ミーハー心の効用|ピカソとその時代
昨日は有休を取っていたので、一日早いゴールデンウィークが開幕した。
早起きしてひとりで奈良か京都に行くのもいいかな~と思っていたのだけれど、起きたら10時。洗濯してコーヒー淹れて少しぼーっとしたら12時。
お腹が空いて袋ラーメンを茹で、これでもかと乾燥わかめを入れるという悪あがきと共に食べた。飲み会明けの胃に鶏がらスープが沁みる。
近所の図書館→スーパー銭湯→ビールという黄金プランをキメてやろうかという気持ちがむらむらと湧いてくるけれども、そういえば今月なにも絵を見ていなかったなと思って、国立国際美術館の「ピカソとその時代」を見に行くことにした。
最近の美術展は日時予約制のものが多いので、ビッグネーム目白押しのこの展覧会も当然そうだと思っていたら、特に予約は必要なし。
土日の混むタイミングは予約制が安心だけれど、平日にこうしてふらっと行くには予約不要が気楽でうれしい。
ところで、ピカソ、お好きですか。
私はどうかというと「すごい人なのは知ってるけど、好きかと言われると特にそうでもない」。なんというか、すごすぎて好きとか嫌いとかの区分の外にいる画家、という感じ。
彼の人生のドラマティックさや破天荒な生き様、他の芸術家に与えた影響なんかを考えると「押さえておくと美術がもっと楽しめる人」とは思うのだけれど、だからといって作品が好みかというとうーんそうでも、というスタンスなのだった。
よって「ピカソとその時代」に行こう、と思ったのは完全にミーハー心。
確か生で見たことないし、没後50年のお祭り騒ぎを逃すと今後こんなに一気に来日することはないだろうなあ、と思って、「まあ見とかないとね」的な態度で臨んだ。お好きな方には申し訳ない心構えである。
だから会場でいざ「本物のピカソ」に相対した時、一気に引き込まれてしまったことには本当に驚いた。
まず惹きつけられたのは静物画だ。「洋梨とリンゴのある果物鉢」を見て、あ、これ好きだ、と思う。深緑と茶色の落ち着いた色合い、円錐形に簡略化された洋梨の、冷たい、びろうどのような手触りが伝わってきそうな筆致。
「グラスとトランプのカードのある静物」も、黒と緑、白の組み合わせにはっとしていつまでも見入ってしまった。沈んだ色合いなのにどこか軽快な雰囲気。
他にもピカソ、と言われてまず思い浮かぶようなキュビズムの女性像があったり、鉛筆のそっけないスケッチがあったり、ジョルジュ・ブラックの作品と対になった茶と黒の重苦しい一枚があったかと思えば、青にピンクのアクセントが爽やかな、今にも潮風が感じられそうな海辺の部屋が描かれた静物画があったりと作風は本当に様々で、それなのにそのどれもに対して「いつまででも見ていられる」と思うのが不思議だった。
人体が不気味に捻じれているように見える「水浴する女たち」も、見ているうちに楽しそうな海辺の情景が浮かんでくる。写実的な陰影のある身体とのっぺりした白い肉体がコラージュのように配置された「踊るシレノス」も、見ているうちに奇妙さよりもかわいらしさが勝ってくる。
どこが美しいのか説明できない作品が多いのに、直感的に「美しい」と思ってしまう。画集やネットの画像を見るだけでは体験できない感覚だった。
ピカソのほかに心臓を撃ち抜かれたのはクレー!
さまざまな色彩に塗られた四角形が密集する抽象画のイメージが強くてなんだかほっこり系の方なのかしら、と思っていたのだけれど、自画像がやたら内省的だったり、やたらオカルティックなモチーフの絵が多かったりと、一筋縄ではいかない人物像が浮かび上がってくる。「もっと知りたい」と思わせるような。
中でも、深い紺碧の壁に「小さな城 黄・赤・茶色」「緑の風景」「青の風景」が並んでいる様子が圧巻で、展示室を何周もしてしまった。見ていると不思議な世界に吸い込まれそう。家に飾りたい。
先日行ったエゴン・シーレ展もそうだったのだけれど、最近の展覧会は展示空間も作品の一部としてデザインされているような企画が多いと感じる。写真OKのところが多くなっているのも関係しているのかもしれない。
それに触発されたのか、今更ながら「額装」が印象に残ることが多くなってきた。同じ絵でも入れる額によってきっと表情ががらっと変わるのよな。
今回面白かったのがマティスだ。
目に入った瞬間思わずニコニコしてしまうような陽気な色彩の「雑誌『ヴェルヴ』第 4巻13号の表紙図案」。もし私がこの絵の額装を任されるとしたら、暗い色で、モードな雰囲気の額を選ぶと思う。黒檀とか、シーレ展で見たシンプルだけど幅広で存在感のある金属製のやつとか。鮮やかな色を引き立てる名脇役、といった風の。
けれど実際はいかにもアンティークな、重厚な装飾の入った金色の額が使われていて、それがマティスの豊かな色彩と合わさると、トゥーマッチで祝祭的な雰囲気が出てとても面白いのだった。額装、奥深いな。額装家が主人公の小説とかないかしら。
展覧会で買った図録を見る時にときどき「コレジャナイ」感を覚えるものだけれど、図録の絵は額を取り除かれた裸の状態で収録されていることが多い、というのもその一因なのかもしれない。
普段美術展に行くかどうかを決めるときはどうしても「自分の好きな作品が出ているか」を重視しがちだけれど、ミーハー心に素直に従った結果、思いのほか大満足な企画展だった。とりあえずこれから「暗幕のゲルニカ」を読み返します。