいと思いつつ、その労力を考えると目眩がしてくる。

『漫画名言の哲学』

正直に告白すると、小説を読んでもらうためのきっかけ作りとして始めた連載だ。しかし、書いているうちに、漫画という大衆的な媒体を通じて哲学を語ることの可能性に気づかされた。解釈は時に強引かもしれないが、漫画と哲学、この一見ミスマッチな組み合わせから、何か新しい視点が生まれることを願っている。ジャンプが多め。

『哲学格闘伝説』

当初は哲学者同士の真摯な討論劇として構想していた。しかし、それではどうも地味すぎた。そこで、某死神漫画から着想を得て、思想と思想の激突を能力者バトルとして表現することにした。ニーチェの「超人」やプラトンの「イデア」が文字通り火花を散らす展開—荒唐無稽かもしれないが、これもまた哲学との新しい向き合い方なのではないかと考えている。

『ハードボイルド御伽話』 

一見すると単なるパロディ的な作品に見えるかもしれない。しかし、童話や御伽話が持つ普遍的なテーマを、現代的な文脈で読み直してみたいという思いがある。例えば、「赤ずきん」が内包する人間の欲望や恐怖、「シンデレラ」に潜む階級社会への問題提起—それらをハードボイルドな文体で描くことで、新しい解釈の可能性を探っている。続けるかは不明。


まとめ

これらの作品群は、一見バラバラな方向性を持っているように見える。マルクス経済学からハードボイルド、哲学バトルまで、確かにジャンルは多岐にわたる。しかし、その根底には常に「問い」がある。

現代社会における革命とは何か。才能は人を幸せにするのか。批評精神は世界をより良くできるのか。哲学は娯楽となりうるか。古い物語は現代に何を語りかけるのか。

こうして改めて振り返ってみると、これらはすべて、私自身の問いであり、同時に読者との対話でもあるのだと気づく。

...と、ここで正直に告白しよう。これらすべては「読んでください」という一心から生まれている。マルクスを渋谷に放り込み、ゲバラを西成の医者にし、哲学者たちを戦わせる—この突飛な物語の数々は、結局のところ、誰かに読んでもらいたいという願いの別名なのかもしれない。

ぜってえ読んでくれよな!



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