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たまごよたまご、そのままで
卵が少し安くなっている、気がする。
少し前まで近隣のスーパーでは10個260円~280円くらいが相場だったのに、先々週は177円だった。安売りだ! と思って飛びついて買ったのだけれど、先週の買い出しでも同じ値段だった。
あれ、卵、相場が安くなってる?
そう思ったけれど口には出せなかった。口に出したらこのうれしさが「期待」に変わって、裏切られたとき悲しくなってしまう。
10個1パック130円~160円、運が良ければ99円(1,000円以上お買い上げの方限り)で買えることもあったあの丸く愛らしいものたちが、昨年あたりからじわじわと値上がりした末税込み300円近くがデフォルトとなったときの、仲の良い友達が遠くに行ってしまったような悲しみときたら!
その悲しみが癒えかけ、256円の値札に「あ、今日はちょっと安いね」と思えるようになってきたところで、この価格変動である。変に期待してまた値上がりしたら、もう一度あの悲しみを味わうことになってしまう。手負いの獣のように周りをきょろきょろ警戒しながら、177円の卵をかごに入れた。
そして今週、189円である。少し価格は上がったが200円には達していない。
確信した。
卵が、卵が少し安くなっている……!!
今週は味玉を作ろう。オムレツもだし巻き卵も、卵みっつで焼いちゃおう。かさ増しのほうれん草なんて入れないぞ(いや、あれはあれでとてもおいしいけれど)。
昨年から食材や家具やあれやこれやが値上がりに値上がりを重ねていてお財布がずっとボディーブローを受けているような気分だけれど、価格変動にここまで一喜一憂するのは卵だけだった。そのものの価格だけ見ると、値上がり後もコンビニで買うチョコレート(ガーナのちょっといいラインの、丸くて大きめのトリュフみたいなやつが好きです)より安いくらいなのに。
私の場合その理由は、これさえあれば大丈夫、という安心感をもらえる食材だからだと思う。
なにも作る気が起きない日だって、ご飯に生卵とお醤油をかければとりあえずおいしいものが食べられて、たんぱく質まで摂れる。ちょっとしたお惣菜や丼もの、カレーなんて作ろうものなら、半熟卵がなんだってごちそうにしてくれる。
それにあの姿もよい。ぽってりと丸く手のひらに収まる形、ゆでたまごの白身の磁器みたいにきれいなのにどこか暖かみのある手触り、しっかり火を通した黄身を割った時のぽくぽくとした質感、半熟卵に箸を入れた瞬間流れ出る金色の洪水。病めるときも健やかなるときも食卓に寄り添って元気をくれる、まるく柔らかな白と黄色。
ああたまごよたまご、どうかそのままで。この調子で前のように、庶民の味方でいておくれ。あわよくばあと10円か20円、値下がりしてくれないかしら。たまには99円セールとか、やってくれてもいいのだよ。
そう祈りながら、今朝はスクランブルエッグを作った。
普段炒め物をするときは手間を嫌ってテフロン加工のフライパンを手に取ることが多いけれど、卵を焼くときはつい、小さな鉄のフライパンを使いたくなる。
くっつけずに作れるよう(フライパンにくっついて焦げた卵の残骸を見るとかなしくなる)、煙が出る直前までカンカンに熱したフライパンに、油は多め。今日は奮発して、サラダ油やオリーブオイルではなくバターを落とす。落とした瞬間じゅうっと音がして淡い山吹色の塊はみるみる融け、ごく小さな海ができる。そこをめがけて溶いた卵を流しいれると、透明に融けて豊かな香りをはなつ脂の中に柔らかな黄色が広がって、その境目からやわやわと、フリルのように波打った薄い膜を張り始めた。
その膜を中心にかき集めるような塩梅で、菜箸を動かす。その動きにつられて中心にとどまっていた卵液が外側にあふれ出し、また新たな薄黄色の領土を作る。それを繰り返していくとあっという間に、ふわふわと柔らかな炒り卵が出来上がった。
やっぱり、卵料理は断然鉄のフライパンと相性がいい気がする。目玉焼きも鉄のフライパンで作ると、白身のふちがカリカリに焦げているのに黄身は極めてレア、という、いちばん好みの焼き加減に仕上がりやすい。
出来上がったスクランブルエッグは、輪切りにして炒めたソーセージと一緒に食パンの上に乗せ、ケチャップをかけてトースターで焼いた。休日に実家で母や祖母がよく作ってくれて、「オープンサンド」と呼んでいた食べ方だ。ぜんぶ一緒にトースターに入れるのがミソで、ただトーストにスクランブルエッグとソーセージを乗せるだけだと、なぜか同じ味にはならない。
大人になると、オープンサンドにもいろいろ種類があって、もっとおしゃれでおいしいものも山ほどある、ということを知った。でも私にとってのオープンサンドはやっぱり、卵とソーセージとケチャップのややあか抜けないこの食べもので、休日の朝、外がきれいに晴れているのを見つけると無性に食べたくなる。
焼きあがった「オープンサンド」にたっぷり黒胡椒を挽いて、コーヒーと一緒にかぶりつく。
黒胡椒のピリッとした刺激、ソーセージの塩味と脂気を丸ごと包み込むようにふうわりと卵の甘い香りがして、思わずもう一度、心のなかで唱えた。
たまごよたまご、どうかいつまでもそのままで。