
ちいさな王国の、豊穣をねがう
年に何回か、「神戸どうぶつ王国に行きたい!」という欲望が腹の底からせりあがってくる。ふるさと・神戸にある、ちいさな動植物園である。
動物園に行きたい、ではない。植物園に行きたい、でもない。神戸どうぶつ王国に、行きたいのだ。だから自宅からアクセスの良いほかの動物園ではなく、神戸どうぶつ王国に行くしかない。JRとモノレールを乗り継いで、ちょびっとだけ海を跨ぎ、人工島・ポートアイランドへ足を踏み入れ。
大阪に自宅を持つようになる前、東京や岡山に住んでいた時も、神戸へ帰省の際は並み居る思い出の地を蹴散らして、神戸どうぶつ王国に向かうのがお決まりだった。
なぜそこまでこの王国に惹かれるのかというと、最初は「動物との距離の近さ」だった。
普通の動物園と同じように、ガラスごしに眺める動物もいるけれど。鳥類のほとんど、そして哺乳類のうち何種類かとは、文字通り同じ空間で過ごすことができるのだ。
広い水場とたくさんの植物を擁する大きな温室のなかでは、鴨やオシドリといった生活圏でもおなじみの鳥から、モモイロペリカンやフラミンゴ、はてはハシビロコウまでが、柵も網もない広々とした空間で自由に飛んだり歩いたりじーっとしたり、泳いだりしている。温室中央にある小さな浮島に渡れば、生い茂った木々の隙間からワオキツネザルが飛び出してきて、自分が歩いている通路と同じところを駆け回る。


別のエリアでは、アリクイやナマケモノが頭上の枝からぶらさがっていたり、レッサーパンダがすぐそこの木の上で眠りこけたりしている。運が良ければ世界最小のおさるさん、ピグミーマーモセットが肩に飛び乗ってくることさえある。


鳥類いちばんの推し、オーストラリアガマグチヨタカにもここで初めて会った。
ふわふわと丸い毛玉のような身体に、猛禽類らしくぎょろりと黄色い目玉、ユーモラスに大きいくちばし。日のほとんどをじっとして過ごし、危機を感じると木の枝に擬態するという習性まで、冗談のようにかわいい。
はじめて会ったときの彼(彼女?)は自分の種族名が記された看板の上で自己紹介のようにたたずんでいて、そのシュールさにも心を掴まれた。かわいさの波状攻撃である。


そうして、かわいい動物たちを間近で観察できる――という魅力に取りつかれ何度か通ううち、はたと気づく。この運営形態、なんで成り立ってるんだ?
区画を区切る壁はあれど、ここまでに挙げた動物たちは、言ってみれば広い空間での半放し飼いである。人馴れしている個体も多く、その気になれば手を伸ばして触れることができるほどの距離で、動物と見つめあうことができる。
ぜったい、絶対やらないけどさ、愛しのヨタカ氏なんてさ、あんなにじっとしているしコンパクトだし、ひょいっと抱え上げて鞄の中に収めることだって、その気になればできちゃいそうじゃないか。

危ういように見えるその運営形態が、それでもなぜか成り立っている。何度も何度も訪れているけれど、動物がいるほかの空間でたまに見る、鳥や獣を追いかけまわしたり、無理やり触ろうとしたりするような人は見かけたことがないし、訪れる人はみんな、「動物に手を触れないでください」という掲示がされている場では、きちんとそれを守っているように見える。巡回するスタッフの方の数は、けして多くはないのに。
注意喚起が行き届いているということもあるのだろうけれど、通ううち、もしかすると王国内の「空間づくり」の効果なのかもしれない、と思うようになった。
動物たちが縦横無尽に行きかうエリアの多くで、人間は生い茂る植物の間に確保された、狭い通路を通る仕組みになっている。人間のための場所よりも、動物が行き来する場所のほうが圧倒的に広い。そして動物のための場所(草むらや池の中、木の上)に人間は入れないけれど、動物たちは人間のための通路を、その気になれば我が物顔で駆けまわれる。
人間のための場所に動物がいるというよりは、動物たちの住処に人間がおじゃまさせてもらっているような、空間。そのことを直感的に感じ取れるから、人間たちの振る舞いが自然に遠慮深くなる、というようなことも、もしかするとあるんじゃないかな。
私はおめでたすぎるだろうか? ほんとうは密かにもっと、物理的な対策がされているんだろうか? でも、2022年にリニューアルしたコツメカワウソの展示エリアに、はじめて足を踏み入れた瞬間、なんだか私はその考えに確信を持ってしまったのだった。
「オッターサンクチュアリ」というそのエリア名を聞いた瞬間、ちょっとだけ、笑ってしまった。カワウソの楽園! なんて大きく出たんでしょう。
でも、この写真を見てくださいよ。

この広大なエリアが丸ごと、カワウソたちのもの。
茶色い流木と岩とで構成され、ガラスに囲まれたそれまでの展示スペース(それでも広めの印象ではあったのだけど)から、ビオトープという言葉がふさわしいような、開放的で、緑と水辺にあふれた空間へ。劇的ビフォーアフターにもほどがある。
最高だ、と思ったのは、「人間がカワウソの姿を見られるかどうか」よりも、「カワウソの居心地」を優先させていたこと。
実際私がはじめてサンクチュアリに足を踏み入れたときは(すごい字面だな)、しばらくはカワウソの姿は見当たらず、「どこにいるんだろう」ときょろきょろしていた。そのうちどこかでパシャ、と水音がして、振り向いた先には、水面から見え隠れする黒っぽいもの。
あっ、と思って近づくけれども、それはまた水に潜ってしまった。池の水は濁っているし、肉厚な葉を持つ水草で覆われていて、水中の様子はほぼ見えない。
それでも水草の茎と茎の間からぽこぽこと泡が漏れたり、水面が波立つのはわかって、あそこにいる! と身を乗り出してしまう。

辛抱強く待っていると、唐突にまるい頭が水から突き出した。ひとつ、ふたつ、みっつ。現れたと思ったら、また潜る。長いしっぽがぱしゃんと水面をたたく。そのうち一頭が陸に上がった――と思ったら、そのあとを追いかけて何頭ものコツメカワウソが陸地になだれ込んだ。思ったよりもずいぶん多い。まって、これ、何頭いるの。数えようとしてもカワウソたちは楽しそうに絡まりあい、キュウキュウ甲高く鳴きながらぐるぐる回って、茶色いひと塊になってしまうから、とても数がわからない。
そのうちみんな、また水の中に飛び込んでいった。遊びに飽きて、お昼寝を始めた1、2頭を残して。
カワウソたちはその後も、流木のうえで日向ぼっこをしたり、木の枝を奪い合ったり、水の中でじゃれあったりと、さまざまな動きを見せてくれた。私は足に根が生えたようにサンクチュアリから動けなくなって、ずいぶん長い間、呆けたようにそれを眺め続けた。写真を撮るのもすっかり忘れて。
知らなかった。カワウソって、あんなにたくさんの仲間と一緒に、団子になってもつれあって、遊ぶものなんだ。あんなに目まぐるしく、あんなにキュイキュイにぎやかな声を立てて、あんなに楽しそうに。
これまでもコツメカワウソの展示はいろんな水族館や動物園で見ていて、彼らが遊んだり、じゃれあったりする様子も知っているつもりでいたけれど、ここで目にした動きの奔放さ、自由さは、初めて見るものだった。なんだか、泣きそうになった。
リニューアル前の、展示室。そこは今に比べればずいぶん狭くて、そのぶんカワウソとの距離が近いから、丸くて黒い、きらきらした瞳がいたずらっぽく光るところや、ちいさなお手々や、つやつやの毛並みや、眠っているお腹が平和に上下するところを、あますところなく観察できた。
オッターサンクチュアリの広さでは、そもそもどこにカワウソがいるかさえ、容易にはわからないこともある。かわいい姿を写真に残したいと思っても、辛抱強くタイミングを見計らわなければいけないだろう。実際この記事のトップ画像として使っている写真は、サンクチュアリではなく、リニューアル前の旧展示室で撮った写真である。

(これも旧展示室で撮影)
でも、と思う。それでも、断然、こっちのほうがいい。
ぽこぽこ浮かぶ泡を見て、「あそこにいるな」とほくそ笑む感じ。ばしゃばしゃ波立つ水面に、「あの下でじゃれあっているな」と思う感じ。思いがけないところからひょこっと頭が覗いた時のうれしさ。自分が立っている通路のすぐ下まできまぐれに泳いでくれた時の、そのまま取っ組み合いが始まったあと、すぐに飽きて別のところへ泳いでいくのを見る時の、思わず口元がにやけてしまうような、あの感じ。
生きものが心地よさそうに暮らしている様子って、なんて素敵なんだろう。
そういう風に思って、ほかほかとした気持ちで帰途についた私は、言ってしまえばやや偽善的だ。だってたとえばこれが、サンクチュアリの中に入るための通路さえ確保されていなくて、入り口から広大な敷地をわずかに覗くだけだったとしたら、そう思えるかは正直わからない。カワウソからすればそのほうが、さらに居心地が良いかもしれないのに。
「かわいい生きものを間近で、つぶさに見たい」という人間の都合がかなう度合いと、生きもの自身の居心地の良さは、多くの場合反比例する。私の場合はたまたまオッターサンクチュアリの環境が嗜好に合っていただけで、「カワウソをよく見られなかった」「以前の展示のほうがよかった」と思う人もいるのかもしれない。
でも、できれば、こういう展示の在り方が、もっと増えてほしい。そう痛切に思った。
アニマルウェルフェアという言葉を聞くようになってからずいぶん経つけれども、その理念が現実的なものとして世の中に浸透しているかというと、まだまだ道は半ばだと感じる。
関連知識をインプットすることも、その推進にはもちろん効果的ではあるのだろうけれど。こうして心地よさそうに暮らす生きものの姿と、それを実現している環境を自分の目で見られることの効果って、ものすごく大きいんじゃないだろうか。
神戸どうぶつ王国の運営会社は、「株式会社どうぶつ王国」。
オッターサンクチュアリに足を踏み入れてからというものの私は、もしかするとこの会社は名前の通り、ほんとに本気で、「どうぶつのための」王国を作ろうとしているんじゃないか、と思っている。
実際、同社が過去行っているクラウドファンディングを見ると、カワウソのみならずハシビロコウやマヌルネコ、サーバルなどの飼育環境改善や動物治療舎の設置など、訪れる人の満足度向上というよりは、そこで暮らす動物たちへの福祉を目的としたものばかりだ。
動物たちによりよい環境を、と口で言うのは簡単だけれど、それを実現するには多額の資金がかかる。
あのカワウソたちの楽しそうな様子を間近で目にできた身としては、同社が行いたいと思っていることについて、もし王国へ足を運ぶほかにもこうして応援の手段を用意していただけるのであれば、喜んで協力していきたいと思った。そういうふうに私たちの行動が変わることで、もっと大きなものも変わっていくんじゃないか、という希望も込めて。
ポートライナー計算科学センター駅、南出口を出てすぐ。
スーパーコンピューター「富岳」を擁する研究拠点の隣という謎の立地に、その中の色鮮やかさからすれば意外なくらいにこぢんまりと佇む、ちいさな王国。
どうかどうか、この場所が、ますます豊かに、自由に発展してゆきますように。
そうねがいながら、次はいつ行こうかな、とカレンダーを眺めている。
***
お越しの際は公式HPもしくは三宮駅で、モノレール切符とのセット券購入がおトクです!
※記事の中の写真はほぼ、夫が撮ったものを使わせてもらっています。ありがとう🙏