見出し画像

文学フリマ京都9に出展します!のお知らせと、紙の本に思うこと

2025年1月19日、みやこめっせにて開催予定の「文学フリマ京都9」への出店が決定しました!
最近noteで偶然再会した、大学からの友人と一緒に出る予定です。

▼ひたむきで朗らかな人柄が文章にもダダ漏れの、大好きなお友達です

申込のタイミングが遅かったため、本来は抽選にて参加可否が決まるはずでした。
22日の〆切後、結果通知には数日かかかるのかな~と思っていたら、当日の深夜に出店枠確保のメールが来てびっくり。ブースレイアウトを工夫し、すべての申し込みを受け付けてくださったようです。うれしい大盤振る舞い。

文学を愛する人の祭典、文学フリマ。買い手の立場で参加し、会場の熱気にあてられるたびに「私も本を作ってみたい……」という憧れがふつふつと沸いては作り方を調べ、あまりの手順の多さにしり込みする……ということを繰り返していたのですが、今回は完全に酔った勢いで申し込んじまいました。お尻を切ることでの追い詰められ力の発揮を期待します。

出店に向けて、フードエッセイ本を作ろうと思っています。noteに書き溜めた文章に加筆修正したり、新しく書き下ろしたり。
少し元気がないときでも、手に取ればとりあえずお腹は空く――そんな本にできたらいいな。
食べものについて今まで書いた文章は以下のマガジンにまとめているので、よろしければこの機会にぜひ覗いてみてください。

はじめての出店、はじめての本づくり。
文章を書いて公開するというだけならnoteですでにやっているし、値段をつけたいなら有料設定やメンバーシップがある。本を出したいなら、kindleでの電子書籍の出版という手だってある。そんななかでわざわざお金や時間をかけて、「紙の本」をつくる必要があるのか?
そんな風に考えたことも、実はありました。

それでもやっぱり作りたい! と思うようになったのは、私がもともと紙の本という存在に特別感を持っている、ということがあるからだと思います。

以前参加した文フリで、ネット上で読了済みの小説を収録した本を買ったことがあって。
中身はもちろんほぼ一緒なんだけど、読書体験としては全然違ったんですよね。まっさらな表紙をそうっと開くときのどきどきする感じ、開いた本を支える指に伝わる紙の緊張テンション、ページをめくるときの乾いた音、ゆるやかなアーチ型を描いた紙にできる陰影、はっとした言葉を思わず指でなぞったときに伝わってくる、さらさらした手ざわり。

あとは、所有の感覚も。
インターネット上(「カクヨム」だったと思います)でその小説を読んだときは今思えば、著者のお店なりお家なりにお邪魔して本棚を覗かせてもらっているという感覚に近かったのです。それが紙の本として手元に来ると、この素敵なお話をついに私のものにできたんだ、という気持ちになって。
いや、もちろん著作権なんかは書いた人にあるのだし、物語そのものが私の所有物になるわけではないというのは承知しているのですが――なんだろう、大きな木から、子株を分けてもらったような感覚に近いのかもしれない。あるいはきれいな川から水を汲んで、大事に家へ持ち帰るような。

文章を読む、という点ではインターネット上のページだろうと紙の本だろうと全く同じなのに、不思議ですね。ネット上のコンテンツは自分でない誰かの裁量で削除されてしまう可能性があるから、それでなのかな。本を本棚に収める、という動作も関係していそうです。

そんな経験をしたので、私自身がこうして書いている文章がもし「紙の本」になったらどういうふうに感じるのか、ということにも興味が出てきたのでした。
ほかには、我が子におめかしをさせてみたい、という感覚に似たものもあるかもしれません。至らない部分は多々あれど、時間をかけてその時どきの精一杯で書いた文章たち。どんな表紙が、どんなフォントが似合うかしら。活字になって「本」の体裁を整えたとき、君たちはどんな表情を見せるのかしら。

……こんな感じで、「他の人に届けたい」というよりはむしろ「自分の文章を本のかたちにして、自分で手に取ってみたい」というような動機が今のところ大きい、そんな出店者です。
作った本をいざ会場で誰かに手渡すことができたなら、またこの感覚も変わるのかしら。そんな変化も、楽しみのひとつです。

初めてのこの試み、せっかくなのでnote上で過程も記録していこうと思います。
まだなんにも準備してないのでちょっとヤバいかもしれない。間にあうのか!? というスリルも含めて、見守っていただけると嬉しいです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?